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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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DSC_3766.jpg
外から見たAUDREY HEPBURN CAFE

 さてめっちゃ重い写真集を持って、そのまま次は2駅先にあるという「AUDREY HEPBURN Cafe」へ行くことに。

 詳しい場所がわからなかったので、ネットに載っていた住所を元にネットで地図を検索して歩いていったのですが、途中のスーパーを越えてその場所にたどり着いても何にもない…。
 なんか草が生えていて、完全に空き地のような場所…。

 あれー、おっかしいなーと、もしかしたらスーパーの中に?とか再度スーパーを探索しましたが、そこにも無し。
 元々重い写真集がますます重く感じるという気分の中で、さらにその近辺を探しまわることに。

DSC_3780.jpg

 地図の検索で出てきたところの道の向かいに渡ってみて、そこにあった大きな大きなマンションの駐車場の入口にいた人に友人が英語で尋ねても知らないとのこと。

 その友人が尋ねてくれてる時に、マンションの入口に書いている看板?らしき物を見ると『ZENIS TOWER 101』って書いてあったのをチラっと確認。

 もしかしてもう閉店したのかな〜なんて思いながら、もう一度ネットでカフェの公式サイトの住所を確認すると、“ZENIS TOWER 104”って書いてある!
 おおっ、ここやん!って感じで、その大きなマンション群の中へ。

DSC_3777.jpg

 なんとそのマンション群、釜山でも、というか世界でも有数の超高層マンションで、wikiでみると世界で11番目に高いマンションだそうです。80階建て。

 というか、全体に釜山は日本よりも圧倒的に高い建物が多くてビックリしてました。
 日本だと地震があるので、ここまで高いマンションは作れないだろうなーみたいな。建物に被害は無くても、ライフラインが切れた時に50階に住んでます…とかだと、水とか配給されても持って上がれないですもんね(←阪神大震災経験者)。

DSC_3771.jpg

 途中に案内盤があって、101、102、103は載ってたけど、104があるだろう場所には特に何も書いてなかったのですが、そこだろうと見当をつけて行ってみると、友人が “あ、あった!” と見つけてくれました。
 カフェだから、僕はずっと1Fだろうと思っていたのですが、友人が見つけた “オードリー・ヘップバーン・カフェ” は2Fにありました。

 外は暑かったですし、歩き回ってクタクタ。やっと重い写真集を置ける!と思って入口から2Fへ。
 元々コーヒーは匂いは好きだけど、味が好きじゃないので、店頭に置いてあったポスターでススメてた涼しげなティファニーブルーのフローズンを頼むことに。

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 出来上がると呼んでくれるベルにもオードリーが。
 友人が持ってきてくれると、トレイに敷いてある紙にもオードリーがいました。ので、濡れないうちにさっさとその紙ははずして大事に持って帰ることに。

 ネットを検索するとコーヒーの味はそうでもないみたいなんですが、ここのそのジュースはめっちゃ美味しかったですよ!あっという間に飲んでしまって、追加で別の種類も飲んでみましたが、そちらはまあ普通でした。

DSC_3784.jpg
なぜか店の隅でアン王女がジェラートをなめていました(笑)


 店員さんに訊いて、店内を撮らせていただきましたが、こんな感じです。
 店内は本を読んでいる人が多かったですね。店に備え付けの本の中にはオードリーの写真集もありました。

 その後は晩ご飯を食べる為に海雲台や金連山の方に行きましたが、途中ずっと写真集を持ち歩かないといけないので、重くて指が痛くて(ビニール袋が伸びるので)大変でしたが、なんとか歩き通し、ホテルに帰り着いた時にはグッタリでした。

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 でもホテルは日本語の出来るスタッフも居たし、まだ新しいホテルだったのでエレベーターは新品の匂いがしたし、部屋も清潔感溢れるところでした。
 おまけに心配していた日本型のコンセントもあるし、ホテルは予約の際からウォシュレット付きだったし、とても良かったですよ。

 翌日は少し釜山の街中を観光して、日本に帰りました。オードリー展に関してはちょっとガッカリでしたが、友人と一緒だったので全体では楽しい旅行でした。

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「BEAUTY beyond BEAUTY」展入場口前の大看板

 夏の盆休みを利用して、友人と共に韓国釜山での「BEAUTY beyond BEAUTY」展に行ってきました。
 今回はそのレポートを。

 まず関空から飛行機で釜山へ。
 釜山はボーディング・ブリッジではなく、タラップで外に降りてからバスに乗ってターミナルへ行くパターン。

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映画の殿堂前ののぼり

 で、韓国に降り立って最初に気づいたこと。うっ、空気がなんかにおう…。
 友人に“なんかにおわへん?”って言ったら、“キムチのにおいやと思うよ。”とのこと。
 うん、確かに!キムチのにおいや!

