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オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
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なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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84.オードリー・ヘップバーンに関するデマ その8:ダイアナ・メイチックの伝記

オードリーは自伝を書きませんでした。決して書こうともしませんでした。
というのも、人間は1人で生きているのではない、どうしても他の人の事まで書かないといけないから、ということで、他の人の暴露的なことまで書いてしまう自伝を良い物とは思ってなかったようです。

自伝は文字通り“自分で書く伝記”なのですが、それが無いオードリーには、他の人が書いた伝記がたくさん存在します。(なぜかネットで自伝と伝記を一緒だと思っている人がいる…。全くの別物ですよー。)
そしてそのうちいくつかは日本語にも翻訳されています。

内容は本当に色々で、オードリーの本当に近しい友人などにインタビューしたもの、当時の映画会社の資料を調べたもの、オードリーの家系を調べたもの、単に既存の伝記を寄せ集めたようなもの、オードリーへの愛情が感じられるもの、感じられないもの、など、さまざまです。

これだけたくさん、いまだに出ているという事は、オードリーは今でも “お金になる” んでしょう。
そこに目をつけた、金儲けだけのために書かれた伝記というものも残念ながら存在します。

その中で、決定的に世の中に害悪を垂れ流しているオードリーの伝記があります。それが
ダイアナ・メイチックの伝記!

これが日本で発売された1994年当時の本の帯のキャッチコピーを見てみましょうか。

《死を予感したオードリーが全人生を語り尽くした!! 最初で最後のヘプバーン公認の評伝》

この本のウリは、オードリーが実際に会ったり電話したりで、この著者のインタビューに答えて語った、ということでした。

もちろんそしたらどの伝記よりも信頼度が増しますよね。
この本だけで語られている事もたくさんありました。

それまではチャールズ・ハイアムの伝記に基づいて書かれていたオードリーのことは、この本の出版と共に、一気にこの本を参考として書かれる事になりました。

でも、内容はオードリーらしからぬ発言が多々出てくるんで、最初に読んだ当時から“おかしいなぁ…。”という感じはしたんですよね。

オードリーって、一緒に仕事をしたスタッフたちの苦労を思って、決してどの作品も悪く言わない人だと言われてたんですよね。
でもそんなオードリーが“あの作品は最低だった。”とかって発言をしてる。
今までのオードリーの言動からはかけ離れてたんですよね。

それまでのオードリーファンなら、なんか根底に流れてるオードリーの性格が違う、というのを感じるんですよね。ここで描かれるオードリーは、オードリーの顔をした別人。

すると!1998年に出たバリー・パリスの伝記の最後の方に、このメイチックの本を読んだ息子ショーンや最後の恋人ロバート・ウォルダーズが激怒し、メイチックを訴えた事が書かれていました。

なんと、ダイアナ・メイチックがオードリーと会ってました、とか、電話でインタビューしました、という日にちと時間は、その時の電話の記録、オードリーが実際に何をしていたかというウォルダーズがメモしていた記録を調べると、オードリーはユニセフの活動で家にいなかったとか、病気で臥せっていて、電話出来る状態ではなかった、また実際に電話していた記録も無いというのが次々に暴かれてしまいました。

ということで、この本は嘘にまみれた、金儲けを企んだ作者の、いい加減な最低最悪な本ということが世間にバレてしまったんですよね。

実際、この本が嘘っぱちだということがバレると、本の内容がおかしな件がいっぱい出てきました。

オードリーが自分の本名を“エッダ”だといっていたかのような発言、ショーンの誕生日は7月なのに1月になっている。オードリーは拒食症、などなど…。

「ティファニーで朝食を」を久々に見たオードリー自身の反応も(オードリーはプレミア以降、自分の映画はほとんど見ない)、ロバート・ウォルダーズに言った言葉は、笑いながら“なかなかいいじゃない?”だったのに、このメイチックのデタラメ本では“これで良かったのか自信が無い。”と言った事になっている。

初公開時くらいにオードリーが自信がない的な発言をしたという話もありますが、このダメ本でメイチックがオードリーにインタビューした(←嘘)という晩年ではあり得ない!
ということは、メイチックは昔の雑誌とかに書いてあったことを持ってきて、さも最近インタビューしたように書いたという事が完全に露呈してますね!

というわけで、この本だけに載っていることは、ほぼ全てメイチックの妄想。
あとは他の伝記から寄せ集めただけという、トンデモ本!!!

アメリカのアマゾンでもこの本は当然のごとく叩かれまくっています。
たま~に事情を知らない勘違いな人がお勧めしてたりするんですが、そういうのは参考にしちゃダメですよね。

一度でもこの本を読んでしまった人は、オードリーの事を書く際に “この話は本当なのかな?”と思って、メイチックの本を確認する、他の伝記も確認するという二度手間以上の労力を割かれてしまう事になりました。

僕も、オードリーのことを書く時には、メイチックのに載ってなければOK、載ってれば他の全ての伝記を調べて、他のに載ってなければメイチックのデマとして扱う、ってことになって、本当にメイチックの呪縛から逃れられません。

今からオードリーの事を調べる人は、ダイアナ・メイチックの本は決して決して読んではいけませんよ!
あ~、読んでない人が羨ましい!!!

