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オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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オードリーの時代分け その2

第4期は「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」の3本に日本エクスラン・ヴァリーエのカツラの宣伝を足したもの。
年度は66年から72年ぐらいまで。
ここのオードリーは“新しいオードリー”。

「おしゃれ泥棒」で、それまでとはガラリとメイクを変えて、シャープなオードリーになってます。
さらなるオードリーの変化の幕開けを告げていますよね。
ただ、内容的には第1期と第3期を混ぜたようなオードリーなんですよね。
別に自分に不安な訳じゃないけど、自分でも動くんだけれども、でもピーター・オトゥールに作戦は任せっきり、みたいな。

この第4期のオードリーは、次の「いつも2人で」でより明確になります。いままでになかったオードリー!
作品の出来も素晴らしいのですが、とうとうオードリーは“その後のオードリー”を演じたんですね。
「マイ・フェア・レディ」で微妙に出てたけど、そんなに突っ込んでなかった“恋はしたけれど”のその後…。
サブリナが、ジョーが、ホリーが、ガブリエルが、イライザがその後どうなったのか?
その答えの1つがここにあるというわけです。
もちろんこんな展開は第1期のオードリーでは演じることが無理ですよね。
かといって第2期のまず設定がドラマティックなオードリーでもない。
そこにもここにもいるって言う日常の当たり前の女性をさらっと演じることができなければいけない。
第2期で演技力を磨き、第3期で“オードリー映画”を確立した後でないと出来なかった、2期と3期の見事な融合!
4期で見られるのはまぎれもない新生オードリーなんですよね。
「暗くなるまで待って」もまたこの華奢なオードリーだからこそ盛り上がるサスペンス。
オードリー映画の雰囲気は保ったまま、第2期以上の演技力が要求される役柄を完璧にこなしているんですよね。
「エクスラン・ヴァリーエ」も、なんて事のない役(?)を演じているようですが、この第4期の3作があればこそ、わずかなCMの時間内で何かその生き方を感じさせる女性を見せてくれたんだと思います。

第5期は「ロビンとマリアン」「華麗なる相続人」「ニューヨークの恋人たち」(75年から81年)の3本。
これらの作品では、恋愛の仕方がそれまでの女性達とは違いますよね。
年令を重ねてる分、責任という物がそれぞれにある。
「ロビンとマリアン」では尼僧院長、「華麗なる相続人」では財閥のトップ、「ニューヨークの恋人たち」は妻として母として。

その責任と恋愛との間で悩む訳ですよね。
そして恋愛をする時に、なんか自信がないんです、みんな。
何に自信がないかって、自分の年令に対してなんですね。
オードリーは第4期まで、常に自分より若い年令の役をやってた。
それで「暗くなるまで待って」撮影後にいったん家庭の主婦になってからは、引退じゃないんだけど、しばらく映画に戻らなかった。
でも次々脚本は送られて来る。
オードリーがせっかく読んでも、年令よりやっぱり若いものばかり。
オードリーは自分の年相応の役をやりたかったらしいんですね。
そこで重い腰を上げて選んだのが「ロビンとマリアン」。
“やっと私の年令に近い物が来た!”って喜んだらしいんですよね。
「ロビンとマリアン」のノヴェライズにも“オードリーは2年間も辛抱強くオファーが来るのを待っていた”と書いてますし、1974年の「ロードショー」にも“オードリーがこの作品に出たがっている”と記事が載っています。

で、その後もそういう年令の設定。その上でのラブストーリーだから、そしたら、“私は今は年をとってしまった。そんな私でいいの?”という過程が入って来る訳ですね。

自分は若くて魅力的な女性!という認識をそれほど持たずに、知らず知らず女性の魅惑を放射していつの間にか男性をホレさせていた第3期とは違うのがここです。
恋愛に対して第5期の女性はちょっと臆病なんです。
でも、第1期の女の子みたいに自分の生き方がわからない、というのとはまた違うんですよね。
生き方に対してはきちんと成長した女性だから、鈍感で気付かない、あるいは煮え切らない男達に対して、自分から言う強さも持ち合わせている。
「ロビンとマリアン」では“ロビン、抱いて。20年分抱いて!”「華麗なる相続人」では“あなたの事が好きなの!気付かないの?”「ニューヨークの恋人たち」では“あのロフトで私を奪って!”みんな積極的な大人の女性ですよね〜(笑)。
だからここは“大人のオードリー”。