 僕はめっちゃ鼻がきくことで親戚や友人との間では知られてるんですよね。
 で、屋外だというのにキムチのにおいがするってことは、やっぱりこういう国ごとのにおいってあるんかなーって考えちゃいました。

 “じゃあ日本は昆布だし、鰹だしみたいなにおいがするのかなー。”とか友人と話ながら歩いてました。
 この日はホテル内以外、道のどこででもこのキムチのにおいというのを感じてたんですが、その日の晩ご飯に自分たちが韓国料理を食べたこともあり、翌日帰る頃にはにおわなくなってました。人間の鼻の慣れって早いなーなんて思ってました。

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映画の殿堂入口

 それと、空港の男性トイレで韓国の人が忘れたパスポートが置いてありました。
 これは忘れた人めっちゃ困ってるんじゃないか??と思ってインフォメーションに届けようとしたら、途中で2人連れのポリスマンが。
 そこで僕は日本語しか話せないので、英語の出来る友人が忘れ物です、って話してくれて無事渡すことが出来ました。

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入口にあったオードリーの看板

 ホテルでキャリーバッグを預かってもらって、早速センタムシティにある “映画の殿堂” へ。
 道中、日本と同じでめっちゃ暑かったです。湿気も高くて、ハンカチなしではいられません。
 でも一歩室内に入るとめっちゃ冷房が効いてるんですよね。節電節電って言われる前の日本みたいでした。
 あ、でも駅は空調のみで冷房が無くて暑かったです。

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入口を入ってすぐに貼ってあった展示会のポスター

 で、映画の殿堂の「BEAUTY beyond BEAUTY」展に着きました。韓国だけのオリジナルのオードリー展。
 釜山では2015.05.09〜9.06までですが、その前にソウルで2014.11.29〜2015.03.08までやっていたんですよね。

 お隣とはいえ海外旅行だし、今の日本と韓国の関係を考えたらまぁ行けないかなーと思っていましたが、同じオードリーファンのmengさんにソウルでの写真を見せてもらったら、かなり大掛かりな展示会だったので、“めっちゃ行きたい!”って思ってたんですが、今回一緒に行った友人のおかげで急遽行けることになったんですよねー。

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衣装の垂れ幕。これは絵です

 入場口前にはオードリーの衣装の大きな垂れ幕が!
 その向かいにはオードリーの大きな画像もありました。
 入る前からめっちゃ期待!

 で、入口にオードリーグッズの売り場があったのですが、友人が “入る前に買ったら重いよ。” と言うので、そりゃそうやと思ってチケット売り場へ。

 そこでは音声解説の貸し出しもあったんですが、当然韓国語なので、それは借りずに、その解説の日本語翻訳版の冊子が売ってたので、それを買いました。1冊1000ウォン(約110円)。他にも英語版と中国語版が売ってたようです。

 そこの受付には日本語の出来る女の子もいて、とても親切でしたよ!なので、その方からチケットを買い、説明を受けて中へ。内部の写真撮影はダメとのことでした。

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画像の大パネル。グッズ売り場と入口はこの左

 写真が撮れないのでどんな感じかというと、壁にパネルでずらっと画像が展示してあって、そこに韓国語で説明文も載っていて、ずっと歩いていくというもの。
 オードリーの先祖の写真から始まって、オードリーが赤ちゃん〜子供の時、イギリス時代、そしてハリウッド時代、晩年というふうにずっと展示してありました。

 オードリーには特に興味が無い友人に説明していたんですが、普通の声だったんですけど、僕の声は昔からよく通ると言われている上に(小学校時代にも、隣の席の女の子と授業中にヒソヒソ話してたんですが、先生に“あんたの声はよく通るから丸聞こえよ!”って注意された…)日本語なのでちょっとうるさかったらしく、受付の日本語の出来る女の子がやってきて、“どうかお静かに” って注意受けちゃいました。
 なので、その後はずっとヒソヒソ声で説明していました。

 途中にはちょっと暗いゾーンや部屋があって、そこではオードリーのプライベートな映像(アンドレア・ドッティとの結婚式、ルカを抱くオードリー)やオードリーのハリウッド時代の映画をずらっとちょっとずつ繋いだ物、ユニセフでの活動とインタビューがずっと上映されていました。

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映画の講演会もあったみたい。そのポスター

 …とかって歩いていくと、晩年の(裏焼き)オードリーの大きなパネルが出てきて終わり。
 そこにある幕を上げて外へ出ると、えっ、元のグッズ売り場???

 えーーーーーーーーーっっっっっっっっっ!!!!!!

 まじでコレで終わり????

 いや、mengさんに見せてもらったソウルのとは全然違うやん!
 確かオードリーの衣装やグッズやアカデミー賞のオスカーが展示してあって…って全然無いやん!!

