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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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スイスの続きです。

“ええっ!!”と固まってしまった僕らを置いて
タクシーの運転手はさっさと帰って行きました。
ぽつんと玄関前に残された日本人の3人。

まさか天下のオードリーを呼び出すなんて考えもしなかった僕らは
万が一オードリーが出てきても何もあげる物もなく、手ぶら。
“わーーー!!どどどうしよ、どうしよ〜〜???”みたいに大パニッーク!!!

“もしオードリーが出てきたらどうする??”という
“何かあげなければ”という意図の僕の質問に、
友人の1人は“そしたら僕はオードリーファンになる!”との答え。
うーんと、違うんだけど〜と思いつつ、
“じゃあオードリーが家に招いてくれたら??”と再度質問。
“そしたら僕はオードリーの大ファンになる!!”と友人。
僕もオードリーの家に招かれた自分を想像して
ホワーンとしてしまったのでした。

が、出てきたのは家政婦さん。
英語がちょっとできる友人が慌てて説明を。
そしたら一旦引っ込んだ家政婦さんと一緒に
日本人という物を好奇心満々で見に来た
その家政婦さんの子供らしき2人が出てきました。
(ショーンとルカでないことは、僕が顔でわかった。
だいたいその内1人は女の子だったし。)

どうやら“オードリーはまだ寝ています”だか
“オードリーはここにはいません”だかの答え。
残念ながらオードリーの自宅には入れませんでしたが、
“写真を撮ってもいいですか?”と僕は聞いて、OKとのこと。
オードリーの部屋はわかりませんでしたが、外観をパシャパシャ
写真に収め、庭も見える範囲で写して僕は大満足でした。

ただ、今は知りませんが、その時はオードリーの家の向いに
馬小屋?らしき物があって馬糞が点々と落ちていて
ちょっとクサかったです。

そしてモルジュに戻るため、オードリーの横の坂を降りて行くと、
途中に郵便局が。
“ちょっと待って!”と友人達に言って、
なにかオードリーの家の記念になるものはないかと
窓口で尋ねるとなんとそこではオードリーの家のイラストの
絵葉書が売っていました。
あるだけ全部買い占めた(と言っても3枚くらいでしたが)
僕はニコニコしながらモルジュへ戻って行ったのでした。

さてそのモルジュでの晩御飯。
友人から“スイスではチーズフォンデュというのが名物らしいで〜”
と聞いたのでレストランでさっそくそれを注文しました。
でも今ほど日本でメジャーな食べ物でもなく、
誰もそれを食べたことがなかったので、チーズだけの鍋と
あまりにも細いフォーク?らしきものに僕らは戸惑いまくり。

名物だ、と言った友人が“確かテレビでは中に肉みたいなのがあったでー”
というので、僕はさっそくそのフォーク?で中を探ってみました。
“なんにもないでー”“おっかしいなー”などと言いつつ、
僕はその細いフォーク?に付いたチーズを食べていたのでした。
“こんなん食べるのに何時間かかるんやろ…”と思いつつ。

すると見るに見かねた別のテーブルにいたおじさんがやって来て、
“あなた何人?わたしイタリア人。”
と言って“これはね、”と、なんとチーズよりはるかに先に
僕らのテーブルに出されていたパンをそのフォークに突き刺し、
食べ方を教えてくれたのでした!

正直僕は顔から火が出るほど恥ずかしかったです。
だってその時その変な食べ方をしていたのは僕だけだったから!!
その時友人はなんとずるいことに
一緒に出されていたサラダを食べていたのでした!
ずるいずるい!ずるすぎるー!!!

★2002年10月24日の文章をほんの少し改訂しました。
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今回はオードリーの家を見に行った時のお話を。その1です。

実はまだオードリーが生きている間に
オードリーのスイスの自宅に行ったことがあるんですねー。
友達2人とヨーロッパへ行ったんです。
最初その海外旅行を持ち掛けてきた友人は
クラシック旅行でドイツとオーストリアだけの
予定だったのですが、どうせ行くなら
オードリーも!と思って次々行く国を増やしました(笑)。
最終的にはイギリス・フランス・スイスを追加しました。

出発の日、なんと恐ろしいことに僕は前日に準備していた
パスポートを忘れて待ち合わせの芦屋に行ったんです!!!
途中で気付き、顔面蒼白になりました。友達に待ってもらって大急ぎで
神戸に取って返し、父親に連絡して駅まで持ってきてもらって
なんとか間に合いました。(←いきなりドジ)
飛行機は伊丹→成田→モスクワ→ロンドンと乗り換えたんです。
で、怖いことに乗る飛行機がどんどん小さくなっていくんですね。
最初はジャンボジェット、次は片側3人ずつ6人で一列。
最後は片側2人ずつの1列4人でした。
“こんなんで本当に着くのか〜〜??”みたいな。
でも上空からイギリスの光(到着は夜でした)を見た時は
感激しましたよ〜!都市はひときわ明るく、
都市と都市を結ぶ道路が黄色い光で結ばれていて、
他はまっくら。“海外に来た!”って実感しましたね。
友人3人と、もーう大はしゃぎ!でした。