第6期は、「おしゃれ泥棒2」「オールウェイズ」「オードリーの庭園紀行」(全8巻)の3本(87年から92年)。
ここは“超越したオードリー”。
もうここでは恋愛とあんまり関係ないんですね。
じゃあ「おしゃれ泥棒2」は?あれって恋愛でしょ?
うーん、そうなんですけどねー。どう見てもオードリー演じるキャロラインが恋愛に積極的だとは思えない。
キャロラインは別にどうでもよさそうなのに、周りが放っておかない!って感じで恋愛話が進むんですよね。
だいたい、最初のシチュエーションも婚約者の為に卵を盗む、ってことになってるんですけど、熱烈にその婚約者を愛してるようにも思えない。
だから婚約者の裏切りを知ってヨヨと泣き崩れるんじゃない。だって恋愛に嵌ってないので、自己が崩壊しないから。
それを知ったとき、キャロラインは怒るんです!

「おしゃれ泥棒2」がまだラブストーリーになってるのはオードリーがぎりぎりユニセフ活動前の作品だからかもしれないです。
この第6期は、女性は女性なんだけど、なんかもう性別の部分を越えてる感じがするんですよね。
だから「オールウェイズ」は天使だし、「オードリーの庭園紀行」は世界の庭園のナビゲーター。
もともと「オールウェイズ」のハップの役は「ロビンとマリアン」の共演者、ショーン・コネリーにスピルバーグ監督は依頼したそうですしね。
人にこだわってるだけで、男女にこだわってる訳じゃないでしょ?
だから「オールウェイズ」も「オードリーの庭園紀行」も人を導く、という役目なんですよね。
ほら、オードリーの晩年のユニセフでの活動になんとなく近いじゃありませんかっ!

それに、83年の日本初来日時のジバンシィのショーで本物のオードリーを見たときとか、85年や87年にアカデミー賞のプレゼンターをやっているビデオを見ると、本人は自覚無いみたいなんですけど、“ただものじゃない!”感のオーラが尋常じゃないんです!まさに超越していました。

オードリーには変身ものが多いとよく言われますけど、作品は類型的な物が多いという意見もよく目にします。
でも、同じような役しか出来ないで消えていった俳優、逆にあまりにも違う役柄に挑戦し過ぎてファンの離れていった俳優のなんて多いことか!
こうやって見て来ると、イメージを保ちつつも、オードリー自身がこうして時期時期に自分の分をわきまえた範囲内で変身してきたことによって、伝説の映画スターのトップたりえたんではないのかなーと思うのです。

2004年7月21日 改訂2014年6月26日
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オードリーの時代分け その1

えっと、以前から僕の文章で、“「尼僧物語」は第2期のチャレンジ・オードリー”とかって書いてるんですけど、これについての説明をしてないので、今回はこのオードリーをいくつかの時期に分けて考えてる、というのの説明を。

オードリーファンに関しては約10年ごとに区切ってて、これはVol.25の“昼下りの事情”のところで書いてるんですけど、ここはオードリーの映像作品について分けてみたいと思います。

まずは「オランダの7つの教訓(オランダに関する7章)」「素晴らしき遺産(天国の笑い声)」「ひと粒の野生のカラス麦(若気のいたり)」「ラベンダー・ヒル・モッブ」「若妻物語」「初恋」「モンテカルロへ行こう」「モンテカルロ・ベイビー」の8作品、年代は1948〜1951年。
ここはオードリー端役時代でオランダ・イギリスの作品ですよね。
“オードリー以前のオードリー”という感じですかね。

次は“第1期”。この時代はういういしいオードリーの時代ですね。
「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「戦争と平和」「パリの恋人」「昼下りの情事」そしてテレビ映画の「マイヤーリング」の53年から57年の6本(撮影は52年から57年)。アメリカに渡ってからの作品群です。

たま〜にここに「緑の館」を入れる人がいるんですが、これは撮影順からしても、映画の制作の仕方からも明らかに違いますね。

この時期のオードリーのキーワードは“夢見るオードリー”です。
新人オードリーをいかに売るか、これが映画制作の基本になってますね。ストーリーはほとんどが女の子が憧れる夢のようなラブストーリー。
途中でオードリーの役がいろいろ動こうとも、最後は男の方から手を差し伸べて、ハッピーエンド、というものが多いです。
ここでのオードリーの演じる役柄は、自分の生き方がまだはっきりわからない少女、なんですね。だから普段と違うことに憧れてる。