 以下3点の画像はソウルでの「BEAUTY beyond BEAUTY」展の画像をmengさんに送っていただいた物です。
 (mengさんから画像の掲載の許可ももらっていますが、著作権はmengさんにありますので、無断転載はやめてください。)

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ソウルでの展示会。豪華!©mengさん


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ソウルでの展示会。羨ましい!©mengさん


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ソウルでの展示会。いいな〜!©mengさん


 2004年〜2005年の日本での “timeless audrey” の時もそうだったんですが、東京や熊本は11のブースで展示してありましたけど、大阪などは会場の大きさの都合で10個のブース、札幌では8つ、最低の京都では7つしかブースがなかったりしましたが、やっぱり首都じゃないと完璧じゃないのかなーってちょっと地方都市の悲哀を感じました。

 さて、落ち込んでてもオードリーの衣装など無い物は無いので、グッズの売り場へ。
 絶対買う!と決めていたのは、この展示会の図録というか写真集、「AUDREY HEPBURN:BEAUTY beyond BEAUTY」。
 これは店で売る本の扱いではないので、アマゾンなどでは売りに出ないんですよね。行った人だけが買える超貴重な1冊。

 これを買って他にもグッズを見てみました。
 タンブラーやノートみたいなのは興味ないのですが、気になったのはCD。箱には“ORIGINAL SOUND TRACK”って書いてる。
 でも裏を見ると映画の音楽じゃない。これはこの展示会用の音楽なんだね、みたいな。
 うーん、いらないかな、と思いましたが、友人が記念やから、と言うので、まあそっか、と思ってコレも購入。

 で、写真集を渡されましたが、おっ重い!!!
 サイズもやたらデカいし、これはちょっと…みたいな重量とサイズ。
 入れてくれたのは紙袋ではなく普通の本屋でもらうようなビニール袋だし、重さでビニールの持ち手用の穴が伸びて痛い!

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映画の殿堂の別の場所にあった看板

 この後、2駅先のオードリーカフェに行く予定だったんですが、あまりに重いので、友人が“先にホテルに戻って置いてから行く?”と訊いてきたほどの邪魔さ加減。
 しかも友人はこの写真集のせいで、帰りの飛行機への預け荷物が重量オーバーするんちゃうかと心配し始める始末。

 これ、本の装丁した人アカンでー。
 韓国発で初の本格的なオードリーの写真集やから張り切ったんかもしれんけど、やり過ぎ。
 B4くらいの大きさでハードカバーって、これ何kgあんねん!みたいな。
 こんな重くてかさばるもの、女性は持って歩かれへんで。
 買う人少ないやろなーって思う重さでした。

 その時僕らが2冊買いましたが、どうやらそれが最後の2冊だったらしく、それで完売になりました。危ない危ない!
 値段も本来は70000ウォン(その時のレートで約8200円)が最後の叩き売りで20%OFFの56000ウォン(約6500円)でした。ラッキー!(重いけど…)
 タッチの差で買えて良かったー!(めちゃくちゃ重いけど…)

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映画の殿堂の一部。大きな建物で映画館も併設

 で、ちょっと映画の殿堂の他の部分を回ってから駅へ。
 外がめっちゃ暑いので、途中にある新世界百貨店に入って地下でフレッシュジュースコーナーを見つけて飲んだんですが、その時のドラゴンフルーツ&パインのジュースが美味しかった〜〜〜!今まで飲んだジュースでもトップの美味しさでした!

(つづく)
スイスの続きです。

“ええっ!!”と固まってしまった僕らを置いて
タクシーの運転手はさっさと帰って行きました。
ぽつんと玄関前に残された日本人の3人。

まさか天下のオードリーを呼び出すなんて考えもしなかった僕らは
万が一オードリーが出てきても何もあげる物もなく、手ぶら。
“わーーー!!どどどうしよ、どうしよ〜〜???”みたいに大パニッーク!!!

“もしオードリーが出てきたらどうする??”という
“何かあげなければ”という意図の僕の質問に、
友人の1人は“そしたら僕はオードリーファンになる!”との答え。
うーんと、違うんだけど〜と思いつつ、
“じゃあオードリーが家に招いてくれたら??”と再度質問。
“そしたら僕はオードリーの大ファンになる!!”と友人。
僕もオードリーの家に招かれた自分を想像して
ホワーンとしてしまったのでした。

が、出てきたのは家政婦さん。
英語がちょっとできる友人が慌てて説明を。
そしたら一旦引っ込んだ家政婦さんと一緒に
日本人という物を好奇心満々で見に来た
その家政婦さんの子供らしき2人が出てきました。
(ショーンとルカでないことは、僕が顔でわかった。
だいたいその内1人は女の子だったし。)

どうやら“オードリーはまだ寝ています”だか
“オードリーはここにはいません”だかの答え。
残念ながらオードリーの自宅には入れませんでしたが、
“写真を撮ってもいいですか?”と僕は聞いて、OKとのこと。
オードリーの部屋はわかりませんでしたが、外観をパシャパシャ
写真に収め、庭も見える範囲で写して僕は大満足でした。

ただ、今は知りませんが、その時はオードリーの家の向いに
馬小屋?らしき物があって馬糞が点々と落ちていて
ちょっとクサかったです。

そしてモルジュに戻るため、オードリーの横の坂を降りて行くと、
途中に郵便局が。
“ちょっと待って!”と友人達に言って、
なにかオードリーの家の記念になるものはないかと
窓口で尋ねるとなんとそこではオードリーの家のイラストの
絵葉書が売っていました。
あるだけ全部買い占めた(と言っても3枚くらいでしたが)
僕はニコニコしながらモルジュへ戻って行ったのでした。

