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オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
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なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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 1950年代後半、オードリー・ヘップバーンの異父兄が横浜に住んでいたことがわかっています。

 これは僕は最初はなんで知ったのでしょうか?なんだか覚えていませんでしたが(後述)、記憶には刷り込まれていて、そのオードリーの兄を頼ってオードリーの母のエッラが1957年に来日したこと、母が松竹セントラル劇場で「昼下りの情事」を観たことはしっかりずっと覚えていました。

 2000年代になって手に入れた、1957年初公開当時の横浜の松竹ピカデリー劇場独自の「昼下りの情事」のパンフレット(昔は大きな劇場では劇場独自の映画パンフレットを製作していた)ではその母の様子がもっと詳しく書かれていました。

 “東京の松竹セントラル劇場でのロードショーもまったく人気が出ていて、十六日の昼二日目には、オードリー・ヘップバーンのお母さん、エラー・ブァン・ヒームストラーさん(横浜に滞在中)がヒヨッコリ顔をみせて、二階の指定席でじっくり鑑賞した後、観集に紹介された。この日女優の加賀ちか子さんから花束を贈られ観客の拍手にこたえた。
 オランダ貴族らしい上品な態度で、娘の映画はよく見ますが批評めいたことは一切いわないことにしていますと語った。”
(漢字や表記の仕方や日本語の使い方の間違いも含めて、印刷されている原文のままの文章)

 さて、もうだいぶ前ですが、ネット社会になってからふらふらとネットサーフィンをしているとオードリーの兄が日本にいたことについて書かれているサイトを見つけました。
 ところがそのサイトではネットでも長兄のアレクサンデルだったのか次兄のイアンだったのかがわからない、というのと、住んでいたのは練馬だったとか、記事が進むにつれて結局イアンの方だろうということになっていました。

 そのサイトでは僕が2007年に「オードリー・ヘプバーンといつも2人で」の方で書いた上記の「昼下りの情事」横浜ピカデリー版パンフレットがコメントのリンクで貼られていて、そこでもオードリーの兄がどちらかがわからない、とされていました。

 そのサイトは2010年を最後に更新が途絶えていて、残念ながら連絡のしようがありませんので、もっと詳細な話を伺うことはできませんでした。

 ちなみにオードリーには二人の異父兄がいます。
 長兄はアーノルド・ロバート・アレクサンデル・クアレス氏、次兄がイアン・エドガー・ブルース・クアレス氏。
 さて、日本に来ていたのはどちらなのでしょうか?

 実はその時には僕はもっとしっかりした証拠を持っていて、日本に来ていたのは長兄のアレクサンデルの方である、というのは掴んでいました。

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 その証拠となるものは1957年5月号の“映画の友”誌
 そこでは当時日本に居た長兄のアレクサンデル氏本人がA・R・A・クアレスですと名乗って「映画の友」誌のインタビューに日本語で答えています。写真付きで。

 そこで語られていたのは、私は横浜に住んでいる、ということで上記のサイトの練馬は全く関係ありませんでした。
 おそらく噂話が一人歩きしたのだろうと…。
 家族構成もアレクサンデル氏とは全く違うようですし。

 もしかしたらオードリーの長兄が日本から離れた後に後任でやって来た方だったのかもしれませんね。
 それでオードリーの兄という尾ひれが付いたのかもしれません。
 当時外国人はとても珍しかったであろうと思われますし。
 (実際、そのブログの中でも、外国人の女の子を“オードリー・ヘップバーン”だと思い込んでいる子供の話が出て来る)

 さらにアレクサンデル氏は自分が販売部長であると語っています。
 来日は1954年12月。そこから9ヶ月の日本語の特訓を受けたことも答えていました。
 NHKの「私の秘密」というクイズ番組にも出演したことも書かれていました。
 (さらにいうと、アレクサンデル氏はオードリーのことを“オードリーさん”と言ってます。)

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 これは2014年に日本で劇場公開された「マイヤーリング」のパンフレット用のエッセイを2013年9月に映画会社から依頼された時にもハッキリ長兄のアレクサンデル氏が横浜にいた、と書きました。

 さてさらに最近になって、やはりネットサーフィンで「横浜歴史さろん」というサイトでカセイジンさんという方がオードリーの兄について書かれているのを見つけました。

 そこでは横浜にいたのはイアン氏で、シェル石油で支社長をしていて、1953年に入社したカセイジンさんのお父さんの英語の新人研修をされた、ということになっていました。

 えーっ、これほんと?アレクサンデル氏の間違いじゃないの?次兄イアンが日本に居たなんて聞いたこともないよ〜!しかも支店長??と思って直接そのサイトにメールで問い合わせました。
 もしイアンがアレクサンデルと一緒に来日していたなら、それはそれでスゴイ発見です。

