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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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 今回はオードリーはオードリーなりに太ったり痩せてたりしていたというお話。

 まずは英国に渡って以降のオードリーで最も太っていた、というか人生で一番太っていたと思われるのは1949年頃(↓下の写真)。
 オードリーは20才前後ですね。「ハイ・ボタン・シューズ」など舞台の仕事が入るようになって、金銭的にもやっと余裕が出てきた頃。

 オードリーの長男ショーンの伝記で1949年頃って載ってた写真が、僕が見たら一発で違う!とわかったのもオードリーの細さとメイク。
 すんごい細いオードリーが1949年ってなってましたけど、1949年のオードリーといえばむしろムチムチ。
 後にその写真は別のショーンの写真集で1955年と訂正されていました。やっぱりな!

AHHBSs.jpg
(出典:SCREEN写真集)

 まあでもここで少しオードリー的には太くなってたのも、若さゆえでしょうね。
 ちなみに太ももはバレエをやっていたため、オードリーの体型から想像されるより元々太いです。

 その後英国映画に出るようになってからは細くなり、いつものオードリー体型に。

 これが渡米後1953年「麗しのサブリナ」撮影〜1954年舞台「オンディーヌ」まで続きますが、メル・ファーラーと結婚後の1954年〜55年にはマスコミに追いかけ回されたのがこたえたのか、ほんの少し痩せています。

 そのあとは1955年夏に撮影の始まった「戦争と平和」ではいつものオードリーに戻していますが、次の56年春「パリの恋人」の撮影前には撮影に備えて踊りのレッスンをしたことにより、またすっかり痩せてしまいます(↓下の写真)。

AHFFMs.jpg
(出典:SCREEN写真集)

 その後56年夏〜秋撮影の「昼下りの情事」、57年2月の「マイヤーリング」まではオードリーにとっての普通くらいに戻りますが、ここで約1年映画の撮影を休んでメル・ファーラーの妻に専念します。

 この間オードリーは幸せだったんだろうなーと思うのですが、1年ぶりに58年1月から撮影の「尼僧物語」で映画に復帰すると少し太っていました。最初のメインタイトルで登場するオードリーは、えっオードリー?っていう感じです。(↓下の写真)

AHNSs.jpg
(出典:SCREEN写真集)

 その後58年夏〜秋撮影の「緑の館」、59年1月から撮影の「許されざる者」と連続撮影で少しずつまた痩せてはくるものの、ハリウッドでのオードリーではこの58年〜59年が一番太い時期でしたね。

 その後は妊娠・出産を経て1960年秋に「ティファニーで朝食を」撮影で映画に戻ってきた時にはまた痩せ気味(↓下の写真。ただしこの写真は裏焼きですね。鼻と口が逆に曲がってます)。

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(出典:映画の友)

 1962年春〜夏撮影の「パリで一緒に」は私生活でも充実していてオードリーにとってのベストコンディションともいうべき状態になっています。この時期がオードリーの美の頂点です。
 残されたスナップ写真を見ても、1962年のオードリーは本当に美しいです!(↓下の写真)

AHPWISs.jpg
(出典:SCREEN)

 その後は63年夏〜冬撮影「マイ・フェア・レディ」での全力投球と公開後のバッシングでオードリーがやつれてしまって、65年夏〜秋撮影の「おしゃれ泥棒」でぐっと細くなり、66年春〜夏撮影の「いつも2人で」ではおそらくメル・ファーラーとの離婚のことを考えていたのだろうなーと思われる激ヤセ(↓下の写真)。

 首とか目の周りとか、明らかにやつれています。肌のコンディションも良くなさそうです。
 昔の写真は今のような修正・加工がされていませんので、当時のオードリーの心情がハッキリ顔に現れていますね。

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(出典:ロードショー)

 67年初頭に撮影された「暗くなるまで待って」ではメル・ファーラーのことは既に見切りをつけたのか、普通に戻したものの(↓下の写真)、撮影終了後の別居、68年の離婚でやっぱり心労でまたもや激ヤセ。一時期は身長170cmに対して、体重38kgまで落ち込むというほどだったそうです。

T1002s.jpg
(出典:SCREEN)