さてそのモルジュでの晩御飯。
友人から“スイスではチーズフォンデュというのが名物らしいで〜”
と聞いたのでレストランでさっそくそれを注文しました。
でも今ほど日本でメジャーな食べ物でもなく、
誰もそれを食べたことがなかったので、チーズだけの鍋と
あまりにも細いフォーク?らしきものに僕らは戸惑いまくり。

名物だ、と言った友人が“確かテレビでは中に肉みたいなのがあったでー”
というので、僕はさっそくそのフォーク?で中を探ってみました。
“なんにもないでー”“おっかしいなー”などと言いつつ、
僕はその細いフォーク?に付いたチーズを食べていたのでした。
“こんなん食べるのに何時間かかるんやろ…”と思いつつ。

すると見るに見かねた別のテーブルにいたおじさんがやって来て、
“あなた何人?わたしイタリア人。”
と言って“これはね、”と、なんとチーズよりはるかに先に
僕らのテーブルに出されていたパンをそのフォークに突き刺し、
食べ方を教えてくれたのでした!

正直僕は顔から火が出るほど恥ずかしかったです。
だってその時その変な食べ方をしていたのは僕だけだったから!!
その時友人はなんとずるいことに
一緒に出されていたサラダを食べていたのでした!
ずるいずるい!ずるすぎるー!!!

★2002年10月24日の文章をほんの少し改訂しました。
今回はオードリーの家を見に行った時のお話を。その1です。

実はまだオードリーが生きている間に
オードリーのスイスの自宅に行ったことがあるんですねー。
友達2人とヨーロッパへ行ったんです。
最初その海外旅行を持ち掛けてきた友人は
クラシック旅行でドイツとオーストリアだけの
予定だったのですが、どうせ行くなら
オードリーも!と思って次々行く国を増やしました(笑)。
最終的にはイギリス・フランス・スイスを追加しました。

出発の日、なんと恐ろしいことに僕は前日に準備していた
パスポートを忘れて待ち合わせの芦屋に行ったんです!!!
途中で気付き、顔面蒼白になりました。友達に待ってもらって大急ぎで
神戸に取って返し、父親に連絡して駅まで持ってきてもらって
なんとか間に合いました。(←いきなりドジ)
飛行機は伊丹→成田→モスクワ→ロンドンと乗り換えたんです。
で、怖いことに乗る飛行機がどんどん小さくなっていくんですね。
最初はジャンボジェット、次は片側3人ずつ6人で一列。
最後は片側2人ずつの1列4人でした。
“こんなんで本当に着くのか〜〜??”みたいな。
でも上空からイギリスの光(到着は夜でした)を見た時は
感激しましたよ〜!都市はひときわ明るく、
都市と都市を結ぶ道路が黄色い光で結ばれていて、
他はまっくら。“海外に来た!”って実感しましたね。
友人3人と、もーう大はしゃぎ!でした。

最初はイギリス(といってもロンドンだけ)に入ったんですが、
英語のわからない僕は“サイトシーイング!”
だけしか覚えて来なかったので、
入国審査の際、“○△■*?”と何を言われたのかわからず、
とりあえず“サイトシーイング!”と言ったら
“オー、サイトシーイング!”と言って速攻通してくれました。
(きっとあきらめられたんでしょうねー。)
なまじっか英語のわかる友達は受け答えをしていて、
時間がかかっていましたね〜(笑)。

イギリスでは「マイ・フェア・レディ」の舞台になった
コヴェント・ガーデンに行きましたが、映画はセットだったので
「マイ・フェア・レディ」の雰囲気はなく、ちょっとがっかりでした。

次はフランスに行って、シャンゼリゼ公園の中で
「パリで一緒に」や「シャレード」に出てくるメリーゴーランドを
探しまくりましたがありませんでしたねー。
エッフェル塔でもオードリーが「パリの恋人」で
“ボンジュール・パリ〜♪”と歌った展望台に上がりましたが、
ガラス張りでやっぱりちょっとがっかり。
そうそう!ジヴァンシーのサロンにも行きましたが、
“オードリー・ヘップバーン”では通じず、いろいろ発音を変えて
オゥドリー・ヘッバーン”でやっと通じました(オゥとヘッで音をきつく発音)。
本当は上の方の階にある“オードリー専用の椅子”なる物を
見せてもらおうと思ったのですが、やっぱり変な日本人に
見せてくれるわけないですよね〜。
しゃーないので父親のお土産にネクタイを1本買いました。

その次はドイツとオーストリアに入りましたが、
ここはオードリーとは関係ないので
また別の機会にクラシックの方でということで。

次がいよいよスイスです!
日本で事前にオードリーの家がある“トロチェナッツ”と言う場所を
スイス大使館で問い合わせて、モルジュの近くである
ということを聞いていたので、モルジュへGO!
この“トロチェナッツ”、今では“トロシェナ”と言うことが知れ渡りましたが、
当時はこういう書き方をした本しかなく、
僕らは“トロチェナッツ!”と呼んでいました。