最初はイギリス(といってもロンドンだけ)に入ったんですが、
英語のわからない僕は“サイトシーイング!”
だけしか覚えて来なかったので、
入国審査の際、“○△■*?”と何を言われたのかわからず、
とりあえず“サイトシーイング!”と言ったら
“オー、サイトシーイング!”と言って速攻通してくれました。
(きっとあきらめられたんでしょうねー。)
なまじっか英語のわかる友達は受け答えをしていて、
時間がかかっていましたね〜(笑)。

イギリスでは「マイ・フェア・レディ」の舞台になった
コヴェント・ガーデンに行きましたが、映画はセットだったので
「マイ・フェア・レディ」の雰囲気はなく、ちょっとがっかりでした。

次はフランスに行って、シャンゼリゼ公園の中で
「パリで一緒に」や「シャレード」に出てくるメリーゴーランドを
探しまくりましたがありませんでしたねー。
エッフェル塔でもオードリーが「パリの恋人」で
“ボンジュール・パリ〜♪”と歌った展望台に上がりましたが、
ガラス張りでやっぱりちょっとがっかり。
そうそう!ジヴァンシーのサロンにも行きましたが、
“オードリー・ヘップバーン”では通じず、いろいろ発音を変えて
オゥドリー・ヘッバーン”でやっと通じました(オゥとヘッで音をきつく発音)。
本当は上の方の階にある“オードリー専用の椅子”なる物を
見せてもらおうと思ったのですが、やっぱり変な日本人に
見せてくれるわけないですよね〜。
しゃーないので父親のお土産にネクタイを1本買いました。

その次はドイツとオーストリアに入りましたが、
ここはオードリーとは関係ないので
また別の機会にクラシックの方でということで。

次がいよいよスイスです!
日本で事前にオードリーの家がある“トロチェナッツ”と言う場所を
スイス大使館で問い合わせて、モルジュの近くである
ということを聞いていたので、モルジュへGO!
この“トロチェナッツ”、今では“トロシェナ”と言うことが知れ渡りましたが、
当時はこういう書き方をした本しかなく、
僕らは“トロチェナッツ!”と呼んでいました。

宿をとったあと、さっそくオードリーの家に行くために
タクシー乗り場へ!もう僕は1人でワクワクです!
“オードリーの家が見れる!”
フランスでの経験上、どうも自分の発音が怪しいことがわかっていたので、
もう言葉は諦めて、紙に“AUDREY HEPBURN'S HOUSE”
と書いて運転手に見せました。
すると速攻オードリーの家に連れて行ってくれましたよ!
庭は広いのですが、意外と質素な家。緑の屋根にクリームイエローの壁。
さすがオードリーが“ラ・ペジブル(隠れ家)”と呼んだ家。
派手嫌いのオードリーらしいかわいい家でした。
周りは広いなんにもないところでした。
でもまあ、家に入る訳でもなく、単に家を見れればいいや!
と思っていたので、“おおーっ!”ってな感じで僕らが見ていると、
“どうしたどうした!ここがオードリーの家だぜい!”みたいな
身ぶりと言葉で何か言った運転手の手が動いた!と思った瞬間、
“ピンポーン!”
なんと勝手に呼び鈴を押してしまったのでした!!!

★2002年10月14日の文章そのままです。

トロシェナ村、今ではトロシュナ村だと知られてますよね。
16.昔の雑誌を見て思ったこと

最近、昔の映画雑誌を知り合いの方からいただきました。
54年〜72年にかけての物ですが、それを見て思ったことを…

現在の日本ではオードリーは永遠の人気を
保ち続けているかのようなイメージしかないのですが、
実はその時代時代で微妙に扱いが違うんだな、
ってわかったんです。
それがまるでタイムスリップしたかのような、
オードリーとリアルタイムで時を歩んだような
不思議な錯覚に陥りましたねー。
“オードリー頑張れ頑張れ!”って応援したくなるような…。

