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オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
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なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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 2015年の今年、「マイ・フェア・レディ」が4Kリマスターによるリバイバル上映&ブルーレイ発売となったので、過去の「マイ・フェア・レディ」との画質を比較してみることにしました。

 全て同じ55インチの液晶テレビに写っているものを撮影しました。ブルーレイ、DVD、LDは静止した状態で、ビデオは静止画にすると画質が著しく劣化するので、動いているまま撮影しました。

 変なモアレ状の筋が写っているのはカメラと液晶画面が干渉し合ったもので、実際の画面にはありません。


まずは今回2015年発売の4Kリマスター版。細かいディテールや壁紙、オードリーの表情もわかります。モアレの筋が写ってますが、実際にはありません。やはり大変綺麗!1080p
MyB15.jpg


2004年ワーナー発売、スペシャル・エディション版DVD。これも実際にはモアレは有りません。480p
MyD05.jpg


1995年レーザーディスク スペシャル・コレクション。400i ワイド版デジタル収録。かなり壁紙やオードリーの顔がわかりにくくなってきました。
MyLD95.jpg


1983年初期レーザーディスク版 400i 4:3アナログ収録 実際にはモアレはありません。もうオードリーの表情はほとんどわかりません。
MyLD83.jpg


1995年VTR コレクターズ・ボックス ワイド版240i。一瞬綺麗に見えますが、実際には95年LD版よりも画質は悪く、ビデオ特有の輪郭が曖昧でとろけそうな画質です。
MyV95.jpg


1983年TBS名作洋画ノーカット10週をビデオ録画したもの 4:3収録 240i。ビデオ録画特有の黄変が起こってます。輪郭はかなり酷く、色もにじんでいます。
MyV83.jpg


LDとビデオに関しては発売から20年〜30年も経っているので、既に劣化が起こっていると思われます。
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「踊り明かそう」

さて、最初に書いたように、この作品をオードリーの最高傑作!
と呼ぶのには(僕は)なんのためらいもないのですが、
個人的に言わせてもらうと、大使館での舞踏会が終わってから、
ちょっと退屈します。
イライザのお父さんの「時間通りに教会へ」のナンバーなんか、
これが大作でなければカットされるでしょうね。
見ていて楽しいけど、本筋とは関係ないし。

初めて見た中学生の時なんかは、女心がわからなかったもので
(まぁ、今でもわかっているかどうか疑問ですが…)、
大使館でのあと、なんでイライザがあんなに不満なのかわかりませんでしたね。
花売り娘の時代のイライザなら、
きっとあの場で、“私のおかげよ〜!”ってな感じで
ノー天気に真ん中にしゃしゃり出て行きそうな気もするのですが、
“私はこれからどうすればいいの!”って泣き崩れますよね。
言葉使いと共に、内面まで変わっていってるんですね。
強烈に自我が目覚めてます。
それと、ここ、意味深なこと言いますね。
“昔は、花は売っても体は売らなかった。レディになった今は、体しか売る物がない!”
おっとー!文字通り、体を売るわけではありませんけれど、
貴婦人ってそう言われれば…って思いますねー。
もちろん、シンデレラ・ストーリーですから、ここは軽く流していますけど、
これは原作者バーナード・ショーの皮肉が入ってるんでしょうか?

僕が退屈になるのはこんな所にも原因があるのかもしれません。
「素敵じゃない?」を歌っていた下町では
みんな貧しいけど、“いつかは!”って夢がある。みんな笑顔で生活してる。
でもその夢の世界に入ってみると、ガチガチに決まりごとなんかがあって、
お世辞でくるんだ作り笑い。しかも、“売るのは体だけ”。
うーん、前半は周りの人達が洋服は汚いけど、活き活きしてるんですが、
後半に出てくる上流社会では、洋服は華やかなんですけど、みんなの表情は硬くなるので
そのへんに僕にとっての原因があるのかもねー、なんてね。
だって、前半は、そういう上流社会に紛れ込んだ
下町のイライザの反応が面白いわけでしょ?
そのイライザが上流社会に溶け込んじゃったら、
普通のお硬いお話だし。
だから後半は“こんなのになりたかった訳じゃない!”
ってお話なわけでね。