宿をとったあと、さっそくオードリーの家に行くために
タクシー乗り場へ!もう僕は1人でワクワクです!
“オードリーの家が見れる!”
フランスでの経験上、どうも自分の発音が怪しいことがわかっていたので、
もう言葉は諦めて、紙に“AUDREY HEPBURN'S HOUSE”
と書いて運転手に見せました。
すると速攻オードリーの家に連れて行ってくれましたよ!
庭は広いのですが、意外と質素な家。緑の屋根にクリームイエローの壁。
さすがオードリーが“ラ・ペジブル(隠れ家)”と呼んだ家。
派手嫌いのオードリーらしいかわいい家でした。
周りは広いなんにもないところでした。
でもまあ、家に入る訳でもなく、単に家を見れればいいや!
と思っていたので、“おおーっ!”ってな感じで僕らが見ていると、
“どうしたどうした!ここがオードリーの家だぜい!”みたいな
身ぶりと言葉で何か言った運転手の手が動いた!と思った瞬間、
“ピンポーン!”
なんと勝手に呼び鈴を押してしまったのでした!!!

★2002年10月14日の文章そのままです。

トロシェナ村、今ではトロシュナ村だと知られてますよね。
12.オードリー映画と関係する作品

 昔、とある日にぼーってテレビのお昼の映画劇場を見ていました。
 特に見たいという作品でもなく、途中から本当にぼーって。

 全然面白くもなかったのですが、なんとなくちょっと見てしまうと気になりますよね?
 それでなんとなくだらだらと…。
 その作品名は「ギロチンの二人」。

 オードリーの「噂の二人」や「いつも2人で」とは名前は似てるけど、内容は似ても似つかぬ大昔のちっとも怖くないホラー映画。
 しかも低予算の白黒映画でした。
 でも見てるうちになんとなく気になることが…!
 “え?え?ええ~~~っ???”みたいな。
 こんな作品とオードリーの有名作品が繋がっていたのです!!

 オードリーの方はあの「マイ・フェア・レディ」!
 え?どこが?みたいにきっと思うでしょうね。
 舞台はちょっと昔風のおどろおどろしい館。
 何度も出てくるそこの壁紙が最初ちょっと気になったんですよ。
 “あれ?なんか見たことある…。”みたいな。

 で、本気になって注意してみてみるとなんとそこはまぎれもなくヒギンズ教授の家!
 写しているカメラの位置は違うけど、構造からなにから完璧ヒギンズ邸!
 ひえ~~~!びっくり!!

 …セットの使い回しでした。

 大金のかかった「マイ・フェア・レディ」、そのセットも1回きりじゃもったいない!ということで使用したんでしょうね。
 しかしヒギンズ邸はホラーの舞台になる可能性も持ち合わせていたんですね。
 エンドクレジットを見ると1965年度作品のワーナー映画でした。
 ちなみに「マイ・フェア・レディ」は1964年度のワーナー映画です。


 ★2002年6月25日
11.オードリーを映画館で観た時のお話

 前回まで映画音楽の話だったので、今回は肩の力を抜いてオードリー映画を鑑賞した時の僕のお話。

 皆さんはオードリー映画をどうやって見てますかぁ?
 最近は1人で見てる人が多いんでしょうけど、僕は友人を連れて行くことが多いですね。
 ビデオ・LD・DVDになった最近でも家に連れて来て誰かに無理矢理一緒に見てもらう。
 せっかくのオードリー、1人で見るなんてもったいない!
 この感動は共有して欲しいし、感想だって聞きたい!しかもオードリーの布教活動にもなる!ってんで、必ず誰かと一緒に見てます。

 で、ファンになりたての頃「マイ・フェア・レディ」がリバイバルで今はなき神戸新聞会館大劇場という所にやってきました。
 で、映画に興味のない母親を“絶対いいから!”って無理矢理連れて行って、今ではほとんど日本に存在しないでかい劇場での大画面のド迫力と素敵な内容に僕は大感動!!

 みつお:(興奮ぎみに)すっごいよかったよね!!!!どうやった?
 母親:別に
 みつお:・・・・・

 …一撃でした。以後、母親と映画を見に行ったことはありません。

 あと、なぜか「暗くなるまで待って」は名画座でやることが多く、何度も何度も映画館で見ました。
 高校卒業すぐの頃にやっぱり神戸の新開地で別の作品と2本立てでやったので、毎日毎日友人をとっかえひっかえ、高校の先輩の日、同輩の日、後輩の日など、上映期間中数人のグループで見に行きました。

 しかもお手製の白黒パンフレットを作って!
 あんまり毎日行くもんで、映画館の人が“よく来るねー!”って。
 で、同時上映の方のプレスシートをくれました…そっちじゃないって!