 ただし、練馬にいたというサイトでも支店長だと書かれてましたが、支店長は多分に眉唾物だと思っていましたので、こちらは昭和シェルにも問い合わせました。もし支店長クラスなら資料があるのではないかと。

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 さすがに1950年代では古すぎて昭和シェルでもわからなかったのですが、いくら当時は日本が下に見られていたとはいえ、1953年当時だとオードリーより5歳上のイアンならまだ29才。その年齢で支店長はほぼ100%無いですね。
 長兄のアレクサンデルでも33才。やはり支店長には無理がありすぎます。

 特にオードリーの兄達は戦時中にイアンはナチスに捕らえられていたり、アレクサンデルは地下活動をしていたので、オランダが解放された1945年にすぐシェル石油に勤務したとしても8年で支店長は無いと思われます。

 さて、丁寧に書いていただいたカセイジンさんから帰って来たお返事ではお父様から聞いたのは姓がバナレス・クオレスということで、実際にはイアンだとは語られていなかったということでした。

 また、53年にはアレクサンデル氏は来日すらしていなかったのですが、それはお父様が53年入社ということと、“英語の新人研修”というだけで年度はわからなかったとのこと。

 これはお父様の英語の研修は53年ではなさそうですが、55年頃であっても、オードリーの兄に英語を教えてもらえるなんて、これ自体は凄いことですよね!

 のどかな1950年代の横浜で、オードリーの本当のお兄さんにどこかの研修所で英語を教えてもらってる、なんて想像しただけでもホワーンとします。

 さて、支店長だったという部分ですが、1953年当時のことではなく、こちらは別の元になった資料があったということで、その新聞に載った資料を見せていただきました。

 元になったのは2002年3月2日付朝日新聞朝刊第2神奈川版。そこでは西丸與一さんという法医学者の方の思い出話が載せられています。

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 こちらから話が膨らんで、「横浜歴史さろん」さんの方でも楽しい記事をということで、もしオードリーが1970年代に来ていたら?とカセイジンさんの文章が載ったそうです。

 さて、西丸與一さんの文章ですが、こちらはご本人と連絡を取る手段が(手を尽くしましたが)わからないので確認のしようがないのですが、いくつか大きな疑問点があります。

 2002年の25年以上前となると、最低でも1977年以前の話になりますね。

 でもオードリー・ヘプバーンの来日ですが、1983年が最初です。
 1977年以前に日本に来た、ということは当時の映画雑誌でも全く語られていません。

 もしかしてお忍びで?とも思えますが、当時のオードリーはリアルでとても日本で人気があったので、初来日なのにとてもとてもお忍びで来れるとは思えません。

 もっと決定的なのは、1983年の来日前(2月2日)に雑誌“マリ・クレール”誌で3pに渡って受けていたオードリー自身のインタビューでの発言。こちらも手元に持っています。

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 インタビュアー:あなたは今まで、日本に一度もいらっしゃらなかったでしょう?
 オードリー:ええ、何度もご招待を受けながら、一度も実現できなかったのです。

 他にも個人的な資料なのですが、以前こちらのサイトに来ていただいた事のある方から、1983年の来日前に海外の空港でオードリー本人と会った方とメールを交換した事があります。

 その時にオードリー自身が “今度4月に日本に行くのよ。初めて日本に行くの!スゴく楽しみ!”と言っていたという事実。その方にその時オードリーと一緒に撮った写真も見せていただきました。

 オードリーは嘘をつかない人なのですが、オードリー自身が日本には一度も行ったことがない、と2度も断言しているのです。
 もし過去にでもお忍びで兄に会いに来ていたら、その時のことを語っていたでしょう。
 ということはやっぱりオードリーは83年以前には来日していない、と結論づけていいと思います。

 1983年に初来日して奈良ホテルや京都に行った際にも、オードリーは日本人の歓迎ぶりや礼儀正しさに感激しています。

 その時のオードリーの反応なども奈良ホテルの従業員の方や、オードリーの次男のルカ・ドッティ氏のオードリーの伝記によって語られていますが、やはりそこでのオードリーは“初めて”を体験している人の反応です。

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 その時の日本旅行(1983年時には家族揃って日本に来ていた)は後々オードリーの家庭でもずっと語られるほどオードリーにとってもルカにとっても思い出深いものとなったようですが、そのルカの伝記でもオードリーがそれ以前に日本に行ったことがあるとは書かれていません。

 さらに、1971年にオードリーは日本の「エクスラン・ヴァリーエ」のCMに出ていますが、撮影は当時住んでいたローマ。この時のインタビューでも「いつか日本に行きたい」と語っているので、やはりそれ以前には無かったこともわかります。
 