ここでもう1歩突き詰めると、イライザは古巣に戻ろうとはするんですね。
家出ということで、もとの花を売っていた場所(コヴェント・ガーデン)に戻ってる。
でも、ここでもレディ扱いされて、だーれもイライザだって気付いてくれないもんで、
諦めてフレディとヒギンズ夫人の家へ。
で、結局イライザは“夢はあるけど、なかなかそうもいかないお気楽な下町暮し”
よりも、自分で言った“体を売らなければならない上流階級”
に留まることにしてますよね。ま、これは自分で自分の進退の責任をとる!
と決めた、ということでもあるんですが。
言い換えれば“責任のない”暮らしではなく、“自己管理が必要な”暮らしを選んだ、
ということで、これはこれでイライザの成長なんですよね。
貧しい暮らしには戻れるけれど、何にも考えない自分には戻れない、
ということで…。

ここで原作通りに進むと、結局イライザはヒギンズ教授を見捨てて
どこか行ってしまうわけで、原作のバーナード・ショーの皮肉が
たっぷり盛り込まれるわけなんですけど、
さすがにそこはハッピーエンドですよね。
原作(バーナード・ショーの「ピグマリオン」)に関してちょっと述べますと、
戯曲部分はイライザが出て行って終わりなんですけど、
その後にショー自身の後書きみたいな物があって、
イライザはフレディと結婚、
花屋を開くんですが、資金はヒギンズ&大佐持ち。
最初は順調でもやがて行き詰まり、
イライザとフレディは学校へ入り直し。
でも結局花屋としては何の役にも立たず、中退。
ふたたびピッカリング大佐持ちのお金で花屋を開く。
ある程度、人に任せてまあ何とか軌道に。
ヒギンズは、イライザに何か言うと
また反撃されるので、あんまり言わないそうで、
そのかわりイライザはお金を出してもらってるぶん、
今でもヒギンズ教授の身の回りの手配をやっている、
というすごいことに…。

イライザはヒギンズ教授とそのお母さんとの関係が深すぎて
そこに入り込めない、ということで
言うことをきかされるヒギンズ教授(愛してるけど愛されない)ではなく、
言うことをきいてくれるフレディ(愛してないけど愛される)にしたそうです。
まー、なんて夢も希望もないラストなんでしょうか。
でもこれバーナード・ショー翁自身がそう書いてるからそうなんですよね。
なんかちょっと原作では、親離れできない息子の話なのねー、みたいな。
映画ではヒギンズ教授がお母さんの所に泣きつくシーンでの
教授のお母さん、ミセス・ヒギンズの反応も意外。というか不思議。
昔は何気なく見てましたけど、
これだけ嫁・姑の関係が言われる中で、
あれだけ息子が言われてて、最後にお母さんが“イライザ、お見事!”
なんて言ってくれるかなーって。
ま、もっともここはまだ嫁・姑ではありませんけども。
原作で匂わされてる物とはえらい違いです。
海外って母と息子ってこんなもの?などと
子離れ出来ない母と、親離れ出来ない息子のうじゃうじゃいる日本を考えた時、
最近見る度ごとに思うのでありました(笑)。

で、映画ではイライザは、ヒギンズの気持ちと自分の立場をはっきりさせるために
ヒギンズ夫人の家でヒギンズ教授と対決しますね。
これはヒギンズ教授の家に来た頃の言われるがままのイライザでもない、
“私はどうすればいいの!”って自我は目覚めたけれど、
まだ自分が何をすればいいかわからないイライザでもない。
家出したあとの、“自分のことは自分で決めれる!”イライザですよね!
こう考えると、家出はイライザにとっての必然だったということで。
典型的な60年代の“自分で動く”オードリーですよね。
これが50年代のオードリーなら、きっと最後まで
“相手に何とかしてもらおう”っていう態度ですもんね。
やっぱりこのイライザ、強いじゃないですか〜!

だからよく考えると、
今までのオードリーの作品でずっと描いていた
“変身しました、そしたら恋も手に入りました。めでたしめでたし”
ではなく、“変身はしたけれど…”って、
恋を成就するまでに、もう1ステップ踏んでるんですね。
微妙ですけど、オードリーにしてはちょっと新しいですね。
ちょっと変身のあとが入ってる。しかも、その恋の成就のためには自分で動いてます。
華やかなコスチューム・プレイでくるんだおとぎ話なんだけど、
50年代の「麗しのサブリナ」よりももっとリアリティがあるんですよね。
“待ってても白馬に乗った王子様は来ないよ!”ってね。
この“その後の部分”がもっと発展すると「いつも2人で」という傑作になるという…。
それまでの集大成でありながら、
次のオードリーの段階の先駆けでもあるわけですね。
もちろん、こうやってオードリー作品が出揃ってからの後付けの解釈ですけれども。

