FC2ブログ

リンク


カテゴリー


最近のコメント


プロフィール

みつお

Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


最近の記事


アクセスランキング

[ジャンルランキング]
映画
385位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
映画俳優
16位
アクセスランキングを見る>>

FC2ブログランキング


ブログ内検索


月別アーカイブ


ブロとも申請フォーム


で、ドヴィマとオードリーが並んでるシーンがあるんですけど、
確かにね、50年代のファッション雑誌という観点から見ると、
オードリーの顔ってやっぱり“ファニー”ですよね。
まるで彫刻さながらの当時のモデル達の顔と比べて、
ちょっとそういう顔ではないような…。

当時の雑誌でも書いてるんです。
完璧に見えるオードリーの体型も、
モデル、という意味ではちょっと欠点があるらしいんですね。
それはバレエで鍛えた足が、スーパーモデル達よりやや太いということ。
確かに、オードリーの生足が写っている画像では、
オードリーのイメージよりちょっと太い
太ももに気付くんですけどね。

で、この2人のシーン、可笑しいですよね〜!
オードリーは本の説明をさせられて真面目なこと喋っているのに、
ドヴィマはそんなこと全然聞いてなくて、いろんなポーズとってる!
このドヴィマ扮するマリオン、確か“理知的に見えるような”
写真を撮っているはずなのに、このシーンでは
ますますおバカに見えてしまうんですよねー(笑)。
そして横で無意味に説明を続けるオードリーのジョーも相当おバカ。
“この人…いったい何やってるの!?”なんて言って、
まるで宇宙人を見るような目つきでマリオンを見てるし(笑)。
でもここで、写真のモデルさんって、こうやってポーズ作るんだ!って
裏事情がわかりますよね。
写真に写らない洋服の後ろは洗濯ばさみで絞ってあるし。
動いて見てたら変だけど、一瞬は素晴らしい。
その素晴らしい瞬間をカメラマンが切り取っていくんだなーってね。

その後、オードリーはパリに連れていかれて、
見事“極楽鳥”に変身するんですけど、
そこからまたまた素晴らしい撮影中の場面が展開されていきますよね。
凱旋門、セーヌ川、花屋、オペラ座、ルーブル美術館、などなど。
ほんっとに綺麗なオードリー!モデルとしても完璧!
…でも、ちょっと待って!
たしかオードリーは“ファニー・フェイス”で、
さっきもドヴィマに比べると、当時のモデル顔ではないよねってこと
書きましたよね?なのになんで完璧?

これはですね、“人形”であることを要求されるモデルと違って、
オードリーが女優であるからなんですよね。
この映画って、“動く”ファッション雑誌って事を意識して作られてる。
となると、一瞬だけ完璧であるモデルが必要なんじゃなくって、
動く姿が美しく、喋っても素敵で、表情と感情の豊かな女優、
しかもプロポーションもモデル並みという
トータルな美しさを持った女優が要求されるんですよね。
今でこそグラマーなモデルさんもいますけど、
当時はまだまだ洋服のシルエットを崩すような
そんなモデルはいらない&いない時代ですしね。
ある本に書いてありましたけど、口を開けたり閉めたりするって、
単に喋ってるだけでも、うっかりすると下品に見えるらしいんですよね。
それにまばたきとかも、雑誌のモデルはしちゃいけないけど、
映画はずっとカメラが回っているんだからしないわけにはいかないですよね?
だから映画でのモデルという役で、プロポーションといい、動き方、姿勢、
そしてかわいい仕種・表情・喋り方にいたるまでオードリーは
このジョーに完璧であるわけなんですよね〜。

さて、撮影中のあの動画と静止画の見事な場面!
ドヴィマの時はおバカさんに見えてしまうポーズを作る過程も、
オードリーの時にはどの瞬間も美しく見えるように
撮影の角度・動き・照明などのプランが綿密に練られているのがわかりますよね?
“雑誌”を作っているんじゃない、“映画”を作っているんだ!という。
どの瞬間も美しく、でも一瞬を切り取ってもちゃんと絵になっている!
なんて素晴らしい!見せる・魅せるの両方で満点の映画です。