「ローマの休日」では庶民の娘のように振る舞いたいと思ってるし、「麗しのサブリナ」ではパリで変身してみせる。「戦争と平和」では戦争に憧れてるし、駆け落ちもしようとする。
「パリの恋人」では共感主義なるものにかぶれてるし、「昼下りの情事」は疑似恋愛でプレイガールになってみせる。
「マイヤーリング」では皇太子に夢中ですけど、本当の恋というよりも “恋に恋して” 状態。
みーんな自分に対して自信も持ってないし、心の中ではとっても不安な女の子。
だから、状況は違えど、どれも“本当の私”探しのストーリーになってるんですよね。
だからだいぶ年上の男性に守られて、“ああよかった!”ということになってる。
“これで私の居場所が出来た!”と思って、安心できてるんですね。

その次の“第2期”のキーワードは、“チャレンジオードリー”。
1期の映画をすべて成功させて、女優としてハクのついたオードリーが、“女優として私にどんなことができるのかしら?”って感じで挑戦した作品群。
「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」の59年から60年の3本(撮影は58年〜59年)。
なぜかこの時期のオードリーは顔がふっくら。
「尼僧物語」なんて、目の下に隈を作ったりしてやつれているにもかかわらず、やっぱりふっくら。

作品としては、オードリーにはかなり異色な作品が並びます。
「尼僧物語」は後のオードリー自身を予感させる演技派への挑戦。
「緑の館」はオードリーの妖精としてのイメージを究極まで押し進めた作品。
「許されざる者」はその出生の秘密で話が展開するキャラクターを演じてます。

1期と2期の過渡期的な意味合いもある「マイヤーリング」にもその感じはありますね。
「マイヤーリング」は旦那のメル・ファーラーとセット売りでどうなるかをチャレンジ。

ここではどのオードリーも、一般人ではないんですよね。
オードリーの演じる役柄がすべてドラマティックに設定されています。
第2期の女性達も本当の私探しのストーリーにはなってるんですけど、「尼僧物語」はそのまんま尼僧、「緑の館」は動物と話のできる妖精のような少女、「許されざる者」では白人に育てられたインディアンの娘、という風に、あなたの隣にもいるよ、という女の子では全然ないんですよね。「マイヤーリング」も許されぬ恋に悩む皇太子の恋人だし。
普通は知り合いにはいない女の子、あるいは女性なわけです。
ここが明確に他の時期と違います。

でも、ある意味これがこの時期の弱い部分でもあります。
オードリーもまだそういう “普通じゃない設定” に頼ってるというか、そういう役であることで演技に気持ちを入れることが出来ているというか…。
それに普通の人である多くの観客の側からも “自分とは大きくかけ離れた設定” に感情移入しにくいんですよね。
この時期の作品がリバイバルに恵まれないのは、その辺にも理由がありそうです。
それに、オードリーの作品としては地味な部類ですしね。

第3期は61年から64年の「ティファニーで朝食を」「噂の二人」「パリで一緒に」「シャレード」「マイフェアレディ」の5本。
「ティファニー」と「噂の二人」は特異な設定という意味で第2期と重なってもいるんだけど、オードリーの顔・髪型などから判断して第3期に。

というか、「ティファニーで朝食を」がオードリーの区切りを決定してますよね。
この時期のキーワードは“動くオードリー”です(Vol.2参照)。
ここで「ティファニーで朝食を」についてはどうしても触れないわけにはいかなくなるんですが、もちろん高級娼婦なんて、オードリーにしたらチャレンジ以外の何物でもないですよね。
そしたら第2期の作品になりそうなんですが、完成した作品では“まるでもぎたてのレモンの香りがするような”などという形容でわかるように、娼婦というどろどろしたものをすっかり洗い流して清潔感溢れるオードリーになってます。
そして“オードリー映画”というものを確立してる!

第2期のオードリーはチャレンジして、そしてその役になりきる、ということでしたけど、「ティファニーで朝食を」はチャレンジして、オードリーの作品に作り替える、ということになってますよね。
原作なり脚本なりで創造されたキャラクターを越えて、オードリーの魅力が溢れ出して来るんですよね〜。
たとえば、「マイ・フェア・レディ」も舞台ではジュリー・アンドリュースの作品であったにもかかわらず、オードリーなくしては考えられないエレガントなイライザに消化&昇華されてしまっている!
「パリで一緒に」や「シャレード」もオードリーが動くことによって、その魅力が眩しいほどに輝いています!