色々あった「マイ・フェア・レディ」ですけど、
間違いなく、作品は素晴らしい!のですから、
アメリカだけでなく、日本でも、今こそこの作品でのオードリーの存在の凄さ、
オードリーだからこそ加えられたエッセンスを見直して欲しい作品です!
オードリーが心安らかにこの作品を思えることを願ってやみません。

2004年4月12日 改訂2004年7月10日
「素敵じゃない?」

さて、やっと作品の話に移れます(笑)。

この映画でのオードリーがどんなに全力投球かってことは、
“花売り娘の扮装の時に爪まで汚した”とかって逸話でも
ちょっと知れるんですが、
僕は「踊り明かそう」でのシーン、
ベッドに一度入ったイライザが
メイドさんが部屋を出て行った後にまた起き上がって歌い出すトコロ、
照明が暗くなるのでハッキリわかるんですが、
オードリーの目の下にくっきりとスジが!(シワとは違います)
なんとやつれてるんでしょうか!
全力投球すると、体重が必ず減るというオードリー、
“本当に、頑張ってるんだねー、ウンウン!”って思います。

それと、最初の頃のお下品なオードリーの発声(発音ではなく)!
それまでのどの作品でも出したことがないような
ヘンな声をバンバン出してます。
だいたい「今に見てろ」ぐらいまで続きますかねー、この発声。
「スペインの雨」以降は普通のオードリーの発声に戻ってます。

ま、イライザ、徐々には綺麗になっているんですが、
それが、アスコット競馬場のシーンで一気に花が開きますよね。
アスコットでの初登場シーンにはまさに息をのまされます!
あの競馬場のシーンには、結構綺麗なお姉さんたち
(衣装のセシル・ビートンが、それらの衣装を着こなせなければならない!という、
かなりキビシイ面接もあった凄いモデル達らしい)
がいるのですが、その彼女たちをも霞ませてしまうほどの圧倒的な魅力!
これはすごいです!
オードリー初期の「麗しのサブリナ」でも、
パーティに来たサブリナを見てみんながその美しさに目を見張るという
シーンがありますけれども、
正直僕が思うに、そこよりもすごいです!!
「麗しのサブリナ」ではほかのお姉さんがたも美しいままなんですけど、
「マイ・フェア・レディ」では本当にオードリーだけが際立ちます!
さすがその美しさの頂点にいる時期のオードリー!
これは本当に目を見張らされます!
周りの男どもはオードリーを振り向くシーンこそありませんけれども、
こんなに綺麗な女性がいたら、普通は振り向くって(笑)!
「マイ・フェア・レディ」のイメージそのものになってしまうほど、
衣装、帽子、髪型(色々試したらしい)、メイク、そしてオードリー自身
…完璧です!!だから、大使館でのオードリーの方が、高貴ではあるんですけど、
なんかきれいに見えなかったりして(笑)。
(ま、僕は前髪を下ろしたオードリーの方が好きなんですけどもね)

あと、家出のシーンのオレンジのアンサンブルや、最後のピンクの衣装も綺麗ですねー!
まさにオードリーありきの衣装デザイン!
舞台版もセシル・ビートンが衣装デザインしたそうですけど、
映画版にあたって1からオードリーに合わせて新しく全部デザインし直したそうです。
まさにオードリーのための衣装の数々だったんですよねー。
完璧なはずです!
でも、セシル・ビートンのスケッチって、
“これって本当に人間に着せるのか?”ってな感じなんですけど、
オードリーは見事にデザインを崩さずに着こなしてますよね。
セシル・ビートンがいたくオードリーを気に入って、
監督と衝突してまで「マイ・フェア・レディ」での衣装の数々を着た
オードリーの写真を撮りたい気持ち、わかります。

まだ続く…

2004年4月9日 改訂2004年7月10日 再改訂2014年4月24日
「今に見てろ!」

さて、吹き替えの件ですけど、
“オードリーは全然歌ってなかったの?”
激しく“否!!!”です。

もちろんオードリーの声で全曲使用されてたとしても、
アフレコはやりますよ。
オードリーの最初のミュージカル、「パリの恋人」でも
アフレコしてる画像が残ってます。
歌によって演技の流れが滞るのは、やっぱり違いますもんね。
オードリーのパートは、共演のレックス・ハリスンの喋るように歌う、
のではなく、歌い上げるのが多いですからね。