それに、あなたがメイチック以外のオードリーの伝記を読んでいて、それらに載ってない事がオードリーのこととして書かれている場合、メイチックの嘘を基にしたことが紛れ込んでいる可能性がありますので、要注意です。

ところが、この本の発売時のキャッチコピーのせいで、未だにこの本を参考にオードリーのことを書く記事や本が後を絶たず…。

バリー・パリスの伝記が発行された1998年以降に書かれた文章では、メイチックの本を参考資料に決して使ってはいけないことは当たり前なんですが、映画関係の仕事に就いている人が、それ以降もメイチック本を参考に書いていたりして、本当にビックリします。

中には、斜め読みで済ませてしまったのか、バリー・パリスの本を読んでいながらまだメイチックを使う人も…。

ネットでも事情を知らない人が未だにこのダイアナ・メイチックの本を薦めたりしてますが、決して決して買って読んではなりませんよ!!

ちなみにバリー・パリスが出るまでの97年までにメイチックを信用して書いた文章は、当時は世間的にオードリーが言ったという事になってしまったのでまあ仕方ないです。
でも98年以降にこのメイチック本を参考資料にして書いた本は、完全にアウト!です。
それらの執筆者はプロとして原稿料と印税をもらってオードリーのことを書いているのに、きちんと調べていない!ということになりますもんね。

以下に98年以降の発表でメイチックを基に書いてしまっているダメダメ本を列挙しておきます。
これらは“嘘が混じっている”ということで、オードリーに関して調べる際に、注意するか避ける事をお勧めします。

●吉村英夫氏「誰も書かなかったオードリー」(2001)
●清藤秀人氏「オードリー・ヘプバーン98の真実」(2007)
●伊上 冽氏「オードリーを愛した名監督たち」(2007)
●山下典子氏「スクリーン+プラス vol.18」(2009)

[追記]
●福田和也氏「世界大富豪列伝『蕩尽の快楽』第125回 オードリー・ヘプバーン」(『週刊現代』2015年5月30日号:しかもこれはメイチックに次いでヒドいメイエ=スタブレの伝記も参考にしています。)
[追記ここまで]

“スクリーン”の近代映画社の本が多いですね。
メイチックがデタラメと息子たちに訴えられた件は、清藤さんの本が出た際にスクリーン編集部に電話したのですが、その後の出版物でも続いていますね。
せっかくオードリーに優しい“スクリーン”なのに、中身が嘘なんて本当に残念です…。

なお、オードリーに関しての第一人者の清藤秀人さんにはきちんと伝わったのか、その後は決してメイチックの本は参考資料でお使いになっておられません。
でもきっと清藤さんもメイチックの伝記にはその後も苦しめられていると思いますよ。これって本当の事だったっけ?それともメイチックのデマだったっけ?みたいに。

ウィキペディアでも参考文献にメイチックが未だに載ってたりしますが、本当にやめて欲しいです。
ここを読んでいただいた方は、絶対に絶対に参考になんかしないでください!
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 今回もオードリーに関するデマを書きます。今度は「マイ・フェア・レディ」にまつわる悲しいデマについて。

 「マイ・フェア・レディ」は途中の休憩の音楽を含めて、元々172分の映画です。
 1994年にリマスター版が作られた際に、リマスター版のスタッフロールがエンディングに1分ちょっと付け加えられて今では173分になっています。

 もちろんこれまで販売されているDVDやブルーレイもすべてそうなっています。リマスター前のLDもそうです。カットなど一切ありません。
 何度も何度も僕が劇場やテレビで見てきたものと全く同じ物が発売されています。
 次のシーンがどういう物であるか全部わかるほど見倒しています。

 ところが!某有名ネット販売のサイトではこの作品に“カットがある!”と書き込んでいる人がいるのです!
 カットされたというシーンは

 1.お風呂に入っている&出てきた後のうっとりしているイライザのシーン
 2.イライザがヒギンズ夫人(教授の母)の元を訪れて話すシーン

 だそうです。

 まず1の方は、イライザは入れられる時に暴れているシーンで終わりです。この後イライザは声だけになり、メイドたちがイライザの古い服を持って出てきて、ヒギンズ教授のシーン&歌に切り替わります。

 お風呂に入っているイライザのシーンが有ったと、なぜ誤解しているのでしょう?
 よくわかりませんが、これは大昔の江利チエミさんや最近の大地真央さんなどの舞台版でそういうシーンがあって、それとごっちゃになっているのでしょうか?

 うっとりしているというのは、「スペインの雨」を歌い終わった後にイライザがぽーっとなっているシーンがありますがそれと混同されているのでしょうか?

