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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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今回は「噂の二人」に関してです。
主に映画のラストに関しての文章が出てきますので、映画をまだご覧になってない方は、この文章は読まないでくださいです。

オードリーがレズビアンだと“噂”になってしまう。という物語。
なんてまあ暗い作品から取り上げるんだろう!って思いますよね(笑)。
レズって映画でハッキリ言ってるわけではないんですけど、
これは当時の検閲に考慮したものらしいんです。

ウィリアム・ワイラー監督が「この三人」という題名で1936年に映画化した時は
検閲でまったくねじ曲げられて単なる男女の三角関係にされたらしいですね。

オードリー映画じゃないんですけど、1951年のヴィヴィアン・リー主演の「欲望という名の電車」では
ヴィヴィアン・リー演じるブランチの死んだダンナさんがゲイだったというのがやっぱり検閲を通らなくて、
そのことを匂わせることすら許されなかったみたいなんですよね。
ブランチの言動を理解する上でここはとっても重要なことですけどもねー。

でも10年後のこの作品ではかなり緩くなっていますね。明らかに同性愛の話だってわかりますから。

それとこの作品、題名が不思議なんです!
アメリカ版では題名は原作通り「The Children's Hour(子供の時間)」なんですけど、
イギリスでは「The Loudness Whisper(うるさい囁き)」でした
(ビデオ・LDなんかはイギリス版になっていて、DVDではアメリカ版になってる!)。
なんで題名を変えてるんでしょうかねえ。内容にどこか違いがあるのでしょうか?
ちなみに撮影中は「Infamous(よからぬ噂)」という題名でした。

この作品、傑作と評価する人と、失敗作と見る人と両方です。
傑作と言う人はこのオードリーの最後の毅然とした態度で歩くラストのシーンや、
共演のシャーリー・マクレーンの演技を高く評価してるんですが、
失敗とみなす人はジェームス・ガーナーとオードリーの絡みが弱いとかっていいます。
この部分のシーンは字幕より吹き替えの方が良かったです。

個人的には昔はこの題材の暗さが好きになれませんでしたが、今はどんどん良くなってきました。
いくら相手が何万回“君を信じている!”と言ったって、ホントのところはわからない。
もしかしたら全然信じていないかもしれない。
相手だって、本当に同性愛じゃないって信じているのに、
本人に“もしかしたらこの人は私のことをレズだと疑っているかも知れない”
と思われちゃ、やってられない。
そう、こんな2人が“絶対にうまくいくはずない ”!!そこが余りにも真実なので辛いです。

「いつも2人で」のところでも書きましたけど、
“そんな噂はなかったことにする”というのではうまくいかないですよね。
ホントのところを確かめないで、1人の悪ガキの言葉を鵜呑みにし、
マーサとカレンを同性愛だと決めつけた町の人たちも最後には深く後悔しています。
いったいどうやってこの先あがなうつもりなんでしょうか?
特に悪ガキのおばあさんは真面目なだけに一生自分の犯した罪に苦しめられることでしょう。

結局、この悪ガキは学校に行きたくない、ただそれだけで大事なおばあさんを含む
多くの人の運命を狂わせてしまったことになります。
それとも悪ガキはそんなこと気にしないんですかねー?
このあとの他の人の生活も気になる所です。

でも、その嘘だと思われていた噂にマーサが己の真実を知るという設定も奥を深くしています。
オードリー映画としては一番地味な作品、地味なオードリーです。
洋服はジヴァンシーじゃないし、白黒映像。
次にオードリーが撮影する「パリで一緒に」とよく似た髪型なのに、
まったく違うこのオーラはなんでしょう?華やかさが全然違います!
初めての方にはオススメできないオードリー映画です。
でも最後、町の人達に一瞥もくれないオードリーは神々しいまでの表情をしてます。

同性愛を匂わせる部分、撮影中には裁判シーンやシャーリー・マクレーンがオードリーの髪を
いとしそうにとかす所などもあったようですが編集で削除されたようです。
シャーリー・マクレーンはそんな編集が気に入らなくてこの映画の事を
あまりよく言ってないみたいなんですけども、
削除されて僕は正解だったと思っています!

