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オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
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なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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オードリーの時代分け その1

えっと、以前から僕の文章で、“「尼僧物語」は第2期のチャレンジ・オードリー”とかって書いてるんですけど、これについての説明をしてないので、今回はこのオードリーをいくつかの時期に分けて考えてる、というのの説明を。

オードリーファンに関しては約10年ごとに区切ってて、これはVol.25の“昼下りの事情”のところで書いてるんですけど、ここはオードリーの映像作品について分けてみたいと思います。

まずは「オランダの7つの教訓(オランダに関する7章)」「素晴らしき遺産(天国の笑い声)」「ひと粒の野生のカラス麦(若気のいたり)」「ラベンダー・ヒル・モッブ」「若妻物語」「初恋」「モンテカルロへ行こう」「モンテカルロ・ベイビー」の8作品、年代は1948〜1951年。
ここはオードリー端役時代でオランダ・イギリスの作品ですよね。
“オードリー以前のオードリー”という感じですかね。

次は“第1期”。この時代はういういしいオードリーの時代ですね。
「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「戦争と平和」「パリの恋人」「昼下りの情事」そしてテレビ映画の「マイヤーリング」の53年から57年の6本(撮影は52年から57年)。アメリカに渡ってからの作品群です。

たま〜にここに「緑の館」を入れる人がいるんですが、これは撮影順からしても、映画の制作の仕方からも明らかに違いますね。

この時期のオードリーのキーワードは“夢見るオードリー”です。
新人オードリーをいかに売るか、これが映画制作の基本になってますね。ストーリーはほとんどが女の子が憧れる夢のようなラブストーリー。
途中でオードリーの役がいろいろ動こうとも、最後は男の方から手を差し伸べて、ハッピーエンド、というものが多いです。
ここでのオードリーの演じる役柄は、自分の生き方がまだはっきりわからない少女、なんですね。だから普段と違うことに憧れてる。

「ローマの休日」では庶民の娘のように振る舞いたいと思ってるし、「麗しのサブリナ」ではパリで変身してみせる。「戦争と平和」では戦争に憧れてるし、駆け落ちもしようとする。
「パリの恋人」では共感主義なるものにかぶれてるし、「昼下りの情事」は疑似恋愛でプレイガールになってみせる。
「マイヤーリング」では皇太子に夢中ですけど、本当の恋というよりも “恋に恋して” 状態。
みーんな自分に対して自信も持ってないし、心の中ではとっても不安な女の子。
だから、状況は違えど、どれも“本当の私”探しのストーリーになってるんですよね。
だからだいぶ年上の男性に守られて、“ああよかった!”ということになってる。
“これで私の居場所が出来た!”と思って、安心できてるんですね。

その次の“第2期”のキーワードは、“チャレンジオードリー”。
1期の映画をすべて成功させて、女優としてハクのついたオードリーが、“女優として私にどんなことができるのかしら?”って感じで挑戦した作品群。
「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」の59年から60年の3本(撮影は58年〜59年)。
なぜかこの時期のオードリーは顔がふっくら。
「尼僧物語」なんて、目の下に隈を作ったりしてやつれているにもかかわらず、やっぱりふっくら。

作品としては、オードリーにはかなり異色な作品が並びます。
「尼僧物語」は後のオードリー自身を予感させる演技派への挑戦。
「緑の館」はオードリーの妖精としてのイメージを究極まで押し進めた作品。
「許されざる者」はその出生の秘密で話が展開するキャラクターを演じてます。

1期と2期の過渡期的な意味合いもある「マイヤーリング」にもその感じはありますね。
「マイヤーリング」は旦那のメル・ファーラーとセット売りでどうなるかをチャレンジ。

ここではどのオードリーも、一般人ではないんですよね。
オードリーの演じる役柄がすべてドラマティックに設定されています。
第2期の女性達も本当の私探しのストーリーにはなってるんですけど、「尼僧物語」はそのまんま尼僧、「緑の館」は動物と話のできる妖精のような少女、「許されざる者」では白人に育てられたインディアンの娘、という風に、あなたの隣にもいるよ、という女の子では全然ないんですよね。「マイヤーリング」も許されぬ恋に悩む皇太子の恋人だし。
普通は知り合いにはいない女の子、あるいは女性なわけです。
ここが明確に他の時期と違います。