 あるいは同じ1964年公開の「パリで一緒に」にオードリーがお風呂に入るシーンがあるので、それと間違えているのでしょう。

 2の方は、もともと教授が来る前にちょっとだけありますが、それ以外にあるというのでしょうか?
 こちらももしかしたら舞台版であったのかもしれません。

 どちらのシーンも、ノーカットだったテレビ放映を録画してビデオで持っているもの、レーザディスク、ビデオ、DVD、最近のテレビ放映の録画、それらのどれにもありません。
 また何度かの劇場公開でも見ておりますが、そのようなシーンはありませんでした。

 また常識的に考えて、このような有名な作品を販売元が “勝手に改変” などするわけがありません。
 制作時に揉めて、監督が思い通りに編集出来なかった作品などならともかく、このような有名作を発売時に何の断り書きもなく監督以外がカットするなど有り得ないと、考えればわかります。

 心にしまっておいた記憶という物は時として思い込みで改変されてしまうものですが、それらのシーンがあったというなら、きちんと具体的に画像などの証拠を出して証明していただきたいと思います。

 さらに他の方からそんなシーンはなかったと指摘を受けると、深夜のノーカット放送で見ました!とさらに思い込みが…。
 83年深夜のノーカット放送を録画して今も持ってますけど、そんなシーンは見事に存在してないです。

 さらに、95年発売のビデオ、96年発売のLD、そして2枚組DVDに収録のメイキングで、94年リマスター時にはオリジナルネガから修復されていることが述べられていました。
 ということは、そのようなシーンが本当に初公開時にあった場合には復元されているはずですが、実際にはその後のリマスター版でもやっぱりそんなシーンはありません。

 もしカットされたシーンが存在したら、リマスターで大きな話題として述べられていたでしょう。
 リマスター前のビデオやLDにもリマスター後のDVDやブルーレイにも無いということは、結局そのようなシーンは元から存在しなかったことの完璧な証明です。

 これらのレビュアーさんも悪気は全く無く、むしろ「マイ・フェア・レディ」をお好きなご様子です。
 ですが個人の思い込みのために、それらを信じる人がこのようにたくさんいて「マイ・フェア・レディ」の売り上げが落ちているとするならば、これは由々しき大問題です。

 そのうえ大好きであったはずの「マイ・フェア・レディ」を、カットされているシーンがある!などと頭から決めつけて映画を完全否定するのは、家族と一緒に観たという懐かしい思い出ごと否定しているようなもので、その人のためにも心が痛みます。
 今見ているDVDの「マイ・フェア・レディ」こそがあなたが大事な家族と見た思い出の映画そのものなんですよ!とわかって欲しいです。

 ちなみに現在「マイ・フェア・レディ」の権利を持っているパラマウントさんにも、念のため問い合わせましたが、カットは無いと返事をいただいています。

 これらの本当に胸が痛くなる残念な書き込みを、レビュアーさん自身で気づいて消していただける事を願っています
82.オードリー・ヘップバーンに関するデマ その6:「ローマの休日」日本初公開日

オードリー・ヘップバーンの映画が日本で初めて紹介されたのは、「ローマの休日」が日本で初公開された日になります。
なので、それがオードリーの日本での初お目見えとなるわけで、当然その日付に興味を持つ人がいるかと思うのですが、とりあえずネットで出回っている情報が間違っています。

1954年4月19日←これがデマ

これ、Wikipedia(ウィキペディア)及びIMDbという、一般の人が普通に情報源として使うであろう所に堂々と掲載されています。
え〜〜〜!いったい誰や?こんないい加減な情報流したのはっ!!

しかもそれらのところには、どの都市で何という映画館で公開されたかも書いていませんし、出典も無し。
もちろんそうですよね。だってそんな日にはどこでも公開されてないんですから!

こういうのを信頼して、ネットで「ローマの休日」の封切日だと書いてる方もいらっしゃるので、本当にwikiでの誤った情報は残念です。

ウィキでのオードリー関連の情報って、以前から本当に間違いが多いと思いますし、情報の重要度の選択もかなりいい加減。正直僕は全然信頼していません。ほんの参考程度。

さて、それでは「ローマの休日」日本初公開の正確な日はと言うと…

1954年4月21日です!

この「ローマの休日」は東京ではなく、地方が先に封切ったということでも有名。
なので、「ローマの休日」の日本で最初に公開したのは長崎県佐世保市の、“佐世保富士映画劇場”というところになります。
“えーーっ、なんで佐世保市??”と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当時の佐世保市は、全国でも23番目に人口の多い市だったので、実はそんなに驚く事でも無いようです。

特にこの佐世保富士劇場は、1952年には大作「風と共に去りぬ」を佐世保で独占上映しており、その当時は劇場独自のパンフレットも作るという、大きく、パワーのある劇場だったようです。

さて、劇場初公開日というのには試写会というものは含めないのは当然ですよね。
そんなものまで含めると、当然映画評論家などが最初に見たのは4月どころではなくなってきますし、一般人は見れません。

では、最近では話題作でよくやる、“先行上映”という形態はどうでしょう?これなら一般人も見れますよね?
これは実は当時から“有料試写会”という名目でやっていました。

それも含めると、確かに甲府の電気館という劇場で4月19日に上映しています(正式な公開は4月27日という、東京と全く同じ日に公開しています)。

えっ、じゃあWikiの情報はそれじゃないの?
でも、それもブッブー!!!