61年の撮影当時はレズビアンに関して一般に知れ渡っていなかったため、
シャーリー・マクレーンが言うようにそれらのシーンは理解を助けるためにあった方がよかったかも知れません。
ただこんにちにおいてそれらのシーンを見ると
“ここまでやっているのに、なんでマーサもカレンもマーサが同性愛だって気付かないんだ!?”みたいになってしまって、
“馬鹿らしい!”って興冷めしてしまうと思います。
やはりここは完成版のように匂わす程度で止めておいてよかったと僕は思います。
完成版でもちょっとやりすぎ?みたいに感じる所もありますしね。
これ以上余計な物はないほうが…。

それとこの作品は「尼僧物語」「緑の館」からはじまった
“チャレンジオードリー”の流れの最後の作品ですよね。
作品の出来はともかく、オードリーにしては硬い作品が続きましたけど、
このあとオードリーは「パリで一緒に」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」と
オードリーの持ち味をフルに活かす作品に出演していくことになります。
でもこの時期の女優としての挑戦は無駄になったわけでは決してなく、
後にオードリー独自の個性と見事に結びついて
「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」という2本の傑作を僕達に残してくれるんですよねー。

★以上、2002年8月28日の文章に多少手を加えました。

この時書いたものはとっても浅いものでしたけど、さらに、ここではもうひとつのブログ、
「オードリー・ヘプバーンといつも2人で」で書いたものですが、ちょっとだけ再掲しておきます。

「また、この作品は「昼下りの情事」と並んで日本と海外での評価の違いが大きいですよね。
日本ではキネマ旬報の62年度第9位に選ばれるなど名作扱いなのに、海外ではあんまり高く評価されてないようです。
日本でも淀川長治さんが、この作品をかなりけなしていましたよね。

あと、オードリーと並んで主演のシャーリー・マクレーンが、後年
“マーサは自分の為に闘わなければいけなかったのに!”ということでやはり評価を低くしてましたけど、
僕はこれでいいと思ってます。

まずは時代背景。原作の当時や、映画化された当時の状況は、
同性愛に関してアメリカもまだまだ寛容ではなかったですよね。
そんな時に闘えったって、そんな人がたくさんいたかどうか…。

それと、本当はマーサは闘うべきだったのかもしれませんが、誰もがシャーリー・マクレーンではない、
ということです。
マクレーンのように自分の為に戦える人もいれば、マーサのように心折れてしまう人もいる。
いろんな人が世の中にはいるので、これはこれでアリだと思ってます。
だいたいこの作品の主題は、マーサの戦いを描こうとした作品ではないですしね。」

実際には、カレンとマーサも戦っています。裁判をティルフォード夫人に対して起こしてますよね。
結局負けたんで、ますます世間の好奇の目を自分たちに向けただけで終ったようですけども…。

裁判の部分、完成作品ではセリフだけで済まされてますけど、実際には撮影もされていたようで、
そのシーンのカットが残っています。
判決が出た後、マスコミの格好の餌食となって、もみくちゃにされているシーンも画像で残っています。

だって、裁判で負けるってことは、“この二人には、不適切な同性愛の関係があったと認める!”
という判決が出たってことでしょ?
そりゃ原作の時代はもちろん、映画の時代でもセンセーショナルだったと思いますよ。三面記事の格好のネタですよね。

「噂の二人」って戦う側からの目線ではあるんですけど、外に向かって押し返していく、
って筋書きじゃなくって、外のパワーに押しつぶされていく、って方向で作られています。

何もしてないのに自分のことに気づいたマーサが自殺を選んでしまうほど、
ここでの「同性愛」やそれに象徴された一般的でないことに対する世間の好奇の目や不寛容さや弱い者叩きを
“これってどないやねん!”って問うてますよね。

