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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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 今日はオードリーと煙草に関して書いてみたいと思います。

 オードリーはヘビー・スモーカーで知られていますよね。
 最近はオードリーとタバコの関係についてあまり触れないことが多くなってきましたので、若いファンは知らないかもしれませんが昔ながらのオードリーファンなら誰でも知っていることです。

 ヘビー・スモーカー…というより、チェーン・スモーカーと言ってる文章もよくありましたね。
 終わったらすぐ次、また次とまるで鎖のように途切れずに吸い続けていることをチェーン・スモーカーと言います。

 実際カメラの前に立っている時はタバコを喫っていませんけど、カット!の声がかかるとオードリーはすぐにタバコを喫っていたそうです。

 愛用はKENTだったと言われていますよね。映画「いつも2人で」の冒頭のシーンで、飛行機に乗りながらKENTを買って喫うシーンがありました。

 また映画の撮影風景でも、撮影を待っているオードリーがタバコをふかしている画像が数多く残されています。

 映画の中ではどうでしょう。オードリーが煙草を喫うシーンがある作品は、「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」「シャレード」「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「華麗なる相続人」「おしゃれ泥棒2」と8作品におよびます。

 10代を演じていた1950年代では「ローマの休日」以外にはありませんが、20代を演じるようになった1960年代にはかなり多くなりますね。

 でもこれを読んで “えーっ、幻滅!”って思うのはちょっと違うかと…。
 昔はタバコを吸うのはごく当たり前のことでした。

 海外の俳優さんなんか、というか大人はタバコを喫うのがあまりにも普通だったんですよね。
 だから大抵の俳優さんは喫っていました。

 日本でも当たり前。道はもちろん、映画館や新幹線の中や在来線の駅のホームでも誰にことわるでもなくタバコが喫えた時代だったんですよ。
 通勤電車の中にも快速などは灰皿がありました。

 さてそんなヘビー・スモーカーのオードリーですけど、いったいいつから喫い始めたんでしょうね。

 オードリーの伝記で昔から書かれていたのは、オランダがドイツ軍から解放された日、町にやってきたイギリス軍のタバコの匂いが、自由の匂いがした!とオードリーが思ったということ。

 確かにそんな嬉しい日に嗅いだ香りが、記憶の中にセットで取り込まれたのはさもありなん、と思いますよね。

 で、オードリーも1本もらって喫ってみたところ、むせてしまったけど、それが自由の味なんだ!と思ったと書いてある本もあります。

 そう!オランダが解放されたのはオードリーの16歳の誕生日の翌日、1945年5月5日だったんですよね。

 今はオランダの喫煙可能年齢は18歳に引き上げられていますけど、2014年までは16歳だったとのこと。
 オードリーにとって、大人になった日と戦争が終わったことと煙草がセットになったんですよね。

 それ以降すぐにオードリーが喫煙者になったかどうかは全く資料がないのですが、当時のオードリーは戦争が終わった直後で食べるものもお金もない状態。
 そんな中で嗜好品であるタバコを買う余裕はなかったと思います。
 それにオードリーはバレエの奨学金を貰うためにバレエの練習に余念がないはずですしね。

 でも1948年に母と2人でイギリスに渡ってからは、バレエの奨学生だったとはいえ、あまりにも高い背と戦争中の練習不足と栄養失調で早々にバレエ学校からは見切りをつけられてしまいます。

 もし残っていたらバレエでも大成しただろうという文章と、オードリーには才能がなかったという文章と、両方の伝記がありますがどっちなんでしょうね?
 
 でも英国では一度もバレエで舞台に立っていない、それにもし才能があれば指導者としてバレエ学校が引き止めただろうと考えると、後者の才能が無かった、という方が正解だと思います。
 実際信頼できるバリー・パリスの伝記でも後者になっています。



 そうするとオードリーはバレエ以外で収入を得ないといけない羽目になり、やがて舞台作品の群舞などに出演するようになります。

 「辛いソース」などの舞台ではちょっとした役も付きましたが、それは昼公演もありましたが、夜は規模を小さくしてショーパブみたいなところで演じることもありました。

 きっとそういう時期には周りの環境でタバコを喫う習慣がついてしまったことと思います。その時期には自分でお金を稼いで自由になるお金もできていたでしょうし。

 その後イギリス映画に出るようになり、1951年〜52年にはアメリカの舞台「ジジ」で主演を張りますが、元々原作のジジの役は “タバコも喫うし、お酒も呑む16才の純真な娘”という今考えるとおかしな設定ですしね。