 大学の時、やっぱり「暗くなるまで待って」が大阪に来たので、今度は大学の友人を“絶対いいから!”ってひき連れて見に行きまた。
 すると恐ろしいことが…!きゃ~~~~~っ!!!
 …フィルムって1つの作品で何巻もあるじゃないですか。
 それが映画館で間違えたのか、そのフィルムの順番が入れ代わって上映されてしまったんです!!!
 1日の間でいきなり日没になったかと思うとしばらくしてまた太陽がさんさんと!
 むろん筋は通らないし、褒めてくれた友人はひとりもいない…。
 その上“私、映画を見ると必ず寝るのよね~”という高校時代“映画研究会”だったという女の子がいたんですけど、やっぱり映画の間中ずっと寝てる!
 しかも最後の方は起きだして、しっかり“きゃ~~~!!!”って叫んでる!
 “こっ、こいつ何者だ!”って思いました。

 名画座でやるときって、パンフはもうないので一所懸命自分の持っている切り抜きやパンフから白黒コピーで自家製パンフを作りましたよねー。
 「暗くなるまで待って」の他には「初恋」「パリの恋人」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「ロビンとマリアン」なんかも作りましたねー。
 で、見に行ってくれた友人にあげてました。懐かしい思い出です。
 まあ、ゴミとして速攻捨てられたでしょうけどね。
 僕も捨てられるとわかっていましたが、でも作りました!うーん、いじらしい!


 ★2002年6月15日の文章に少し手を加えました。
こちらからは車が邪魔になって、オードリーは見えません。
そして一瞬の間にその車は走り出しました。表門の方へ!

…そしてあっという間に出て行ってしまったのです。
“しまった!!!表だった!!”と思った時はもう遅い。
よく考えれば、そんな普段使わないような門から車が
出て行くわけはないのです。
もし使うとすれば、そこの鍵は早くから開けておくはずです。
大慌てで僕は手を上げてタクシーを拾いました!
“ヒルトンホテルまでっ!!”

ところがすぐにそのタクシーは出ないんです!
いらいらしている僕にタクシーの運転手さんは言いました。

“ヒルトンホテルって赤坂と新宿にあるよ。どっちのヒルトン?”

ええ~~~っ!ヒルトンホテルって2つあるんだ!
そんなのわかんないよー!!

“ここから近いのは赤坂だけどね。”と言ってくれたので、
“じゃあ、そっちへお願いします!急いでください!!”
と言ってそこへ向かうことに。

オードリーが宿泊してるのは赤坂の方であって欲しい!
できればオードリーより先に着いて欲しい!!

赤坂ヒルトンホテル(現キャピタル東急)に着きましたが、
どうせ“オードリーさんは泊まっていますか??”
とホテルの人に聞いても教えてくれないだろうと思ったので、
ヒルトンホテルの前でオードリーがやって来ないかと
手にオードリーに渡すプレゼントを持って待つことに!

4月だから、まだまだ晩は寒い。
薄手のペパーミントグリーンのブルゾンだけの僕は
とても寒かったのですが、
それでもじっとオードリーを待ち続けました。
さらにホテルの中でオードリーが何か食べに出て来ないかと
ホテルの中も注意して見てました。
でも、さすがに長い間待っても、先に出た車が
そんなに後に到着するはずもありません。
本当に赤坂ヒルトンホテルかもわかりません。
5分…10分…15分…30分…

1時間じっと待ちましたが、結局ダメで、
オードリーに僕のプレゼントを手渡して“見る”ではなく“会う”、
そして僕を知ってもらうチャンスを
永久に失ってしまったのでした…。


…この話には後日談があります。
親戚の家の新聞でオードリーの映画「暗くなるまで待って」と
「華麗なる相続人」を池袋の文芸坐でやっていることを
知った僕は翌日、映画を見に行きました。
vol.24参照)そしてその帰り、
近所で映画ショップを見つけた僕は
「昼下りの情事」のオードリーの白黒ポスターを買って帰りました。

そして、4月の16日と17日には大阪フェスティバルホールでも
同じショーをすることがわかったので、
前日までに当時大阪で一番格の高い中之島のロイヤルホテル
(現リーガロイヤルホテル)に
“そちらにオードリー・ヘプバーンが泊まると聞いたのですが…。”
とカマをかけてみましたが、
“そうなんですか?”と答えをはぐらかされてしまいました。
(実際にはやっぱりロイヤルホテルにオードリーは泊まっていた)
大阪にも出かけて行ってオードリーに会えないかと終演後まで
待ちました。

でも大阪にもオードリーが出ているのかどうかわからなかったので、
ショーが終わって出てきたおばさん達に
“オードリーは出てましたか?”と尋ねたら
“出てたわよ~、やっぱり綺麗だったわ~!”というお答え。
しかもこちらはどこから車が出て来るのかさっぱりわからない構造。
どこに泊まるのかわからない状況では先回りもできません。
再びオードリーに会うことは叶いませんでした。