実はそういう有料試写会まで含めると、わかっているだけでも函館のニュー東宝にて4月16日(本公開は5/1)、小樽の映劇というところで4月15日(本公開は5/15)に上映されていることまでわかっています。
4月19日よりもさらに前ですよね。

全国の有料試写会がどういう状況だったかまではわかりませんが、少なくとも最初が4月19日ではない、ということははっきりしています。

ということで、4月19日には何の根拠も裏付けも無い訳ですね。ただのいい加減なデマ。

日本の主な都市での「ローマの休日」の日本初公開日、及びその劇場名を調べてありますので、興味のある方は僕の「オードリー・ヘプバーンといつも2人で」の別館1である「オードリー・ヘプバーン資料室」の方で確認してください。

また、「キネマ旬報」1954年6月下旬号、及びそれの再録である「ベスト・オブ・キネマ旬報」の上巻で、1954年当時のパラマウント社の営業部長 波多野三郎氏の文章が載っているのですが、そこでもはっきりと、日本での先行公開は佐世保富士映画劇場で4月21日と書いてあります。
当時のパラマウント日本支社で「ローマの休日」公開に関わった人の、しかも公開してすぐの時期に言う事に間違いは無いでしょう!

さらに、佐世保の図書館でも、公開日は4月21日で間違いないことを当時の新聞で確認しています。
どなたか「ローマの休日」のウィキペディアでの間違いの垂れ流しをさっさと修正してくれるといいのですが…。


追記:この記事アップ後、takeさんによって早速ウィキペディアを修正していただきました。今ではウィキでは4月21日になっております。
残るはIMDbですが…。日本公開は4月19日だと思われてしまっている、ということですね。間違った情報で全世界の人に伝わる…とても残念です。
さて、今回はもう当たり前みたいになってるけど、実は違うというデマ。
「マイ・フェア・レディ」でのオードリーは口パクで、全部吹き替えられた!
これです。

こんなヒドい話、天国のオードリーが聞いたら泣きますよ、ホンマに…。

オードリー、すんごい努力して、撮影前からボイストレーニングを受け、
撮影中も午前中はブースに入って歌を録音しつづけた、
と一番信頼出来るバリー・パリスの伝記で述べられてるんですよね。

吹き替えられる部分があるというのはオードリーも聞いていたでしょうが、
どれだけ自分の声が採用されるかは完成するまでわからなかったオードリー。

おそらく初めてプレミアで見てショックを受けたでしょうねー。
気丈なオードリーはプレミアの人前では耐えたでしょうが、ホンマに家で泣いたと思いますよ。
その上この吹替が原因でマスコミにはバッシングまで始まる始末。
吹替を決めたのは会社であって、オードリーではないのにね。
かわいそうなオードリー…。

“オードリー・ヘプバーンの歌は、一部の歌い出し部分を除いて マーニ・ニクソンによる吹き替えである”
(Wikipedia「マイ・フェア・レディ(映画)」より)
“ヘプバーンの歌声が残されているのは「踊り明かそう」の一節、「今に見てろ」の序奏部、「スペインの雨」での台詞と歌の掛け合い部分だけである”
(Wikipedia「オードリー・ヘプバーン」より)

しかも何度も見直すことが出来るようになったのに
現在まで言われてるのが ↑ のような言い草。
個人のサイトでも大体こんな言い方で扱われてます。

さて出演した全作品中、オードリー・ヘプバーンが「マイ・フェア・レディ」に
最も心血を注いだのはオードリーファンならご存知のはず。
それだけオードリーが「マイ・フェア・レディ」に賭ける意気込みはハンパじゃなかった。
出来もすっごい良かった。

興行収入もアメリカのその年のはもちろん、全映画でもベスト10内に入るヒットぶり。
貨幣価値を直すと、いまだに全映画での100位以内に入ってるし(56位:2013年度現在)。
日本でも、公開当時の記録は凄くて、64年年末に公開されたので、
興行収入が2年に跨がっちゃったんですけど、64年度も65年度も第2位にランクイン。
67年「おしゃれ泥棒」公開後までの時点でも、日本公開の全映画で第3位か第4位に入る超ヒット。

そんなアカデミー作品賞まで取るような名作で、オードリーはアカデミー主演女優賞のノミネートから漏れちゃった。
でも、単純に考えたらそこまで名作で、主演女優がダメダメ演技ってことはないはずですよね。
そうだったら後世に残る名作にはなれないですし。

まず“口パク”はひどいですねー。
ミュージカル映画の製作の仕方をご存じない?
どの映画でも演技しながら歌ってるのをそのまま上映してるんじゃないです。
まず先に歌の吹き込みがあって、それに合わせて俳優は演技するんです。