もし、撮影中の口と、聞こえてくる声が違う物が口パクだとするなら、
確かに口パクかもしれませんが、これはミュージカル映画なら当たり前のこと。
どんなミュージカルスターでも、演技しているときの声をそのまま使ったりしません!
そんなことを言ったら、歴代のスターはみんな口パクです。
最近の演技では、普通のシーンでもアフレコがあるくらいですし。

でも、それはともかく、作り方が違うんです!
マーニ・ニクソンの歌ってるテープに合わせてオードリーが口パクしたのではなく、
オードリーが歌っているフィルムに合わせてマーニ・ニクソンが
吹き替えたんですよね。
オードリーは一所懸命練習したんです。
本当に必死で…。

結果的に完成版でオードリーの声が使われたのは「今に見てろ!」の低い部分だけでしたけど、
87年だか88年だかに「マイ・フェア・レディ」のフィルムの修復が行われた際、
「素敵じゃない?」と「証拠を見せて」のオードリーの声が発見されましたよね。
他のオードリーの歌も発見されるといいんですけど…。
特に「スペインの雨」と「踊り明かそう」ですけどね。
「今に見てろ!」の高音部も聞きたい所ですが、
これらはアフレコの収録すらされなかったんでしょうか?

(追記:その後、オードリーの歌う「今に見てろ!」の全曲、「踊り明かそう」「あなたなしでも」が発掘されて、YouTubeなどでアップされました。まだ見つかってないのは「スペインの雨」だけです。
しかもこれらの発見された物はまだ練習中のような録音でしたが、オードリー自身は最終的に全曲録音したことを“映画の友”64年2月号のインタビューで述べています。当時オードリーは撮影の終盤になっていましたが、まだワーナーがオードリーの声を使うのか、マーニ・ニクソンの声を使うのかはわからない発言をしています。)

確かに高音部に伸びがないオードリーと比べて、美しいマーニ・ニクソンの声ですけど、
このHPのTYさんに伺って“確かに!”って思った事なんですが、
マーニ・ニクソンの声って、感情がこもってないですよね?
それに対して、オードリーの声はしっかり思いが伝わってきます!
これは重要なことですよ!
オードリーの声は、うまくはないけど、
「パリの恋人」でわかるように、とても気持ちのいい声です。

あ、でもマーニ・ニクソンの批判ではないですからね、ここは。
確かに「マイ・フェア・レディ」のメイキングで
マーニ・ニクソン、オードリーに対して、
ずいぶんひどいこと言ってるなーとは思いますけどね。
僕が言いたいのは、“吹き替えだから”“吹き替えじゃなかったら”
ということではなく、
“そんなこといちいち考えずに作品を楽しめばいいでしょ?”
ってことなんですよね。
吹き替えに入る時、“声が変わって違和感がある”って人もいますけど、
カラオケなんかでも、歌う時は張った声を使う人っているでしょ?
日本の歌手にも、喋る時と歌う時の声が全然違う人がいますけど、
そう思って見れば、どうってことないんじゃないかなー。
(ちなみに、僕も普段は低い声なんですけど、
カラオケだとかなりな高音も使って歌うので声が変わります。)
僕なんかも、「マイ・フェア・レディ」を初めて見た時(vol.11参照)、
そんなこと知らずに見て、とてもとてもよかったですよ!
“さすがオードリーの最高傑作!”って思いましたもん。

吹き替えがダメ!とかって話は
それによって何かいいことがあるんでしょうか?
“ジュリー・アンドリュースで行くべきだった”
って、もう今の日本人のほとんどはジュリー・アンドリュースの舞台なんか
見てないじゃないですか、ね〜。

結局、オードリーバッシングがもたらした物は、
オードリーへの深い心の傷と、ジュリー・アンドリュースが、
「メリー・ポピンズ」でもらったアカデミー賞に対して
“これは同情なのかしら?”って悩み続けるという後遺症を残しただけで、
なーんにも、誰にもいいことはなかったんですよね。
オードリーを批判した人は、それによってかばったはずのジュリーにも
害を及ぼしてしまったと言う…。まさに百害あって一利なし。

アメリカでは「マイ・フェア・レディ」が見直されて、
オードリーの良さを認め、正当な評価を得てきてるというのに、
日本では今になって“吹き替えが”…って、なんなんでしょう???
この件に関してとやかく言われるのは、
オードリーもジュリーも、う〜んざり!だったでしょうねー。
きっと“いいかげんにして!”と思ってたことでしょう。
ちなみに、ショーンの本によれば、
オードリーとジュリーの間には確執なんかなく、
ジュリーのダンナの「ティファニーで朝食を」の
ブレーク・エドワーズ監督共々、仲がよかったそうです。

(追記:2004年のオードリー展では、ジュリーからプレゼントされたジュリーの本が展示されていました)

あと、未だにジュリー・アンドリュースで行った方がよかっただの、
ジュリーの方が格上だとかネットで見かけるんですけど、本当にナンセンス!