今にして思えば、あの東京でのジヴァンシーのショーは、
逃してはならないオードリーに“会う”ことのできる
唯一のチャンスだったのですね…。

でもあの時渡そうとしていた「エクスラン・ヴァリーエ」の
ブラックドレスを着たオードリーの絵、
元の画像が載っていた“スクリーン”ではジヴァンシーのドレス
となっていたので、オードリーに渡す際に横にいるであろう
ジヴァンシーにも見てもらって、
“ジヴァンシーさんの衣装を着たオードリーさんです!”って
言おうと思っていたのですが、
なんとこの衣装は2000年のオードリー展でジヴァンシーではなく、
ヴァレンティノの衣装であることが判明!
ある意味大恥をかかなくて済んだのでありました。

でも、あのショーの時に他のお客さんと共に
プレゼントを渡していたら…
きっとオードリーと会話はできなくても、
握手は出来てただろうなーって思うのです。
二度と取り返しの付かない失敗だったのでした。
オードリーは“ムーン・リヴァー”をバックに
静かに前に歩み出てきました!

本当にこの席でよかったー!
おそらくあまりに大量のスモークのせいで、
客席にまでスモークが溢れてきて、僕の1つ前の席の人には
すぐにはオードリーが見えへんやろなーって。
僕にはスモークの被害もなく、
歩いて来るオードリーがじっくり見れたんです。

そしてステージ最前部の中央にあるマイクの前に
オードリーが立ちました!!!

席がよかったので、なんと!僕が手を伸ばせば
届きそうなくらい近く!!!!
そんな間近にオードリーが!!!!!
感激のあまり体は震えるし、涙が出そう!

“あのオードリーが、本物のオードリーが
まさに僕の目の前に立っている!!!!!!”

オードリーは「ニューヨークの恋人たち」までしていた
クリクリヘアをやめ、ひっつめの髪型にして、
赤と黒が基調になったドレスを着て、
ジヴァンシーを讃える言葉を述べはじめたのです!
英語なので、内容はちっともわからなかったのですが、
オードリーの生の声が聞ける!それだけで充分感動でした!

慌てて鞄からカメラを取り出し、舞台のオードリーを撮りました。
取り上げられたらどうしようもないので、こっそり1枚だけ。
オードリーが老けたなんて週刊誌が書き立てていましたけど、
実際に見るオードリーはもう言葉で表せないほど優雅で綺麗!!!

やがてオードリーの言葉は終わり、ジヴァンシーを呼びました。
会場全員の拍手と共にジヴァンシーもステージへ!
そしてオードリーと抱擁をかわしました。
そのあと、何人ものお客さんが前に出て、
オードリーとジヴァンシーに花束やプレゼントを渡しています。

僕もファンレターと手紙を持っていましたが、
どうしても会ってサインをもらいたかった僕は、
終演後に直接渡したかったので、その場では渡しませんでした。
それに、大きな花束とかに比べて、
僕のプレゼントはあまりにも貧相だったのです…。

さて、万雷の拍手でショーは終わりました。
終演後にオードリーに会うためには、
次のP.M.7:00からのショーが終わるまで待たなくてはなりません。
それまでショーや舞台を見たことの無かった僕は、
楽屋なんて守衛さんが絶対入れてくれないだろうと思い、
オードリーが車で出て来る所を狙って
待ち伏せすることにしたのでした。

僕はNHKホールの周りを確認して、出口を探しました。
ところが、おそらく出演者やスタッフの出口は1つだけなのですが、
車用の門が2つあったのです!
1つはお客さんの入る側にある開けっ放しの門、
もう一つは鍵がかけられた門。

どちらで待つか悩みました。
とにかく自分が見たショーの長さからして、
おそらく終演はP.M.9:00くらいだと思ったので、
まだまだ時間はあります。

時間つぶしをしないといけないので、
NHKホールの向かいにあったそば屋さんに入りました。
お腹は空いていましたけれども手持ちのお金があんまりないので
贅沢はできません。
カツ丼を頼んでそれを食べ、またNHKホールに行きました。
やがて最後のショーも終わった様子。
お客さんがぞろぞろ出て行きました。僕はじっと待っています。

やがて今度は舞台のスタッフ達が次々楽屋口から歩いて出てきました。万が一のためにそのスタッフの一人に尋ねました。
“すみません、オードリーはどこに泊まっているか御存じですか?”
すると、“ヒルトンホテルじゃないの?ジヴァンシーも
経営に参加してるみたいだし。”との答え。
“ありがとうございました。”と答えていよいよ今度は
オードリーが出て来るのを待ったのです!