 「ローマの休日」で初めて煙草を喫うシーンでは、全然むせないしサマになっているのは、オードリーの喫煙習慣がもうすっかり定着しているからですよね。

 で、「ローマの休日」のスナップ写真では煙草を喫っているものは見当たらないんですが、次の「麗しのサブリナ」では髪の毛をセットしながらキセルで煙草を喫っている画像が何枚も残されています。

 その後の「戦争と平和」「緑の館」「尼僧物語」「噂の二人」「マイ・フェア・レディ」など、役柄上タバコを喫えない作品ではもちろん映画では喫っていないのですが、それらの作品でも撮影合間の写真ではオードリーがタバコを喫っているものはいっぱい残されています。

 そして「ティファニーで朝食を」になると、もうこれはタバコが無くてはならない小道具になってますよね。
 そして当時のアメリカの習慣がわかるのがパーティーのシーン。
 男女問わずタバコを喫うのが当たり前だったのが一目瞭然ですよね。灰皿などは無く、床に灰を落とすのが一般的。
 それを誰もなんとも思ってないのがわかります。

 さらに「シャレード」になると、当時はフィルターさえも出たばっかりだったのか、オードリー演じるレジーナが “これは嫌い!”と言ってフィルターをちぎって両切りタバコの状態にして喫うシーンがありますよね。

 そしてオードリーは晩年までタバコを喫煙していましたが、これは良いとか悪いとかではなく、当時は普通の習慣だった、という時代を考慮しないとダメですよね。

 オードリーは1929年生まれ。もう90年も前の人なんですから、そんな人に今の時代の価値を当てはめるのもおかしな話。

 ということで、ここからはそんな今の時代の価値をオードリーに押し付ける文章があるのに反論。

 オードリーとタバコで検索すると、嫌煙者の文章でオードリーがスモーカーズ・フェイスだという文章にいくつか出会います。

 確かにオードリーは晩年にはシワも増えましたし、戦争の影響で細いままだったのが逆に老けて見える要因にはなってましたよね。

 でもそういうオードリーを引き合いに出して、“はい、スモーカーズ・フェイスです!”は無いんじゃないの?と思いますね。

 その文章がかなり失礼なのは、全くオードリーのことを調べずに書いていること。

 しかも中には “晩年には見れたもんじゃ無かった” と今の時代、完全に女性蔑視でセクハラでアウトな文章を書いているエライ男性までいますしね。

 そういう文章をコピペしたような “オードリーはスモーカーズ・フェイス。恐ろしいでしょう!” という煽り商法の手口でタバコを断罪する他の文章にも違和感しか感じません。

 当時は誰でもタバコを喫っていたんですよ。オードリーと同時代のグレース・ケリーやエリザベス・テイラーや、ちょっと後のカトリーヌ・ドヌーヴとかも喫っていましたが、それらのどっちかっていうと後年太った人たちには何も書かないんですよね。
 たまたま細くてシワが目立ったオードリーだけが吊し上げられています。

 そんなオードリーばかり取り上げるってことは、実はスモーカーズ・フェイスにはほとんどならないってこと?
 オードリーしか取り上げる人がいないくらい、確率的にならないの?みたいな疑問も生まれますよね。

 しかもさっきも書きましたが、そんな失礼な文章を書いた人はオードリーのことを全然調べてないこと。

 オードリーが「ティファニーで朝食を」でタバコを喫い始めた…これ、上に書きましたけど全然違いますよね。

 しかも次に「パリで一緒に」の写真を持ってきて5年でこれ!って…写りの悪い、濃い印刷の、自分に都合のいい白黒写真を持ってきて、どうよ!的文章。

 ちなみに「パリで一緒に」は公開は1964年ですけど撮影は1962年。「ティファニーで朝食を」の撮影は1960年ですからわずか2年後ですから。
 偉そうに書く前にそれくらい調べてよ。もうここで都合のいいように文章を操作しているのが丸わかりですよね。