さて、吉村英夫氏の著書やその他なんかで、
“ソフトフォーカスにして、動きまでがぼやけてしまい、
躍動感を殺してしまったのでミュージカルとして失敗。”
などと書いてあるのをみるんですけど、
僕はどう考えてもこの映画の押さえる所を間違えて、
ツボをはずしてしまった見方としか思えないんですよね。
確かに「パリの恋人」はミュージカル形式なんですけど、
ソフィスティケイティッドの王者パラマウントの映画で、
オードリー映画で、ラブストーリーであり、
何よりも美しくあらねばならない動くファッション雑誌である!
というこの映画に、そんなバッタンバッタン足を振り上げたり下ろしたりという
シャープな動きが必要だとは思えないんですよね。
なにより『Vogue』や『ELLE』などで映画の1シーンが載っても
全く違和感がないほど充分に美しくなければならないわけですから。
「ウエストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」
のような傑作でも、映画特集でない限りはそれらの雑誌には
取り上げられるのは難しいかもしれませんけど、
「パリの恋人」なら他のファッション画像と並んでも、
全然見劣りしないんですよね。
だから、そういう映画評論家でもなんでもない人達の書いた
“はずした”文章って、読んでてイライラするんです(笑)。

この作品をオードリーのベストに推す“同志”カリンさんもおっしゃっています。

“「ラブストーリーになると、話がもたつく」とか、
「アステアの年齢と、超一流ではないオードリーのダンスのせいにするのは」
とか、本編と何ら関係無いところでのツッコミ。
アステアの年齢は作品に全然影響を及ぼしていない。
そもそも、オードリーの映画のコンセプトに恋愛は付き物だけど、
あえて年齢差のあるアステアを持ってくることで、
妙にリアルな恋愛模様を払拭している。
もしこれが、歳も近い俳優だったら「勝手にやってろ!」と言いたくなるけど、
若いオードリーに翻弄されるアステアの味、
若さ爆発のオードリーとの対比がとても絶妙だと思う。
この映画から恋愛を取ったら、何を軸に話を作れば良いんでしょう?

心眼で見ていない人には語ってもらいたくない(爆)
途中だれると言う恋愛シーンも、マギーとディックの小気味良いダンスシーンで
しっかりと締められており、観客を飽きさせることは無いはず。”

そうそう!そうですよね!さっすがカリンさん!
僕が文章力がなくって、うまく表現できないことを
しっかりおっしゃってくださいます!(^-^

映画って、単に志(こころざし)が高い低いだけで
価値が決めれる物ではないと思うんですよね。
芸術性が高いものや、真面目な物が良い映画なわけじゃない。
映画の技法が出来を左右するわけでもないし。
ましてやこれは“オードリーの”映画ですよね?
オードリーを見ないでどうするの!みたいな。
そういう“はずした”文章を書く人たちって、どーもそこの所勘違いしてる。
見るべき視点を誤ってる。
娯楽作品に志を求めてもしゃーないやん!って言いたくなります。
この「パリの恋人」はエンタテインメント作品として、
他の“志の高い作品”と並べてもなんら遜色のない、
立派に一流作品なんですよね。

押さえる所を間違えていないちゃんとした映画評論家の方達は、
初公開当時から“大傑作!”という扱いです。
もともとミュージカルに弱かった日本では、
同年公開の「昼下りの情事」の方が一般受けもしましたし、
興行成績もよかったようですけど、
「パリの恋人」の方がより素晴らしい!と書いてらっしゃる方も
多々見受けられます。
当時の「映画の友」という雑誌でも、「パリの恋人」のことはベタ褒めです。
「ローマの休日」「麗しのサブリナ」と続いたブームも去り、
「戦争と平和」と言う原作が先に立つ映画では
そんなにオードリーが際立たなかったみたいで、
ちょっとインパクトの薄れたオードリーだったのに、
「パリの恋人」と「昼下りの情事」という2大傑作を引っさげて、
また話題の中心になることは間違いないだろう!
と、かなりな誌面を割いて、熱っぽく予見している批評家の文章が載っています。
そして、1957年はその予見の通りになっていくんですよね〜。
この方も、「パリの恋人」よりも「昼下りの情事」の方が
日本では受けるだろうけど、「パリの恋人」のオシャレ度満点の
パラマウントカラー、そしてすばらしいミュージカルに感激して、
明らかに「パリの恋人」の方を気に入ってますねー。
後年、オードリーの全作品でこの「パリの恋人」のオードリーが一番美しかった!
と述べておられる批評家の方もいらっしゃいます。
敬愛する双葉十三郎さんの点数でも80点!
これは「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」「シャレード」
「マイ・フェア・レディ」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」
と並ぶ点数であり、傑作!という評価なんですよね。