そんなこと言ったら、ミュージカルの女王のジュリー・アンドリュースだって口パクになっちゃいますよ。
「サウンド・オブ・ミュージック」でも、冒頭のシーンの山で歌うジュリーについて自分で
“先に吹き込んでおいた歌に合わせて口パクで演技したの。”って言ってますし。
オードリーもうひとつのミュージカル、「パリの恋人」で歌うオードリーも、
もちろんそうやって演技してます。
それが当たり前。

当たり前じゃないのは、「マイ・フェア・レディ」の共演者のレックス・ハリソンが
“二度も同じように歌えるか!”ってんでわがままを通して
ネクタイピンにマイクを仕込ませて同時録音したのがむしろ例外。
もっともあれは歌うというよりほぼ伴奏付きセリフだったしね。それだから出来たワザ。

だから、オードリーも自分の声に合わせて演技してるのもあるんでしょうねー。
で一部マーニ・ニクソンの歌とオードリーの口がズレる。

さて、採用されたオードリーの声は “歌い出し” だけでも序奏だけでもないんですよね。

「今に見てろ(JUST YOU WAIT)」の曲の構成って、
めっちゃ単純に書くと A→B→A ってなってるんですけど、
Aに当たる部分は全部オードリーの声です!
Aは怒ってる部分、Bは王様が出て来ておしとやかになる部分です。

後半で出てくる、家出前の「今に見てらっしゃい」のこと?それなら全部オードリーだけど…。
って、違います。前半に出てくるまだ洗練されてないイライザが歌う部分がそうなんです!

てことで、「今に見てろ」に関しては、曲の構成では中間部を除く前半と後半で2/3、
実際のタイムでも半分はオードリーの声が流れてきます。
中間部では王様の歌も入るので、この曲に関してはマーニ・ニクソンよりも
オードリーの方が歌っている時間が長いのです!

たった1曲だけでしたけど、まともに採用されたオードリーの声。
もともと会社の方針で決められた吹替。
それをオードリーにバッシングするなんてお門違いもいいとこですよね。

CBSソニー発売の、新盤「マイ・フェア・レディ」のサントラなんか、
“イライザ:マーニ・ニクソン”
しか書いてないんですよ!そりゃヒドい!
オードリーは全曲吹き替えられた、みたいなデマを鵜呑みにして、
「今に見てろ」や「踊り明かそう」の2フレーズめのオードリーの声を無視した結果ですよね。

それと、各種伝記では“全部吹き替えで行くことが早い段階でオードリーに告げられた”
って書いてあるんですが、僕は最近そうではないのではないか?と思っています。
確かに“吹き替えになる部分がある”というのは告げられていたでしょうが、
全部ではないと思うんです。
その根拠は64年2月号(発売は63年12月)の“映画の友”に載っています。

当時、「マイ・フェア・レディ」の撮影の後半に入っていたオードリー。
順撮りの「マイ・フェア・レディ」で、大使館の舞踏会用のドレスで撮影中だったようなのですが、
(「マイ・フェア・レディ」撮影は63年8月13日火曜日〜12月のクリスマスの数日前まで。
オードリー34才。本当にちょうど50年前の今頃はオードリーが実際に撮影中だったんですね!)
そこでのオードリー本人の言葉。

「歌のナンバーは私も全曲録音しましたが、別にソプラノ歌手のマルニ・ニクソンが吹込んであるのです。どちらを使うかは会社が決めるでしょう。(中略)歌手でない私にとって“一晩中踊っていたい”などの歌はとてもむずかしく大変でしたが、自分ではベストをつくしたつもりです。」(“映画の友”のまま)

これ、“全部マーニ・ニクソンで行く”とは聞いてない人の発言ですよね。
もし聞いてたら、吹き替えられる事がわかってるのに、一番声域的に難しい“踊り明かそう”のことなんか言わない。後ですっごく恥ずかしいじゃないですか。

オードリーはその性格上、嘘は言わない人ですから、
後世の人が書いたものよりも、当時の本人が言っている方を信じるのは当たり前。
伝記なんて、書く人によって嘘もいっぱい混じってますから、参考程度にしなきゃダメ。

それよりも何よりも、“オードリー自身が全曲吹き込んだ完成版の音源がある!”
というところがめっちゃ重要!

ビデオ・レーザーディスク・DVD・ブルーレイの特典で「素敵じゃない?」「証拠を見せて」がありましたし、
YouTubeでは「今に見てろ(B部分もオードリー)」「踊り明かそう」「あなたなしでも」の
オードリーの歌う版も流出してますけど、「スペインの雨」は未発見。
それに少なくともYouTubeのはピアノ伴奏が入ったり、オードリーが歌い終わったあとに
まだダメだわー的なことを言っている未完成版。

ところが、オードリー自身は完成版がある、と言っているのです!
これはワーナー・ブラザーズの倉庫を徹底的に探さなきゃダメでしょう!!
見つかったら本当に大発見ですよ!