 その後はアンドレア・ドッティと結婚して体重を戻してからは、晩年までそんなに大きな変動もなく、大体同じ感じで維持できていたようです。
 といっても、ドッティの女性問題か、当時住んでいたイタリアの治安の悪さでドッティが誘拐されかけたことによる息子たちへの心配もある73年74年辺りと、92年のガンになってからは痩せていますが…。

 結局おデブさんになった事は1度もないにしても、それなりにオードリー的には太ったり痩せたりしていたんですよね。
 さて、今回のオードリー・ヘップバーンに関するデマは
“オードリーは舞台「ジジ」のためにニューヨークに着いた時にはおデブさんだった!”
これです。ついでにネットでのデマ、
“オードリーは太りやすい体質だった!”
というのも一緒にやっちゃいましょう!

 オードリー・ヘップバーンが舞台「ジジ」のために1952年にロンドンからニューヨークにやって来た時のことですが、18日間の船旅の道中、生まれて初めて母親から解放され、好きなだけ食べて好きなだけ寝ても誰にも文句を言われない生活が出来たため、ニューヨークに着いた時にはすっかり太っていた。というものです。

 ここを誇張して、オードリーのドキュメンタリー番組などではその時のオードリーがすっかりおデブさんだったかのようにしているものもありました。

 実際にはどうだったのでしょうか?オードリーの伝記本が何種類か出ていますので、見てみましょう。

・数キロ増えていた(チャールズ・ハイアム)
・15ポンドも増えていた(バリー・パリス)
・太っていたとの記述なし(イアン・ウッドワード)
・はちきれんばかり(アレグザンダー・ウォーカー)

 これ以外の伝記本と言われているもの…ダイアナ・メイチックの物はデタラメなので完全排除、ベルトラン・メイエ=スタブレの物はそのメイチックの伝記を元にしてるので論外とします。詳しくはこちら

 太っていない〜はちきれんばかりまで幅がありますが、特に信用のおけるチャールズ・ハイアムとバリー・パリスの伝記だと太っていることになっているので、まあ太ったのでしょう。

 ハイアムの数キロだと見た目大差ないと思われますが、バリー・パリスのでは15ポンドとなっています。
 15ポンドはキロに直すと6.8kg。確かにそれだけ太ると見た目は変わってきますね。

 そんな太ったオードリーを見て「ジジ」のプロデューサー、ギルバート・ミラーがダイエットを指示。
 その時食べたのがタルタル・ステーキだと言われています。

 タルタル・ステーキといえば、僕にも思い出が…。

 大学の卒業旅行で友人と3人で海外旅行に行った時、パリのレストランでメニューの内容がわからなくて焦りまくっていました。

 今のようにスマホで翻訳して調べられるわけもなく、ましてやかざして翻訳、みたいなのは夢物語だった頃ですから、肉料理が食べたかった僕は、簡単な辞書だかガイドブックだかで調べて、“Tartare” が肉だということがわかり、よかったー!と思いそれを注文しました。

 ところが!その品が届いたら、なんと生肉のミンチではありませんかっっっっ!!!!
 ええええーっ!と大ショックでしたが、恐る恐る、本当に恐る恐る食べてみました。

 でもその当時はそんな料理があることも知らなかったので、周りにある野菜などと混ぜる、ということもせず、肉は肉、野菜は野菜などと食べていたので、全然味もせず、だんだん気持ち悪くなってきてほとんど残してしまいました。

 その日は1日ひもじい思いをしたはずですが、あまりにも生肉ミンチが気持ち悪くて逆に食欲が失せてしまってました。

 なんかその後、テレビの何かの番組でタルタルステーキが取り上げられていて、外国の現地の人にも知られているけど、みんな、“食べなーい!”と答えていてそりゃそうだよねーと思いました。

 今ならタルタルステーキを “オードリーも食べた料理だし!”ってちゃんとかき混ぜて食べたかも…と思います。
 まあ今ならそもそも注文しませんけどね。

 さて、そんなオードリーですが、実際はどれくらい太っていたのか、実際にオードリーがニューヨークの桟橋に着いた時の写真が残っていますので続きを見てください!

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