でも、ある意味これがこの時期の弱い部分でもあります。
オードリーもまだそういう “普通じゃない設定” に頼ってるというか、そういう役であることで演技に気持ちを入れることが出来ているというか…。
それに普通の人である多くの観客の側からも “自分とは大きくかけ離れた設定” に感情移入しにくいんですよね。
この時期の作品がリバイバルに恵まれないのは、その辺にも理由がありそうです。
それに、オードリーの作品としては地味な部類ですしね。

第3期は61年から64年の「ティファニーで朝食を」「噂の二人」「パリで一緒に」「シャレード」「マイフェアレディ」の5本。
「ティファニー」と「噂の二人」は特異な設定という意味で第2期と重なってもいるんだけど、オードリーの顔・髪型などから判断して第3期に。

というか、「ティファニーで朝食を」がオードリーの区切りを決定してますよね。
この時期のキーワードは“動くオードリー”です(Vol.2参照)。
ここで「ティファニーで朝食を」についてはどうしても触れないわけにはいかなくなるんですが、もちろん高級娼婦なんて、オードリーにしたらチャレンジ以外の何物でもないですよね。
そしたら第2期の作品になりそうなんですが、完成した作品では“まるでもぎたてのレモンの香りがするような”などという形容でわかるように、娼婦というどろどろしたものをすっかり洗い流して清潔感溢れるオードリーになってます。
そして“オードリー映画”というものを確立してる!

第2期のオードリーはチャレンジして、そしてその役になりきる、ということでしたけど、「ティファニーで朝食を」はチャレンジして、オードリーの作品に作り替える、ということになってますよね。
原作なり脚本なりで創造されたキャラクターを越えて、オードリーの魅力が溢れ出して来るんですよね〜。
たとえば、「マイ・フェア・レディ」も舞台ではジュリー・アンドリュースの作品であったにもかかわらず、オードリーなくしては考えられないエレガントなイライザに消化&昇華されてしまっている!
「パリで一緒に」や「シャレード」もオードリーが動くことによって、その魅力が眩しいほどに輝いています!

だから、「ティファニーで朝食を」は第2期のオードリーの流れでありながら、第2期の終焉を高らかに告げている、という不思議な作品です。
これが「ティファニーで朝食を」がオードリーの当たり役だと言われる所以ですよね。
言葉で表わそうとすると説明が大変なんですが、“このオードリーはなんか違うぞ!”ってみんなが思ったってことはアカデミー賞のノミネートやイタリアのダヴィッド賞の受賞が示してますよね。

さて、同じ夢のようなラブストーリーでありながら、第3期が第1期と決定的に違うのは、第3期の女性はすでに自己と言うか自我というかを確立してる女性なんですね。
バックグラウンドはそれぞれ違うけれど、みんなそれぞれ一定の人生を歩んでる。
「ティファニーで朝食を」はドクによって、「パリで一緒に」のガブリエルは自分で過去の話をしますけど、決してみんな自分の過去を恥じてるわけじゃない。
ホリー・ゴライトリーも別に自分の過去を恥じてルラメイ・バーンズであることを隠してる訳じゃない。
自分で生き方を選んでるから、なんですよね。

だからみんな第3期の女性は自分(あるいは自分の過去)に不安じゃない。
「噂の二人」のカレンも、いくら周囲になんと言われようとも、自分というものはきちんと持っている。
だからこそ一番心細い時なのに婚約者と決別出来るんですよね。
「シャレード」のレジーも、不安なのはダンナに対してで、自分にじゃない。
第3期の女性はみんな前を向いて生きてるんですよね!
3期のオードリーは、すべて最後は自分で進むべき道を選んでいます。

2004年5月10日 改訂2004年8月31日 再改訂2014年5月10日 再々改訂2014年6月26日
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