今年(2013年)は「マイ・フェア・レディ」撮影から丁度50年。
来年は製作(発表)から50周年!
このタイミングで出さずにいつ出す!?って思うんですけど、
「マイ・フェア・レディ」はなぜか今権利が制作したワーナー・ブラザーズじゃなく、
パラマウントに移ってるしなー、大丈夫かなーって感じなんですよねー。

全曲オードリーの幻の完成版の吹き込みで見る「マイ・フェア・レディ」って
本当に見てみたいんですよねー。
あー、本当に英語さえ出来たら、
直接アメリカのワーナー本社に電話して、オードリーの歌う完成版の存在を教えて、
来年の目玉にしてもらってブルーレイを発売してもらえるように請願するのになー…。

ついでにwikiでは
“オスカーを逃してしまったオードリーの悔しさは相当なものであったらしく、
授賞式後に周囲に激しく八つ当たりする映像が残っている。”
なんて書いてある。これもヒドいね。
個人の感想がダメなウィキでめっちゃ個人の感想付き(笑)。しかも長期間放置。

オードリーの性格上、アカデミー賞がもらえなかった悔しさで八つ当たりは絶対ない!
と断言しときます。
オードリーは全然賞に固執しませんし。
それに常識で考えて、ノミネートもされていないのに賞を取れなかったからアカデミー賞で八つ当たりって論理的におかしいでしょう!

ただ、オードリーはうるさいマスコミやパパラッチにキレることは
何度かあるようで、そういった映像は
おそらくそういうパパラッチに対してのもの。
“イライザの役をあなたが奪ったジュリー・アンドリュースが
主演女優賞取りましたけど、今どんな気持ち?”
“吹き替えだったから賞を逃したと思いますか?”
ってなしつこい質問が飛んだんでしょう。

あるいは身内に不機嫌だとすると、オードリーがこの授賞式でおかした大失敗、
前年度の主演女優賞で、今病床で臥せっているパトリシア・ニールの代理であると
告げ忘れたことを思いっきり自分で自分に腹を立てていたんでしょう。
オードリーってそういう人です。
さて、今回はオードリー・ヘップバーンに関するデマのうち、
最も大きくて最も深刻なデマについて。

今までのデマは、たとえばオードリーが実は胸が大きかった
とかっていうくだらないもので、
笑い飛ばせばいいようなものでしたけど、
これはオードリーが聞いたら、怒り出しそうなこと。

デマの発生源はわからないほど広まっていて、
いったい誰が言い出したのか…。
海外のサイトでもそうなっているようで、
それから来たのか、日本でも
“オードリー・ヘップバーン 名言”
って検索するとビックリするくらい出てきます。
それだけたくさんの人が信用しているってことで、
これは恐ろしいことです。

そんなデマが大々的に広がるのはどんな名言かというと、
オードリーファンなら1度は聞いたことがあるでしょう。これです

“魅力的な唇になるために やさしい言葉を話しなさい。
愛らしい目を持つために 人のよいところを探しなさい。
        (中略)
大きくなればきっと自分にもふたつの手があることを発見するだろう。
ひとつの手は自分を支えるため。
もうひとつの手は誰かを助けるため。”

ってやつです。
上記のは息子ショーンの書いた伝記、
「AUDREY HEPBURN 母、オードリーのこと」(竹書房発行)
からの引用ですけど、他にも

“美しい唇である為には 美しい言葉を使いなさい。
 美しい瞳である為には、他人の良いところを探しなさい 。 ”

“忘れないで、年をとったら自分にふたつ手がある ということを。
 ひとつは自分を助ける手。 そしてもうひとつは他人を助ける手。”

など、いろんな訳でネットに出回っています

これ、デマを流したのは誰かわかりませんが、
最初はこのショーンの書いた伝記か、
あるいはオードリーのお葬式の時に因るんじゃないでしょうか。

ショーンがはっきり書いているのは、
これはサム・レヴェンソン(SAM LEVENSON)の作った詩だということ。
「ときの試練によって磨かれる美(Time Tested Beauty Tips)」
という題名で、オードリーはとてもその文章が気に入り、
最後のクリスマスイブにみんなに読んでくれたと
お葬式の時に話したこと。

これがいつの間にかオードリーが作った名言、
ということにすりかわってしまったようです。

オードリーの胸が大きくてサラシで巻いていた、
などということは、オードリーだけの問題で、
オードリー本人も笑って済ますことができるでしょうけど、
これがオードリーの名言だなんて、
人の物を実質横取りしていることと同じこと。
卑怯なことが大嫌いなオードリー本人が聞いたら
激怒しそうな大問題です。

これの広がりようは尋常じゃないので、
宝島社編集・発行の「人生の指針が見つかる 恋愛の名言1300」
という本にもオードリー・ヘップバーンの名言ということで載っています。

本当のオードリーファンなら、
当然息子ショーンの伝記は読んでいるでしょうし、
この詩がオードリー自身が作った物ではないと
わかっているでしょうけど、適当に聞きかじっただけの人なら、
これがオードリー作だと信じているのでしょうね。

僕はこの文章がオードリーの名言としてネットで載っているのを見ると、
ゾッとしますし、心が非常に痛みます。

とてもいい文章であることは間違いないですが、
誤った認識のために、オードリーが人の物を盗んでいるような状態に
置かれているのは、とても悲しむべきことです。

みなさんも、これを読んでくださったら、
これはオードリー・ヘップバーン作ではなく、
オードリーが好きだった詩、ということで
他の方にも教えてあげてください。


 なんか、めっちゃ久しぶりに記事をアップします。(^^;
 今回もオードリー・ヘップバーンに関するデマに関して。

 で、今回のは“いったい誰が言い出したん?”って笑ってしまうようなデマ、これです。

“オードリーは実は巨乳で、イメージに合わないからと、サラシを巻いて隠していた!”