 それに映画を見るとわかりますが、「パリで一緒に」は最もオードリーが美しかった作品!
 もう全然オードリーの映画見てくれてませんね。

 他にも「ロビンとマリアン」「華麗なる相続人」の写真など、煽るために都合のいいシワが多く老けて見えるような写真を引き合いに出してタバコを貶めるというやり口。

 ちなみにオードリーの口の横のシワは実は20代の頃には付いてました。
 最近の画像修正しまくりの写真集では消されてますけど、70年代に出たカラーで見れる写真集などでは「戦争と平和」や「パリの恋人」や「昼下りの情事」の頃からしっかり付いてますよ。
 モノクロ写真は当時から多少修正入ってますからわかりにくいですけど、「ローマの休日」だってあるはずです。

 タバコがいいとかそういう風には全く思っていませんが、都合のいいように情報を操作する手段がイケてません。
 ネットでよく見る、画像修正した写真を使用前使用後と偽って売ろうとする、いかがわしい商品と同じ手法ですよ、それ。

 しかもそれらのサイトに載せているオードリーの画像、あなたどこから持ってきました?
 あなたが自分の持っているオードリーの資料からスキャンしたものでもないですよね?
 出典すら書いてませんけど…。

 どこかのサイトからパクってきた無断掲載の都合のいい画像と、都合のいい細いもう亡くなったオードリーを使って “ほーら、タバコって怖いでしょう?” って言われても…反感買いますよそれ。

 しかもそういう類の中には “もうオードリーの映画は上映して欲しくないです。心の中にしまっておけばいいじゃないですか” などという文章があるところまで!

 いやいやいや、それあなたが見なければいいだけですよね?タバコのシーンだけでそれを皆に見ない・見せないように押し付けると??
 それに元々あなたオードリーの映画一部しか見てないでしょ?

 タバコは害だらけ…そんなのは言われなくてももう常識ですよね。
 昔の映画を見て、タバコが粋でカッコよくて真似したい!なんて今時の若い子の感覚なら誰も思わないんじゃないかな〜…。

 僕も以前は喫ってましたが、もう禁煙して14年になります。なので喫煙者の気持ちもわかりますが、今ではタバコの匂いはキライです。タバコを喫っていた人の側に行くと、すぐにわかります。

 でもタバコをやめさせたいのはわかりますけど、自分たちに都合よく・勝手に・パクリで・セクハラで・上から目線で・調べもせずに・オードリーを使うのは違うんじゃないの?ということ。

 もうオードリーがスモーカーズ・フェイスかどうかは関係なく、そういうのをなんか肩書きだけ素晴らしい人が書いてるとその人の中身が透けて見えて逆にガッカリ感が凄いです。
 自分たちの目的のためには手段を選ばないのね、みたいな。

 なんか以前読んだ筒井康隆の「最後の喫煙者」っていう短編を思い出しました。
今回は、オードリー・ヘップバーン映画の題名の誤表記に関して。
どうでもいいと思う人にとっては本当にどうでもいいことなんで、まあ読まずに素通りしてください。

今はネット社会なので、ネットを検索してるとわかるんですが、オードリー・ヘップバーンの映画の題名に関しても、いろんな間違いがありますねー。

一番多いのは “昼下がりの情事” って書いてあるもの。
これは「昼下りの情事」と、“が”の送り仮名が無い方が正解ですね。

昔は文章を書く時は全部手書きで書いてたでしょうしね。それに印刷の場合も昔は文字の活字を組版していましたから、間違いは少なく、「昼下りの情事」となってました。
その後時代は進んで、写植というものになりましたが、ここでも「昼下りの情事」ときちんと表記されることがほとんど。

ところが、パソコンが普及して来た1990年代後半頃から、間違いの「昼下がりの情事」がやたら多くなってくるんですよね。
これは“ひるさがり”と打つと“昼下がり”と変換されるから。
確かに日本語的には送り仮名は“昼下がり”が正しいんでしょうが、映画という物は表記を含めて、その作品として成り立っていますから、やっぱりオードリー映画の“昼下がり”は間違い。

ちなみに70年代の日活ロマンポルノで「団地妻 昼下りの情事」という作品もありますが、これも昔のは“昼下り”と“が”無しが正しいようです。
2010年にリメイクした物は「団地妻 昼下がりの情事」と“が”入りになってました。
なので、「昼下がりの情事」って“が”入りで書くと、それはエッチなほうの映画、ということですよ。

個人のブログなんかで“昼下がりの情事”って間違って書かれてるのはまだしも、映画専門のHPや映画館のサイトとかでそう書いてあるのは、映画に携わっている者としてはちょっと恥ずかしいな〜と僕は思ってます。