だから、「ティファニーで朝食を」は第2期のオードリーの流れでありながら、第2期の終焉を高らかに告げている、という不思議な作品です。
これが「ティファニーで朝食を」がオードリーの当たり役だと言われる所以ですよね。
言葉で表わそうとすると説明が大変なんですが、“このオードリーはなんか違うぞ!”ってみんなが思ったってことはアカデミー賞のノミネートやイタリアのダヴィッド賞の受賞が示してますよね。

さて、同じ夢のようなラブストーリーでありながら、第3期が第1期と決定的に違うのは、第3期の女性はすでに自己と言うか自我というかを確立してる女性なんですね。
バックグラウンドはそれぞれ違うけれど、みんなそれぞれ一定の人生を歩んでる。
「ティファニーで朝食を」はドクによって、「パリで一緒に」のガブリエルは自分で過去の話をしますけど、決してみんな自分の過去を恥じてるわけじゃない。
ホリー・ゴライトリーも別に自分の過去を恥じてルラメイ・バーンズであることを隠してる訳じゃない。
自分で生き方を選んでるから、なんですよね。

だからみんな第3期の女性は自分(あるいは自分の過去)に不安じゃない。
「噂の二人」のカレンも、いくら周囲になんと言われようとも、自分というものはきちんと持っている。
だからこそ一番心細い時なのに婚約者と決別出来るんですよね。
「シャレード」のレジーも、不安なのはダンナに対してで、自分にじゃない。
第3期の女性はみんな前を向いて生きてるんですよね!
3期のオードリーは、すべて最後は自分で進むべき道を選んでいます。

2004年5月10日 改訂2004年8月31日 再改訂2014年5月10日 再々改訂2014年6月26日
オードリーが1983年の誕生日前に53才で来日したとき、
いくつかの雑誌や新聞のマスコミのキャプションで付けられたのは
「ローバ(老婆)の休日」でした。
確かにその当時はオードリー人気が一番下火な頃で、
まだ伝説化していない時でしたが、
この悪意あるタイトルにはがっくりきました。
まあ、単純に誰でも思い付くような
おやじギャグそのものなんですけどね。
おそらくこのようなタイトルを付けた人は、23年経った今、
その当時のオードリーと一緒くらいか、
もっと年をとっているでしょうけど、今その人が年に関して、
そういう扱いを受けて平気なんでしょうかね~。

日本のアパレルのワールドが1982年に“銀座リザ”のCMで
オードリーを起用することになった時、
現在のオードリーのバックに「ローマの休日」の
大きなオードリーの写真を使いたい、
という案があったそうなんですが、オードリーはそれを拒否しました。
「昔の私はきれいだったけれど、とても傲慢だった。
今は外面の美しさは衰えたけれど、内面は当時よりも磨いています。
私は今の私を見ていただきたいのです。」
と言ったそうです。さすがだなーって思いますよね。
やっぱり、オードリー!!
後ろに若い頃の自分を置いて、それで潔しとはしない。
オードリーは若さの輝きは失ったけれど、
今の自分に自信があるんですよね。
ましてや“銀座リザ”は20才あたりがターゲットでもない。
じゃあ「ローマの休日」なんて置く必要は全くない、というわけです。
オードリーは過去に囚われている「サンセット大通り」の
ノーマ・デズモンドちゃうんやし!みたいな。

今でも残念ながら
「老けたオードリーは映画に出てきて欲しくなかった」だの
「見ない方がいいです」といった心ない文章を書く
“自称:映画評論家(のつもり)”な人が一部で見受けられます。
もちろん全員が全員ではないし、「ロビンとマリアン」以外は
作品の質の問題もあるんですけどね。

でもユニセフの活動も含めて
“人間として女優として”オードリーを見ているのと、
20才代の輝きを見て“若さだけ”でオードリーを見ているのとでは
オードリーに対する愛の質が全然違いますよね?