さて、車が出て来ると思われる門を決定しなければなりません。
表側の開いている門なのか、横の鍵のかかった門なのか…!
僕は結局、オードリーとジヴァンシーほどの大物だったら、
おそらく鍵のかかっている側から出るだろうと思ったので、
横の門で待つことにして、誰かが鍵を開けに来るのを
暗い中、じっと待っていました。

…やがて、楽屋口に車が横付けされました…。
本物のオードリーを見たお話その1

僕がまだ少年と呼ばれる年令だった頃の1982年、
ある日母親のお店で毎月とっていた雑誌、「婦人画報」
(だったと思うのですが「ミセス」かもしんない)に
ジヴァンシーの30周年記念ファッションショーの事が
大々的に見開き2ページを使って宣伝されてました。
東京のNHKホールで1983年4月に開催されるとのこと。

もちろんもう既にオードリーファンだった僕は、
1982年にニューヨークでは同じ催しが行なわれて、
それにはオードリーも出演していたことは何かの記事で
読んで知っていたので、
“ええ~~~っ!”って思わず声をあげてしまいました。
“もしかしてオードリーが日本に来るかも!?”って。

横にいた母親が“行って来たらいいやん。”
とは言ってくれたんですけど、その時とても貧乏だった僕は
“でもお金ないしなー。”って言ったら、
“お金出してあげるから行って来なさい。”との
ありがた~いお言葉。
それで行けることになりました。

さっそくそこに書いてあった問い合わせ先に電話して尋ねると、
“オードリー・ヘップバーンさんも参加の予定です。”とのこと。

きゃー!きゃーきゃー!!もう僕は舞い上がってしまいました。
“残っている中で一番良い席をください!”って言ったら、
4月13日・14日のうち、4月14日の3回ショーがあるうちの真ん中、
P.M.4:00がいい席がありますよ、とのことだったので、
その電話に出たお姉さんに“それが一番いい席ですよね?”
って何度も念押し。

“はい、かなりいい席です。”との答えだったので、
“じゃあそれをください!”とのことで
その回のチケット購入決定!
ワクワクしながらその日が来るのを待ちました。

…やがてその日がやってきました。前日に新幹線で行き、
東京の伯父さんの家に泊めてもらいました。

さて話は一旦それますけど、
このファッションショーのロビーだったか、
それともジヴァンシーの30周年回顧展なるものが
83年に全国で催されましたから、
そちらでだったのかは忘れましたけれども、
その時期に当時のジヴァンシーデザインの日産ローレル
という車がでーん!と置いてあるのも見ましたし、
オードリーの「ティファニーで朝食を」の
あのつばのでっかいリボン付きの帽子と
それの黒い衣装がレプリカでマネキンに着せて
展示されているのも見ました。
オリジナルは確か古くなって残ってなかったはずです。

一度僕はオードリーに宛ててファンレターを書いたことがあります。
ただ、もうとっくに撮影も公開も終わった「ロビンとマリアン」の
コロムビア社宛だったので無情にも帰って来てしまいました。

それにオードリーを元に描いた絵もいっぱいありましたので、
その届かなかったファンレターと、一番出来のいい
「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーのイラストを
オードリーに会って渡すつもりで持って行きました。
もちろん、終演後にオードリーに会って、
サインしてもらい、握手をし、
僕というファンがいることを知ってもらうつもりで。

さてさて当日、荷物を置いて、いざNHKホールに!
慣れない東京で原宿からNHKホールに早めに行きました。
当時自分が持っていた洋服の中で一番のお気に入り、
ペパーミントグリーンの薄手のブルゾンを着て、
同色のパンツを穿いて。

一応カメラは持ち込み禁止だったと思うけど、
バレないようにこっそり持って入りました。
中に入って持っているチケットで自分の席を探すと…
なんと1階の前から4列目で真ん中より3つほど左の席だったか、
前から3列目の真ん中から4つほど左だったか…。
“すごいすごい!!めっちゃいい席やんかっ!!”って思いました。
“ここならオードリーが間近に見れる~っ!!”って。

すんごい嬉しくて感激しながら着席。
最初は閑散としていた客席も、
時間が迫るにつれてどんどんいっぱいに。
後ろを見回すとどうやらデザイナー学院の生徒も
団体で学校から来ている様子。

やがてブザーの音と共に照明が落ち、
華やかなファッションショーの幕が開きました!!!
ショーはモデルさんが次々に1983年春夏物の
ジヴァンシーデザインの衣装を着て登場!

目にも綾な豪華ファッションの数々!
オードリーが出て来ないので、
僕は実はちょっと退屈してましたけど、
その時に印象に残ったのは当時のジヴァンシーの
白をベースにいろんな柄の入ったチューリップラインのワンピース。
腰から大きく膨れて、膝のあたりに来ると
ちょっと狭くなっている形です。袖も膨れていました。
俗に言う“ちょうちん袖”っていうやつですね。
そういえばその頃のオードリーもそういう衣装で写っていた
画像があったはずです。

さて、いよいよショーも終盤、
モデルさんが後方に勢ぞろいして真ん中だけを大きく開けて、
左右いっぱいに並びました。
そこで照明が落ち、モクモクとスモークが。
そのスモークはどんどん客席の方に流れて来て、
なんと!僕のいる1つ前の席まで覆って
真っ白になってしまったのです。

その時!“ムーン・リヴァー”の音楽が流れてきました!
そして中央にスポットライトが当たり、
本物のオードリーが、
あのオードリー・ヘプバーンが登場したのです!!!

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