54年には期待の新人第1位で、まだ「ローマの休日」公開前のため、
海の物とも山の物ともつかない扱いがとっても微笑ましいです。

ところが55年後半、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の公開が
済んだ後でのオードリーの評価は一変。
異常なまでのオードリーブームは過去の物になり、
「ローマの休日」では妖精と騒がれたのに、
「麗しのサブリナ」では妖精のかけらもない、
などと書いてあって、現在オードリーが“妖精”といわれている
代名詞のような「麗しのサブリナ」がこの当時は
そうだったのか!とびっくり。
そして撮影中の「戦争と平和」のことも書いてあり、
ここが正念場、みたいな扱い。
ここは完全にオードリー人気は冷え込んでいるようでした。
実際人気投票でも「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の公開後の
55年初頭の人気投票では“映画の友”では3位、“スクリーン”では第1位だったのに、
56年の人気投票ではベストテンにすら入っていないという凋落ぶり。
「ローマの休日」は単なるブームであり、
決してオードリーは「ローマの休日」1本だけで今の人気を
維持出来たわけではない、というのがはっきりします。
むしろその後の作品群が永遠のオードリーを支えてきた、と。

57年になると「戦争と平和」の公開も終わっており、
「パリの恋人」と「昼下りの情事」が待機中。
ここでのオードリーに関しての文章で
“オードリーを見て早晩人気は没落するだろう、と
予測していた人がいる。私はそれに反対して賭けは今の所私の勝ちだが…
(中略)オードリーが衣装や髪型で騒がれている間は
彼女の永続性は保証されないだろう。”
というのがあって、
誰よりも誰よりも人気が続くオードリーに対して、
こういう見方が当時はあったのか!という驚愕!そして苦笑。
衣装も髪型も不変性の魅力の1つであるオードリーに!
このあと「パリの恋人」と「昼下りの情事」でもう一度
オードリー人気は爆発するのに、
まだまだオードリーの人気と演技って安定した地位を築けていないんだな、
ってとっても不思議ワールドでした。
現在でも続くオードリー人気を教えてあげたいくらい!

さて59年、“チャレンジオードリー”の「緑の館」と「尼僧物語」が
撮影を終わっており、公開間近の段階では当代随一(この言い方も大時代がかってるな〜(笑))の
人気スターとしての地位はすでに揺るぎないものになっていました。
このあたりってオードリーが“スクリーン”や“映画の友”で
何年連続人気投票第1位!というのを爆走していた時期ですよね。
ここは安心して雑誌を読めました。

飛んで65年前半、オードリー「マイ・フェア・レディ」の公開も終わり、
不動の位置をキープしてきたにもかかわらず、
「サウンド・オブ・ミュージック」で出てきた
ジュリー・アンドリュースにな〜んか押され気味。
翌年の人気投票で“スクリーン”“映画の友”どちらもで
オードリーはジュリー・アンドリュースに1位の座を奪われるんですよね。
少し落日のオードリー、という感が漂っていました。

そして66年と67年、オードリーは見事「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」
で復活!!“やっぱりオードリーでなきゃ!”という
すっかり安定した人気を保っているようで一安心。
が、このころは新鮮味という点でアン・マーグレットが
1歩リードしているようで、誌面もずっとアン・マーグレットに
ページが割かれているようでした。

72年になると、すでにオードリーは引退状態。
にもかかわらず前年「エクスラン・ヴァリーエ」のCMがあったためか
人気は衰えることもなく、表紙もオードリー。
雑誌編集者もやはり人気が凄すぎてオードリーははずせないのか、
昔の映画のオードリーをなんとかグラビアに入れなきゃ売れない!
って思っているみたいで微笑ましいです。

全部を通して感じたのはオードリーはやっぱり凄い!ってこと。
それぞれの年度でいろんな当時の人気スターが載っています。
でもね、そのすべてにいるのはオードリーただ1人!
最後の72年の雑誌にいる人でもいまはもう雑誌にいない。
70年代後半から80年代前半にかけて
雑誌から一時消えたオードリーでしたが、
80年代後半から90年代前半にかけて
再び雑誌に登場し、付録もオードリーポスターだとか
ハンドブックだとかが付くようになりました。
今はまた人気も落ち着いていますが、
今でもオードリーのDVDなんかが発売される際は鳴り物入りの宣伝。
改めてオードリーの偉大さを見せつけられた
古雑誌探訪だったのでした。

★2002年10月2日を文字の言い回しを少しだけ改訂しました。

上記の文章から、既に10年以上経っているのですが、
今でもオードリーは“スクリーン”誌のベストテンの常連です。
今年の2013年5月号でも第4位です。
2007年には第1位になっていましたね。
1980年代後半〜90年代前半のようなブームではありませんが、
未だにたまに女性雑誌で特集が組まれています。
昨年は「VOGUE JAPAN」と「婦人画報」での特集がありました。

海外でも雑誌の表紙を飾っており、
今年の「VANITY FAIR」でカラーライゼーションされた画像が
表紙&誌面を彩っていました。

写真集や伝記・評論も世界的に出版され続けており、
いまやオードリーは日本よりも世界で人気のある女優さんだと言えるでしょう。

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