某吉村英夫氏は、この作品もアメリカの赤狩りに対してのワイラーの抵抗みたいに判断してますけど、
もうワイラーはそのことからは脱却して、もっと大きな目で作品を見てたんじゃないかなーと思います。
だって、もともと題材が戦前から気に入ってた戯曲ですしね。

結局ティルフォード夫人は孫の嘘がバレたことにより、取り返しのつかないことをした自分に打ちのめされますよね。
カレンとマーサに許しを乞い、裁判の判決も破棄してもらいます、と手配してましたよね。
ティルフォード夫人は根っからの悪人ではなく、(自分なりの)正義に向かって進む人なんです。

なので、映画でも“安息は来ません…。”と言っているように、このキャラでは、二度と自分を許せないんでしょうね。
おそらく、この事件のあと、急激に老け込んだだろうと思います。
寿命も数年縮んだでしょうね。

映画ではカレンはティルフォード夫人を許しませんけれども、
原作の戯曲ではこの “自分に救いが無い状態” に置かれたティルフォード夫人に気づき、
“私にはもう済んでしまったことですども、あなたに終りはないんですね。”
“傷は私より深かったみたいですね…お気の毒に。”
と言って、最後には微笑みさえ交わすんですよね。

もし本当の悪人なら、孫の嘘がバレても、そのまま何事も無かったように
カレンとマーサにレズだった、という烙印を押したままのうのうと生きていくでしょうし。
おそらくマーサの叔母のリリーの性格なら、そうしていただろうと思います。

原作でも映画でも、ティルフォード夫人が自分の過ちを認めて謝罪にくることで、
最後はカレンに救いがあるようになってて、観客の僕らもホッとするんですけど、
ここティルフォード夫人のこの対応が無ければ、ものすごいことになってただろうなーって思います。
だって、ティルフォード夫人が謝罪に来るまでのカレンの状態は、抜け殻みたいになってましたもんね。
外にも出られない状態だったし。

なので、このティルフォード夫人の良心がなければ、
ラストでカレンが顔をキリッと上げて去っていくことも出来なかったのかなーと思います。

ただ、このティルフォード夫人の思考回路、
カレンとマーサは同性愛ではなかった → だからごめんなさい、
になってますよね。

これって、結局同性愛は許しません!ってことですよね。
今の時代でもアメリカにもそういう人がいっぱいいるんでしょうが、
逆に、あなた方が同性愛でも全然かまわないわ、だって、誰に迷惑かけているの?
って考え方の人もいっぱいいるでしょうね。

オードリーを敬愛している女優のアン・ハサウェーも、兄がゲイであるということで、
ゲイを認めないカトリックを脱退したそうですね。
大事な人のために何かをできる人、守れる人、戦える人ってやっぱり凄いです。

ここで語られている同性愛だけじゃなく、
自分でも知らず知らず弱い者いじめをしていないか…
そういうのを常に意識していける人間になりたいなぁって思います(全然完璧ではないけど…)。


これを書き上げた翌日、アメリカで同性婚を認めないのは違法、という判決が出ました。
なんてタイムリー!と思いましたが、これも過去の人が戦ってきた結果なんでしょうね。
もちろんいまだに認めない人は多いでしょうが、ブランチの夫やマーサが死ななくてもいい国ができつつある、ということでしょうね。

コメント

ほれたはれた

中学生から30歳くらいまで、「女が騒ぐ男」と言われました。
「恋に似た出来事」はありましたが、デートの先約をキャンセルしてでも、麻雀をやるし、映画館デートでも、オードリー映画ばかり見せるし。
いつしかホモ疑惑。v-12
ロードショーの編集者で、月形龍之介の孫にも「正常?」と聞かれました。
ホモだと姉が思い込んでいた増田貴光さんが御園座観劇のついでに表敬訪問してくれたときも、姉が「無事だった?」と悪い冗談。
本人は好色だと思うのですが、「噂のいもにいさん」です。

むらさきいもさんの、「ロードショー」での写真、
暗くてお顔がよくわからないんですが、よくモテたんですか?
羨ましいです~。(^-^

男女限らず、もてる人ってやはり人間的に魅力があるってことで、
いいことですよね。

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