 えええええ~~~~~~っ!
 どこをどう見たら???(笑)
 オードリー自身が聞いたら、笑いながら“まあ、ありがとう!”って言うでしょうね。
 
 これはネットだけで言われているデマで、こんなことを書かれている本は見たこと無いです。

 イアン・ウッドワードの伝記では、まだ売れない時代のオードリーが写真のモデルになった時、オードリーの胸が小さいので、詰め物をして大きく見せたというエピソードが載っています。全く逆ですよね。

 また、オードリーが水着を着ている画像がいっぱい残されています。
 売れてない時代、映画「いつも2人で」、アンドレア・ドッティと結婚していた時代、晩年にも。
 そこで見れるオードリーは全然胸を押さえてません。でも巨乳じゃないです。

SBSH0308_convert_20111209000257.jpg ←はい、証拠写真。これは70年代にオードリーが海で撮られた写真です。
 胸ないですけど、サラシで押さえてなんかいません。

 他にも、真夏のお話「パリで一緒に」初公開当時の記事で、その当時女性が着るのが当たり前だった下着のスリップをオードリーが着てなかったみたいで、“袖から脇のあたりの肌がのぞいていたのがドキッとしました。”と書かれてました。

 つまり、サラシなんてものは着けてないわけですよね。でも「パリで一緒に」のオードリーだって、別に巨乳じゃない。

 決定的なのは、こないだテレビで放送された「徳光和夫のトクセンお宝映像」って番組。
 徳光さんがオードリーの胸が85cmって言ったら、オードリーと親交のあった加藤タキさんが目を点にして、“オードリーの裸を見たこともありますが、絶対そんなにありません!”と証言していました。

 というわけで、オードリーの胸が大きいだなんてデマは笑い飛ばしてしまいましょう!

 それに、無理に胸を隠すとかって、オードリーの性格から考えても全く有り得ないです。
 オードリーは欠点を隠す人ではなくて、長所をアピールしてきた人ですよね。

 オードリーはありのままでいることが好きな人ですし、胸の大きさなんかに関係なく、僕はそんなオードリーが大好きなんです!
今回も、オードリー・ヘップバーンに関するデマ、その2です。
オードリーに関するデマはまだまだありますからねー。

今回のデマの発信元は、アメリカのThe Internet Movie Database、そう、超有名なIMDbです!

2002年頃だったと思うんですけど、IMDbでオードリーが“A New Kind of Love(邦題:パリが恋するとき) ”にゲスト出演している、と書かれてたんですよね。一応未確認、ってことでしたけど。
ええっ!って思いましたよね。オードリーに関してはかなり詳しいつもりですけど、僕の知らない出演作があった!?って。

今も当時も日本ではこの「パリが恋するとき」のビデオもDVDも出てないんですよね。
でも知り合いの方にこの作品のアメリカ版ビデオをお持ちの方がいらっしゃったので、お借りしたんです。

この「パリが恋するとき」は、ファッション界を舞台にしてる(ポール・ニューマン主演では唯一のロマンティック・コメディらしい)んですが、IMDbでは、オードリーは“runway model”と書いてあったので、お借りしたビデオでは、まずファッションモデルの役をチェック。
…え~と、どこがオードリーですか?(^^;;;
身長もプロポーションもオーラもぜんっぜんオードリーと違いました!

うーん、モデルじゃなくても、出ているのかも…って徹底的に調べましたよ。いっぱい女性が出てくるシーンも!

これは1963年度作品なので、おそらく撮影は1962年。冬服なので、オードリーが出ているとすると、「シャレード」の時期。

ま、確かにパリにいたことは間違いないですよね。でも撮影が遅れた「パリで一緒に」から、オードリーはほとんど休みなしに「シャレード」の撮影に突入してるんですよね。
自分の体と心のためにも、そして家族との時間のためにも、休養をしっかり取るオードリーが、せっかくのを休みをつぶしてまで、さらに別の作品なんかに出るかなー?って。
ましてや一度も共演したことのない、プライベートでの接点もなさそうなポール・ニューマンとジョアン・ウッドワード主演作品ですしねー。

主演2人がカフェにいるシーンでは、後姿が「シャレード」のオードリーそっくりな女性がいるので、“もしやこれが!?”とも思いましたが、どうもうなじの髪の毛の流れがオードリーとは違う。何度も何度も見直しまして、結局その女性が別のシーンで出ているのを発見。オードリーじゃないことが完全に判明。