 それにこの西丸氏の文章ではオードリーの兄は “ヘプバーン氏”と書かれていますが、オードリーの兄はオードリーの異父兄ですから、ヘプバーン姓ではありません。

 アレクサンデル氏は“映画の友”誌でも自分を名乗る際には “クアレスです”と語っているように、ヘプバーンなどと自分のものでは無いオードリーの父方の姓のヘプバーンを名乗ることなど有り得ないのです。

 さて西丸氏の文章が作り話や思い違いではなく真実だったとすると、唯一可能性があるのが1959年。

 この年、オードリーは「緑の館」公開の宣伝の為に5月に来日する予定がありました。
 ここなら西丸氏の“25年以上前”という日付にも、離れているものの合致します。

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 ただし、1959年は1月から撮影に入っていた西部劇の「許されざる者」でオードリーは落馬。腰を骨折してしまい映画の撮影が延びてしまいます。4月にクランクアップしますが、腰のためにコルセットはつけたままで撮影しており、当然まだ無理できない状態。さらに撮影後に当時身籠っていたお腹の赤ちゃんを流産してしまいますし、その後には再度妊娠しています。
 結局どのタイミングでも無理はできないということで日本行きはキャンセルになってしまいます。

 この時期ならオードリーの兄のアレクサンデルもまだ日本にいるでしょうし、オードリーが来る予定があった、ということにも無理がありません。ただ、実際には来日はしていませんが。

 それと、70年代後半だとそこまでオードリーの兄が日本にいたということになってしまいますが、それもまた無理があります。

 これは1970年代に出版されたオードリーの2冊の写真集、「カタログ オードリー・ヘプバーン」と「シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン」を紐解いてみます。
 この2冊は僕がオードリーの兄が日本に居た、ということを知ったきっかけになった本です。

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 これら2冊の写真集は、今見てもオードリーの写真集の中でも最優秀の部類に入るもの。
 今となっては珍しい写真と豊富な記事によって、オードリーを知る資料としてもトップランクです。

 そこで載っているオードリーの兄の来日に関することでは、

 「カタログ オードリー・ヘプバーン」(1977年発行)…年譜のところに“異父兄が二人。うち一人は後にシェル石油の販売部長として日本に勤務”の記述
 
「シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン」(1971年発行)…南俊子さんの文章で、“長兄のA・R・A・クアレスは、シェル石油会社の駐在員として来日し、十数年前だか横浜に住んでいたことがある。どこかオードリーに面差しの似た、物静かなハンサムな紳士であった。次兄は当時ジャカルタで父親とコブラの事業に従事していたと聞く。たぶん長男を頼ってであろう、ひっそりと来日した母親エラが、築地の松竹セントラル劇場で「昼下りの情事」を鑑賞している姿が見られた。”の記述

としっかり当時を知っている方の手で書き残されています。

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 僕はといえば、当時は兄のことよりも母が日本に来ていたことの方が重大事項で、そのことは覚えていましたが、兄がどちらだったのか、ということはすっかり記憶から落ちていました。

 でもここでわかるのは、オードリーの兄が日本にいた、ということは71年の段階で既に過去形だったということ。
 西丸氏の書いていたように、77年頃にもまだ居たら、きっとそれらの写真集でも “現在も在住”と書かれていたと思われます。

 あと、“映画の友”誌でのアレクサンデル氏のインタビューでも、「シネアルバム」でも弟のイアンはジャカルタで父とコブラの仕事をしている、と書かれています。

 コブラの仕事ってなに〜!?と思いますが、ジャワではアレクサンデル氏の父の仕事で集めたコブラの油から石鹸やマーガリンを作っていたそうです!石鹸はともかく、食べるマーガリンにコブラの油ってイヤーー!と思いますよね。
 
 兄が弟の居場所を間違えるとも思えませんので、イアンが日本にいた、という可能性はほぼ絶たれたと思います。

 というわけで、日本にいたオードリーの兄はアレクサンデル氏、そして肩書きも本人はマネージャーと言っていたようなので、支店長だと誤解を受けたのでしょう(マネージャーって会社によって役職に幅がありますもんね)。
 さらに、50年代の終わりか60年代初めには日本からは離れていた、と思われます。

 惜しむらくはNHKの「私の秘密」ですよね。もし現存していればもっとオードリーのことをテレビで語っていたと思うのですが、アレクサンデル氏が出演したであろう1956年や1957年は当時録画で使用されていたキネスコープレコーディングやオープンリールの2inchVTRは非常に高価だったために、使い回されていたらしく現存していません。
 なにせあの大河ドラマですらNHKに完全版で現存していたのは1980年のものからだそうなので。

 なお「横浜歴史さろん」さんのカセイジンさんの文章にはその後次兄ではなく長兄であった、という訂正文が記事の最後に掲載されています。

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