もしオードリーが出演を断ったらジュリーが演じたとでも??
ワーナーのオードリーの次の候補はエリザベス・テイラーでした。
「クレオパトラ」で貫禄付き過ぎのような気もしますが、テイラーはめっちゃ乗り気。
オードリーが断ったら、リズが演じていたことでしょう。
どっちにしてもワーナーはジュリーに演じさせる気はなかったということです。

それに、万が一ジュリーが「マイ・フェア・レディ」を演じていたら、
ジュリーにはジュリーファンの大好きな「メリー・ポピンズ」も、
下手すると「サウンド・オブ・ミュージック」も無かった可能性があるんですよ!
「メリー・ポピンズ」の契約には、「マイ・フェア・レディ」に出る場合には降りるという条項があったそうですし、
オードリーが「マイ・フェア・レディ」に出ないとなると、オードリーの1963年は先にオファーのあった
「サウンド・オブ・ミュージック」に出ていた可能性もあります。
「マイ・フェア・レディ」には出ているけど、世紀の2大代表作、
「メリー・ポピンズ」にも「サウンド・オブ・ミュージック」にも出ないジュリーで良かったの?
と尋ねたいです。

あと、オードリーとジュリーがどちらが格上とかっていう話題は聞きたくもないゲスな最低の話!
オードリーもジュリーも僕は好きですし、どちらも希有な大スター、それでいいです。
“ジュリーが格上”とか、一部のファンが書いたりしていますが、
それってジュリーを応援したいんでしょうが、そんなことを聞いたらジュリーが喜ぶと思います???
ジュリーやオードリーの前でそんなことを発言したら、きっとジュリーは決してその人を許さないでしょうね。
オードリーもジュリーも本当のレディだと思うので、お互いどちらが上とか考えてないと思うんです。
ましてや本を送ったりする仲なのに、ごく一部の心ないファンの暴走が、
実はその大好きなはずのスターを一番傷つけるという…。

オードリーファンにもやっぱり一部そういうファンがいますけど、
もし本当にファンなら、そういう発言や行動をそのスターが聞いたらどう思うかとか、
敬愛するそのスターの考え方に自分の言動は沿っているか?って考えたら答えは自ずと出ると思うんです。
もしあなたがそのスターの本当のファンだと思うなら、
先によく考えて、あなたが好きなそのスターの評判を却って落とすようなことをしないように
心がけるべきだと思うんです。
僕も出来ているか?と訊かれたら自信は無いですが、そうあろうとしているつもりです。

まだまだ続くよ〜

2004年4月8日 改訂2004年5月20日 追記2014年4月24日
(追記:今年2014年は「マイ・フェア・レディ」製作50周年です!)

今回は「マイ・フェア・レディ」についてです。
大部になってしまったので(中身はハリボテかもしれませんが…)
4回に分けて。

「あなたなしでも」

この作品、僕は客観的に見て、オードリーの最高傑作だと思っています。
「ティファニーで朝食を」「噂の二人」「パリで一緒に」「シャレード」と
世に放ってきたオードリーの魅力が満開の時に撮影されてますよね!
60年代前半はオードリー人気がピークを極めた時。
リアルタイムでオードリーと歩んできた人達には、
この作品の規模、オードリーの華やかさ、鳴り物入りの宣伝。
まさにオードリーの頂点とも言える作品だったでしょうねー。

日本でのロードショーはまず東京と大阪で。
東京は「有楽座」、大阪はなぜか2館で「梅田スカラ座」と「千日前スバル座」。
「有楽座」の記録ではほぼ1年間にわたって上映、
680,044人動員という大記録を残しているそうですよ!