ユニセフの仕事をするオードリーや晩年のオードリーは
表紙にもならないし、扱いも小さい。
ユニセフで必死で子供達のことを訴えるオードリーの映像は
オードリーの特集番組でもあったときにちょろっと流れる程度。
そういうインタビューで映画のことを話すオードリーを残して、
ほとんどカットされてることもあります。

そういうユニセフで活動するオードリーを
“素晴らしい!”とお体裁だけでほめつつ、
同じ文章中で晩年のオードリーを取り上げて
“老醜をさらしてほしくなかった”と書くごく一部の人たち…。

上記の文章や、「ローバの休日」って書く心ないマスコミもいるのに、
“日本はいまだにオードリーを愛している国”
という暖かいショーンのキャプション。
だから僕は「申し訳ない」と思ってしまうのです…。
>オードリーも“妖精みたい!”かもしれませんけど、
実際は人間なんですから、年をとるのは当たり前ですよね。
“老けたから”って書いた人だってとっくにおじいちゃん世代。
若い頃だけ好きだなんて、恋人を、奥さんを選ぶ時に
顔しか見てないヤツみたいで、すごいヤ!ですね。
(これはカリンさんの受け売りですけど…)
しかもオードリーは晩年、心がすっごい美しかったのに!
あれだけ世界の子供達の為に力を尽くしたのに!
…そんなとこはちっとも見てないんだね!みたいな。

しかも“50年代のイメージで食っていた”っていうのは
70年代のオードリーがどう言う状況だったかを
知らないと言わざるを得ない!ですね。
70年代はまんべんなくポスター、売ってましたよ!
むしろ60年代のオードリーの方が多かったくらい。
当時のお店で売っていたオードリーのポスターの画像、
「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」
「昼下りの情事」など。
当時の「スクリーン」「ロードショー」の付録で付いた
オードリーのポスターの画像、
「おしゃれ泥棒」(これがなぜか一番多い)「いつも2人で」
「マイ・フェア・レディ」「緑の館」。
当時のポートレートも、「いつも2人で」「マイ・フェア・レディ」
「暗くなるまで待って」などのオードリーが売ってました。

今なんかとんでもないことに、本来カラーであるべき画像までが
モノクロ化されて出版されるんです!
代表的なのは、“オードリー・スタイル”という写真集。
英語版、ドイツ語版、日本版と売っているのの中身を見ましたけど、
日本版だけしか知らなくて、英語版を本屋で見た時は愕然!
英語版はかなりなカラー画像があるのに、
日本語版は恐ろしいことに、相当数モノクロ化されている上に、
省かれているものまであるんです!
…その後英語版を手に入れたのは言うまでもありません。
ちなみにドイツ語版は晩年のオードリーが表紙でした。

カメラマンは、モノクロ写真はモノクロ用に、
カラーはカラー用に考えて、よりきれいに見えるように
モノクロ用、カラー用のフィルターをかけて写真を撮るのに、
そんなカラー(あるいはグレー)バランスなどお構いなしに
モノクロ化。
カラーって、パソコンやポジなどのRGBと、印刷向きのCMYKっていう
基本の原色がありますけど、
たとえばCMYKの画像をグレー化する場合って、
本当はC(シアン)の成分はどれだけK(黒)に持っていくのか、
M(マゼンタ)は?Y(イエロー)は?
って色々考えないといけないんですけど、
そんなことちっとも考えないでモノクロ化されたオードリーが
みんなの目に触れてるんですよね。
だから、60年代終わり~70年代初期のオードリーって、
色の薄い口紅つけているから、
顔と唇の濃さが一緒になってしまってるんですよね。
かなり、これ違和感あります。

モノクロオードリーもいいですけど、本来カラーの画像なら、
カラーでオードリーを見たいと思いませんか?
オードリーの美しいバラ色の肌、
光のあたり方によってブラウンに見えたり、ブルーに見えたり、
緑に見えたりと色の変わる瞳、そのままで見たいと思いませんか?
僕は見たいです!
この日本での「ローマの休日」偏重傾向が顕著になってきたのは
1984年に始まる日本ヘラルドのリバイバルから。
別にヘラルドさんに非があるわけではなく、
単にリバイバルの順番がマズかっただけなんですよね。

ヘラルドさんに聞いた所、リバイバルの順番は
権利が取れた順だったそうなんですけど、
地味な「噂の二人」でスタートして、そのあと「ローマの休日」
「麗しのサブリナ」と続いたんですね。
それでまず大ヒットしてしまった。
すぐに「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」なんかが続けば
いろんな魅力のオードリーが紹介されてよかったんでしょうけど、
20世紀フォックスさんのこの2作品は許可がなかなか下りなくて
ぐっと遅く、1991年のリバイバルでした。
もうその時には「尼僧物語」と「許されざる者」を除く
53~67年のすべての作品がリバイバルされてたんですよね。
ちょっと遅すぎた…!