それにこの鮮やかなファッション!
これにも触れないわけにはいきません。
ジヴァンシーが“これはファッション業界の話だから、
当時自分が作りたかった物を作らせてもらいました。”
って述べてますけど、確かにすごいですよねー。
若いオードリーに合うように、完璧に作られた衣装の数々!
でもって、今シーズンの流行りもそうですけど、50'sの衣装なのに、
この時代の洋服が流行する度にまた圧倒的な力を持って蘇る!
「ティファニーで朝食を」だけでなく、「パリの恋人」の衣装も
時代を越えてお手本であり続けるんですよね。
イディス・ヘッドの衣装も普遍的な魅力があるし、
いつ見ても新鮮なファッションの数々。
この映画がどんなに凄いかってことは、
「パリの恋人」を見てデザイナーになろうと決意した人が
相当いるっていうことでも知れますよね!

さて、傑作でありながら、突っ込みどころの多い「パリの恋人」(笑)、
湧き出る疑問に快刀乱麻の回答をしてくれるカリンさんの
カリン劇場が間もなく始まります!
開演のブザーがなる前に、席におつきくださいね〜。

2004年8月2日 改訂2004年9月6日
今回は「パリの恋人」について。

「パリの恋人」は、今見てもとっても画面が斬新ですよね!
オードリー自身も“今見ても新鮮です。”って
インタビューで答えてますし。
画面の構成のオシャレ度では、「いつも2人で」と並んで
オードリー作品では双璧だと思ってます!!!
どちらもスタンリー・ドーネン監督の作品。

でこの作品はですねー、最初見た時と今との自分の中での位置が
全然違う作品なんですよねー。
最初見た時はテレビ放映だったんです。
その時はオードリーの声、池田昌子さんじゃなかったので、
ものすごい違和感があって、どーもそれが気になってしかたなかった。
その上90分枠だったので、いまから思うと
ブチブチカットされてたんですよねー。

さらに!僕はあんまりミュージカルに酔えないタチみたいで、
“わー、最低のオードリー作品だー!”っていうのが
初めの印象なんですね。
おそらくその当時にこんなエッセー書いてたら、
ものすごいヒドイ事書いてると思いますよ。
それで後にそれを読み返して
“なんてバカなんだー!”って自己嫌悪に陥るという(笑)。

「マイ・フェア・レディ」は同じミュージカルでも
オードリーは怒ったり嬉しい時に歌ってる。
これはものすごい理解できるし、
レックス・ハリスンは歌うと言うより、喋りに伴奏付きって感じですよね。
だからミュージカルというのを意識せずに作品にのめり込めたんです。

でも、この「パリの恋人」はもろミュージカルですよね。
オードリーがやっちゃうんですよ!
え?何を?って、街中で歌い出しちゃうんです、唐突に!!!
♪ボンジュ〜ル パリ〜♪って!
こんなんおかしいやーん!みたいな。
「きれいになるために」というナンバーでも、
初めて歌う曲のはずなのに、マギーとジョーの振り付けが揃うしね。
こんなのフツー考えられないでしょ?

なんといっても最初見た時一番イヤだったのが
オードリーがパブで踊り狂う所。
オ、オードリー、どうしちゃったの??頭、大丈夫???って
見ているこっちが恥ずかしい!みたいな。
あのシーンでオードリーを見ているアステアの気分(笑)。
というわけで、最初は僕の中では最低のオードリー作品。

今の「パリの恋人」の僕の中での位置付けはというと、
50年代のオードリー作品の中でも一番好きな作品なんですよね!
どえらい最初と位置付けが変わってますよね?
これは何度も何度も見直しているうちに、
“あれ?あれれ?なんか凄いぞ、この作品は!”ってんで
どんどん自分の中でのランクが上がって行ったんですね。
楽しいし、美しいし、何度見ても新鮮だし、素敵なストーリーに音楽。

それに、ここでのオードリー、ストーリーに流されて行くだけじゃなく、
自分で動こうと努力しているんですよね。
最後は50年代のオードリーではあるんですけど、
60年代で明確になる“動くオードリー”のハシリは
この作品から始まっているんですね。
もし、“嫌いだから”って理由で再見しなかったら、
この映画の良さに気付かなかった!って思います。
そんなことになったら、えらい損してますよね。あー、見直して良かった!