さて、この「マイ・フェア・レディ」、いったい世間の評価はどうなっているのでしょう?
というか、自分が気に入ってれば、そんなことは本当はどうでもいいんですけどね。
間違いなく、オードリーの代表作の1本ですよね!
これは動かし難い事実です。
当時の日本では、ホントに“オードリーの最高傑作!”と言われてたことでしょう。
でも…

この“でも…”が必ず付いてしまうのが曲者です。
僕のさっき言いかけた“でも…”は
“でもオードリーが吹き替えになったことを色々言う人がいる
(僕自身は全くそれで作品の評価は変わらないけど)”って意味なんですけど、
世の中には“でもオードリーは吹き替えだったから減点!”っていう人がいるんですよね〜。
これが問題…。
最近「マイ・フェア・レディ」を語るならこれを外せないのが悲しいです。

オードリーは間違いなく満点の演技をしてる。
これまで演じてきたすべてをこの「マイ・フェア・レディ」に注ぎ込んでる。
こんなに華やかで豪華なオードリーは他には見当たらないでしょう。

アメリカでは撮影当時、“ジュリー・アンドリュースから役を奪った!”
ってものすごいオードリーバッシングが起こったそうです。
しかも“オードリーは吹き替えだ!”って知れると、
バッシングはますますエスカレートするばかり。
事実、当時のアメリカの賞という賞でオードリーは受賞出来ませんでした。

でも、日本やヨーロッパでは全然そんなことなくって、
正当にオードリーの演技が評価され、
ヨーロッパなんかでは「マイ・フェア・レディ」の演技で賞ももらってるし(イタリアのダヴィッド・ディ・ドナテーロ賞)、
日本の映画雑誌では、不動の人気投票オードリー第1位を獲得してます。

だいたいなんでこんなことがバッシングの原因になるのかもわかりません。
吹き替えなんて、当時のアメリカでは当たり前でしょ?
「王様と私」のデボラ・カー、「ウエストサイド物語」のナタリー・ウッド。
それで彼女達はバッシングされたでしょうか?
ましてや舞台での俳優と映画での俳優が違うのなんて、
もっと日常茶飯事じゃないですか!
そんなの数え上げたらキリがないです。
事実オードリーも舞台で演じた「ジジ」の映画版、
「恋の手ほどき」で主演してないでしょ?
そんなこと、いちいち目くじら立てることかなー…。
正直これは50年代にアメリカで起こった赤狩りと
なんら変わらない卑劣な事件ですよね。
感受性の強いオードリーがいかに傷ついたか、
想像してあまりあります。
オードリーはきっと、後年「マイ・フェア・レディ」について考える時、
バッシングの嫌な思い出で、かなりつらかったと思いますよ。
しかも、それは演技どうこうでは全然ないんですからね!

あ、長くなりそうなので、以下は次ということで。

2003年7月22日 改訂2004年5月20日 再改訂2014年4月24日
今でも後悔してる「マイ・フェア・レディ」の譜面のこと

高校時代、クラブでヴィオラを演奏している関係上、
楽譜屋に行くことも多かったのですけど、
そのよく行く神戸の楽譜屋さんで、一度だけ輸入版の
「マイ・フェア・レディ」のオーケストラ・パート譜
(演奏者がそのまま弾いたり吹いたり叩いたり出来るように
なっている各楽器別の譜面の全楽器分!)
を見たことがあるんです!

オリジナル・サウンドスコアに基づく物なのか、
アレンジされた物なのか、全曲なのか、抜粋なのかは
今となってはわかりませんが、
表紙にはしっかりボブ・ピークによる「マイ・フェア・レディ」の
あのオリジナルイラストが、ピンクの紙に印刷されて
表紙としてパート譜をくるんでいました。

買おうかどうかかなり悩んだのですけど、
高校生には非常に高い値段(その時の手持ちを全部注ぎ込まないと
買えない値段だったし、その月はそれでなんとかやりくりしないと
いけなかった)、しかも高校ではクラシック以外の曲を
演奏するチャンスもないので
後ろ髪を引かれる思いでその時は諦めたのです。

大学に入ったら団内の身内の演奏会で
そういうクラシック以外のの曲を演奏することもあり、
もう一度その楽譜屋さんに行った時に
“以前見た「マイ・フェア・レディ」の楽譜はありませんか?”
と尋ねたんですけど、“あれはもう絶版になったよ。”
と言われてしまいました。
あ~!ガックリ。

学年別でオーケストラの演奏をする時も、
他の学年が「スター・ウォーズ」のテーマなんかを
演奏しているのを横目で見て、
同じヴィオラの同級生の女の子に“「マイ・フェア・レディ」の
楽譜やったら昔見たことあるんやけどねー”
なんてポロッと言うと、“なんでその時買わんかったん!”
と言われてしまいました。

一時期、神戸に確かに存在していた
「マイ・フェア・レディ」のパート譜、
いったい今頃どこにあるんでしょうねー…。


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