でもその84~93年には、絶対にリバイバルはないだろうと思っていた、
オードリーが脇役の「初恋」を含む15作品がリバイバル上映され
(そのうち「戦争と平和」と「暗くなるまで待って」は
2つの会社から別々に2回ずつリバイバルされたという豪華版!)、
さらには「オールウェイズ」までリアルタイムで来ましたけど、
つい去年、2003年にリバイバルされたのは「ローマの休日」だけ。
その後リバイバルは予定すらありません。
「ローマの休日」のリバイバルがヒットしなかったわけじゃないのに、
いったいこれってどーゆーこと??

理由の1つは、80年代前半まで“現役の女優”という
扱いであったオードリーが、80年代後半のリバイバルの嵐以降、
“伝説の女優”という扱いに大きく変わったことだと思うんですね。
そこで最初にリバイバルの来た「ローマの休日」「麗しのサブリナ」
のイメージが付いてしまった。
でも「伝説」だから(ホントのオードリーは当時まだ存命なのに)、
すっかりモノクロ作品女優扱い。
オードリーのモノクロ映画って、本当はカラー作品よりも
ぐっと数が少ないんですけどもね。
なんかイングリッド・バーグマンやヴィヴィアン・リーの世代と
同列になっちゃったっていうか…。

1987年にオードリーを使った清涼飲料水、
ハウス食品の“It's”でも、「ローマの休日」の髪を切った後の
オードリーが使われました。
その後もCMで「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「昼下りの情事」
「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」
「マイ・フェア・レディ」などなど、
いろんなオードリーが続きましたけど、
雑誌の表紙など、少しづつ初期のオードリーに偏っていくんです。
カラーのオードリーも減ってきて、
モノクロがもてはやされるようになってくるんですよね。
そして1993年、オードリーの死と共に日本の一般のオードリーの
イメージは、急速に「ローマの休日」固定になっていくんです!

なぜか?なぜ1993年を境に日本は「ローマの休日」だけに
なっていくのか?それは、まず当時の追悼文を書いた往年の方達が、
どっと「ローマの休日」賛美を書いてしまった。
みなさん、「ローマの休日」初公開で最初にオードリーという
衝撃を受けた方達ばかりだった。
順番にオードリー作品を見た人だったんですよね。
もっと後の世代の方達も書いていれば、「ティファニーで朝食を」
「シャレード」「マイ・フェア・レディ」なんかも
それが最初のオードリーの衝撃となって、
もっと取り上げられたでしょうけど、残念ながらそうじゃなかった。
そして一部の人は、とんでもないことに60年代以降のオードリーを
否定すらしてしまった!!!
“「ロビンとマリアン」以降を見ていない。老けたから”とか
“老醜のオードリーは見たくない。”とか
“オードリーは50年代のイメージで食っていた”!!!とか!
今のアメリカでは、作品も「ローマの休日」だけではなく、
まんべんなく愛されている感じがします。
「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「尼僧物語」
「ティファニーで朝食を」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」
「いつも2人で」「暗くなるまで待って」。
これらがオードリーの代表作として挙げられています。
ほぼ全部の時期のオードリー作品がありますよね。

でも今の日本ではどうでしょう?
「ローマの休日」、素晴らしいですよね。
「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」「ティファニーで朝食を」
「マイ・フェア・レディ」、どれももちろん素晴らしいです。
でもその他の作品は?「シャレード」は?「尼僧物語」は??
「暗くなるまで待って」は???
僕の一番好きな「いつも2人で」は????

なんだか、「ローマの休日」と他の数作品のみで、
あとのオードリーはどうしたんでしょう?
オードリーって「ローマの休日」だけの女優さんなんでしょうか?
みたいな…。

答えは明らかに“否”ですね。
もしオードリーに「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」
しかなかったらどうなっていたか…これがわかる記録があります。
上記2本公開後の1955年の人気投票では第1位になっているのですが、
作品のなかった翌1956年には映画の友とスクリーンで
16位と17位という結果になっています。

その次の年は「戦争と平和」があったので
スクリーンでは7位まで上がってきますが、
なんといってもオードリーの人気を決定づけたのは
57年公開の「昼下りの情事」と「パリの恋人」ですよね。
これらの作品がなかったら、オードリーは
一発屋で終わった可能性も…と。
オードリーの人気を支えてきたのは、
その後の作品だったのじゃないか、と。