僕の最終判定では、「パリが恋するとき」にはオードリーはどこにも出ていない!でした。
おそらくね、オードリーにあんまり詳しくないIMDbの執筆者が、ファッションモデル役の人を見て、“これ、オードリーじゃないか?”“ホンとだ!オードリーだ!”ってんで載せたんじゃないでしょうかね。

でも、天下のIMDbですから、影響は大きかったですよね~。この時期に書かれたHPのオードリーの略歴では、かなりこの“A New Kind of Love”が載せられてましたもんねー。

オードリーのHPのBBSでの書き込みでも、自分で確認しないで、“もっとオードリーを見たい人に” とかって“A New Kind of Love”が紹介されてたり、とかね。無責任な書き込みだなーと思いましたよ。もしそれで「パリが恋するとき」を買う人が出たらどないすんねん!って。
僕は確認後だったので、“オードリーは出てませんよ。”ってレスしましたけどね。
書き方も“オードリーがゲストで出てるらしいですよ。”ならわかりますけど、断定ですもんね~。

結局このデマも、2005年にアメリカで「パリが恋するとき」のDVDが出たらしく、オードリーなんて出てへんやん!ってことになって、今はIMDbからはまるでもとから無かったことのようにきれいさっぱり削除されてますけどね。

とにかく、IMDbといえども、なんでもかんでも100%信用したらあかんな~ってことだけはわかりました。日本のWikipediaでも、いまだにデマが堂々と載ってますしね。やっぱり自分で見て調べて判断しないと!ですね。

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(1998/01/01)
Paul NewmanJoanne Woodward

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長らく放置してきました、このブログ、
久々に書いてみたいと思います。

オードリー・ヘプバーンといつも2人で」の方はこまめに記事を書いてるんですけど、こちらはエッセイ用なんでね、
書くことが無いと、どーもほったらになるんですよね(汗)。
まあ、「オードリー・ヘプバーンといつも2人で」の方でも
グッズの紹介に絡めて、かなり自分の考えも書いてるんでね。

これから書いていくのは、

オードリー・ヘップバーンに関する巷のデマ!

これです!

なんか映画雑誌や評論に堂々と載っているものから、
誰が言い出したのかわからん笑ってしまうようなデマまで、
結構色々あるんですよ~!

で、長年オードリーのことを調べてて、
僕が“これはちゃうやろ!”って思ったこと、
ここではそんなデマを色々と取り上げていきたいと思ってます。

皆さんがそういう世間の文章を読んで、
“えっ、オードリーってそうなんや~。”って
そんな誤った情報を信じている純真な方がいたら、
“それは違うんですよ!”って正しい認識になってくれればいいなぁって思います。

ま、でも僕が間違ってる可能性もありますので、
その場合は笑って許してくださいです。(^ ^;;;
でもまあ、オードリーに関しては、
そこそこ自信はありますけどね、エッヘン!( ̄^ ̄)

ではでは、まず今回は第1回目ということで、
明らかな間違いから。

“オードリーの来日は、83年と87年の2回のみである。”
(近代映画社スクリーン+プラス vol.18 他)

う~ん、“スクリーン”の近代映画社さんがこれではダメダメでしょ~う!
オードリーはもう1度来日してますって!
それは1990年!

「オールウェイズ」よりも後に撮って、
実質オードリー最後の作品になった、
「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」の“日本の庭園”編のために、
オードリーは1990年5月に来日して、京都のパナソニックの真々庵と、苔寺(西芳寺)で撮影を行っている事実があります。

でも密かに来日して、そっと帰っていったのか、
この90年の来日のことは、全然知られていませんねー。

僕がこの3度目の来日があるんじゃないか?と思ったのは、
1993年、オードリーの死後初放送された
「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」、
どう考えても87年なんかに企画・撮影があったとは思えないから、
だったんですよねー。

で、ずっともやもやしてたんですが、
調べてみると、このオードリーがホストを務めた番組、
最初のプレビューは90年だか91年だかの春に行われてるんですよね。

「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」は全8編あるんですが、
でも“日本の庭園”編ともう1本は他の6編より少し遅れて放送されてるんです。

となると、オードリーが日本で撮影したのは90年~92年初頭じゃないか、って予想が立つんですよね。

で、「スクリーン+プラス vol.18」で、“87年が最後の訪日になった”
なんて堂々と断言してるので、これはおかしいんちゃうか?って思って
パナソニックの迎賓館である真々庵に直接問い合わせたら、
丁寧に当時の資料を調べてくださって、
90年5月16日か17日にいらっしゃってる、との返事!
もうこれで確実ですよね!

このオードリー特集の「スクリーン+プラス」は、載っている文章が
全然オードリーの資料を詳しく調べてない人が書いたのが丸わかりだったので、疑ったんですけどね。

とりあえず、こういう映画専門誌で、それを書くことを職業にしてるんですから、もっとしっかり調べて欲しいですよね。

というわけで、
“オードリーの来日は83年・87年・90年の3回である。”
が正しいわけですね。


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