この作品、カラー設計もすごいですよね!
さすがリチャード・アヴェドン!
アヴェドンはオードリーとすごいゆかりのあるカメラマンですよね。
オードリーがアメリカで一番最初に見たのがアヴェドンだった、
って言ってますしね。
「ジジ」から始まって、晩年のオードリーまで、数々の画像を
残してくれてます。

で、50年代のファッション雑誌をめくるようなタイトルバックから始まって、
日本の、とあるCMでもパロられたことのある編集室のカラフルな扉たち。
そこで展開する「ピンクで行こう!」のナンバー。
時代的にまだフィルムの合成が技術的にうまくいかないためか、
つないでる部分でうっすら筋があったりはするのですが、
もう50年代のファッション雑誌そのもの!
って世界が展開されますよね。
女の子全員の衣装も微妙に違うのがこれまたオシャレ!
これでもかというくらい目にも綾な場面が展開されていきます。
特に、僕の好きなピンクがメインだし!!!
オードリーはまだ出てきてないんですが、
もうここですっかり映画に引き込まれてしまってることに気付くんですよね!
監督も「シャレード」「いつも2人で」のスタンリー・ドーネンだから、
画面も衣装も内容も、もうこれは第1級のオシャレになるのは必然ですもんね!

さて、そのあとで当時世界一のスーパーモデル、ドヴィマが登場し、
そうしてオードリーのいる古本屋に向かうのですけども、
このドヴィマ、声を発すると彫刻のようなお顔にそぐわない声なんですよねー。
なんかどちらかと言うと低めの声で、落ち着いた喋り方なのかな?
と想像するのですけれど、実際に喋ると“キ〜、キ〜ッ!”って感じの
まるでジュラ紀の怪鳥か?みたいな声。
本当にドヴィマがそんな声だったのか、
映画だからそんな声を出させているのかはわからないんですけど、
えらい扱いですよね。スーパーモデルに幻滅しちゃうくらいヒドい。

えらい扱い、といえば、オードリー扮するジョーがかぶれているという
共感主義。これもえらい扱いです。
教祖からしてもうどう見ても、うさん臭いですもんね。
これって当時サルトルが提唱していた実存主義のパロディなんだそうですけど、
「パリの恋人」を見て実存主義の人は怒らなかったんでしょうかね?

でも実存主義だけを笑い者にしているのではなく、
アヴェドンが当時いたファッション雑誌の世界に関しても
最初の編集室でのシーンやドヴィマの扱いで、
さらにはミス・クオリティの発表会で徹底的にカリカチュアライズしてますから、
なにも実存主義だけをヒドイ扱いにしたんじゃないんですよね。
大人であるパリっ子たちもいちいちそんなことで目くじら立てることじゃない!
って思っていたのかも。

で、やっとオードリーが登場するシーンになるんですけど、
古本屋のはしごに上っているオードリーに気付かず、
フレッド・アステア扮するりディック・エイブリー
がその可動型のはしごを勢い良く押してしまうので、
オードリーは“キャ〜〜〜〜〜!”って叫んで端まで行ってガッツーーン!!!
たしかに、たしかにね、画面では最初オードリーがいるってわかりませんよ。
でも、はしごにいるジョーもあんなドヤドヤ入ってきて“いらっしゃいませ”
って言わないのかな?みたいな。
(なんなんだコイツら!って思っていたのかもしれませんけどね。)
ディックやマギーも全体を見渡さないもんなんでしょかねー。

で、こういう突っ込みどころが「パリの恋人」には
やたら多いんですよね(笑)。
でもそんな隙が多い作品である、というのも
この作品を愛してしまう理由の一つなんです。
“隙”と言っても、重要な部分ですきま風が吹いている、という
作品的に出来が悪いって事じゃないんですよ。
むしろ、自分で想像する余地が多く残されている、というべきかな?
この辺はあとで“カリン劇場”でやっていただきますね!
お楽しみに。

2004年7月23日 改訂2004年9月1日

 | BLOG TOP |