これは誤解しないで欲しいのですが、別に「ローマの休日」を
否定しているわけじゃないんです。
「ローマの休日」ってとってもいい作品ですよね。
でも、他にもオードリーには「ローマの休日」に
勝るとも劣らない素晴らしい作品がいっぱいあるでしょ?
ってことを言いたいんですよね。

「ローマの休日」が一番好き!って人がいてもいいですけど、
それだったら「いつも2人で」や「シャレード」が一番好きな人
がいてもいいでしょ?
作品がそれに値しない駄作揃いならともかく、
オードリーの作品はどれも珠玉の宝石のような作品
ばかりなんですよ!
「ローマの休日」を下げてるんじゃなく、
それ以外の作品を上げてるんです!

確かに日本でもまんべんなく愛されていた時期があるんです。
1970年代まではある作品がずば抜けて、ではなく
どの作品も愛されていたようです。
当時の雑誌を見ても、若いオードリーだけでなく
「おしゃれ泥棒」の時期もあり、「パリで一緒に」もあり。
「暗くなるまで待って」もあって、「尼僧物語」もある。
「パリの恋人」だって、「シャレード」だってある。
だって、当時のファンは「ローマの休日」のファンじゃなく、
“オードリーの”ファンだから。

だから、歴代映画の人気投票とかすると、
オードリー作品は票が割れて、どれも上位に来なかったんですよね。
今回はオードリー・ヘプバーンの日本での捉えられ方についてです。

オードリーの息子、ショーンが出した
オードリーの写真集(伝記)を見ていたら、
83年に初来日して、東京でジヴァンシーの
30周年記念ファッションショーに友情出演した時の
オードリーの写真が載ってました。
そこに付いていたキャプションで、
“日本はいまだにオードリーを愛している国”と書かれてたんです。
それを見て思ったのは、“嬉しい!”ではなく、
“なんか、なんか申し訳ない…”でした。

確かに、オードリーは、既に3世代に渡って日本で愛されている
女優さんで、今でも若いファンを続々と作り続けていますよね。
じゃあ、なんで“申し訳ない”のか…。

主役をやるようになって、アメリカ映画ばかりに出演していた
オードリーですが、一時期確かにアメリカでオードリーは
人気がなくなっていたようです。
“同じような役ばかりで、演技に幅がなく面白くない”とか。
70年代~80年代前半にはほとんど忘れ去られた存在だったようで。
僕も、高校時代、先輩の家でアメリカ人の女の子に会いましたけど、
全然オードリーのことなんて知らなくって、
その時「マイ・フェア・レディ」の一部を見てもらった後での
オードリーに対しての感想は“ソーソー”。
要するに“まあまあ”って言ってるんですね。
まあ、ファンの僕がいるから
“まあまあ”で済ませたんでしょうけど、
ホンネは“なんとも思わない”か“好きじゃない”、
へたすると“嫌い!”ってことでしょうね。

ところが、87年頃から“オードリーを見直そう!”
という気運が高まり、ジュリア・ロバーツなどが
“オードリーは私のアイドル”などと発言したり、
オードリーのユニセフでの活動が認められて、
最近はアメリカでも伝説の女優のアンケートで
キャサリン・ヘプバーン、ベティ・デイヴィスに次いで、
第3位にオードリーが入ったりしてますよね。
生前でも、晩年のオードリーがアカデミー賞のプレゼンター
なんかを務めると、会場にいるアカデミーの会員
(俳優・監督など映画に携わる人々)が全員総立ちの、
スタンディングオーベーション!
拍手がしばらく鳴り止まないのです!!
オードリー自身も予期せぬことだったようで、
感激のあまり涙がうるうる…。
あまりにも長い拍手のため、オードリーは一旦壇上から降りて、
会場のみなさんに深々と感謝のおじぎ。
僕も嬉しくって!うっ…(涙)。

よく言われるのが
“オードリーがこんなに人気があるのは日本だけ”
なんですけど、もうそういう言い方がとっくに時代遅れですね。
そんなこといまだに言ってる人、
20年も情報が遅いと思ってくださいね!

で、そのアメリカと、日本で何が違うって、
なんかオードリーを見ている視線と言うか、
質が違う気がするんですね…。

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