続いて多いのは“いつも二人で”と書いてある「いつも2人で」。
“二人”と“2人”の違いくらいどうでもいいやん〜。って感じですかね?
でも僕にとってはそうではないんです。

2003年頃に“みつおの映画とオードリーのお話”で書いていた《22.オードリー映画の邦題について》でも書いてたんですが、「いつも2人で」の邦題はめちゃめちゃ日本の20世紀フォックスさんが苦しんでいたのが当時の雑誌とかを見るとわかるんです。

前作「おしゃれ泥棒」みたいにピタッと決まる題名が浮かばなくて、撮影中から公開寸前まで何度か仮題が変わってるんです。
映画はファッションも構成も、「おしゃれ泥棒」よりももっと当時の“現代的”な感じに仕上がってるので、「さすらいの二人」なんていう1つ前の仮題では全然しっくりこない。
なので、公開前の宣伝を始めるギリギリになって「いつも2人で」になったみたいなんですよね。

「噂の二人」みたいに“二人”という漢字表記にしないで、“2人”というローマ数字表記にした所に、当時の20世紀フォックスさんの題名を考えた担当者の、“なんとか少しでも新しい感じを出そう!”っていう産みの苦しみを見て取れるんですよね。

60年代前半の内容の暗くて重い「噂の二人」と60年代後半のサイケデリックな衣装と斬新な構成で魅せる「いつも2人で」を考えた時、この“ふたり”の表記の違いの意味は大きいと思うんですよね。

結果を言えば、残念ながら「いつも2人で」という邦題は「おしゃれ泥棒」ほどにピタッと決まってないし、インパクトも弱い。
でも担当者が苦しんで苦しんで、のたうち回ってやっと決めた題名だから、安易に“「いつも二人で」でええやん”って言って欲しくないし、僕はそう書きたくない。

日本語題名は宣伝をする際、その映画の《顔》になりますから、各社とも考えて考えて題名を決めてるんですよね。

まあ、80年代〜90年代にはヒット作にあやかって安易に“愛と○○の○○”みたいな原題に全く関係のない題名や、英語の読みそのままをカタカナ表記にしただけという、内容がさっぱりわからない!などの、映画に関わる者として全く気概を感じない題名が続々と出て映画ファンに酷評されてましたけどね。

でもまあ昔からこういう題名の付け方というのは存在してて、ひとつ大当たりの映画が出ると、便乗した題名がワサワサ出てきてましたね。「太陽がいっぱい」がヒットするとそれこそ“太陽”のつく題名がいっぱい出てきたり、マカロニ・ウエスタンの流行った時には“荒野”と“用心棒”だらけだったり、ブルース・リーの映画がヒットすると“ドラゴン”のつく映画が続々湧いてきたり。

便乗題名の定番としては、全然内容が違うのに“○○2”だとか“新・○○”とかっていうのもありますよね。オードリー映画では「おしゃれ泥棒2」がそれにあたります。
また、オードリー映画にあやかって「新・おしゃれ泥棒」とか「シャレード'79」とかっていう本当はオードリー映画と何の関係もない作品もありました。

でもそういういい加減な題名のつけられた映画は、流行りや過去のヒット作の題名に頼らないといけないほど出来が悪いからなんでしょうけど、ごくごくわずかな出来も良かった例外の作品を除いて、結局たいしてヒットしませんよね。

正直、“新”とか“2”とか付けられた、元の作品とは無関係な映画って、余計に安っぽくて侘しい感じがするんですけどねー。“絶対に元より質が悪いぞ…”って見る前から一般人にはわかってるのに、肝心の映画会社の人がそういうことに気づかないのかな?

でもさすがにマネーメイキングスタートップだったオードリーの全盛期の作品はどれも考えに考えられて題名が付けられています。

他に間違いは「麗しのサブリナ」が「麗わしのサブリナ」というのも昔はありましたが、これは逆にPCやスマホの時代になって無くなりました。“うるわしの”がきちんと“麗しの”で変換されるからなんでしょうね。

あとはごくごくまれに「おしゃれ泥棒」が「お洒落泥棒」や「オシャレ泥棒」になってたり、「パリで一緒に」が「パリで一諸に」なってたりとかもありますね。
一緒の “緒” は糸偏が正しいんですけど、昔の手書きや印刷の時は “諸” って間違って書かれることも多かったんですよね。
今回は映画の中でのオードリーの年令について。

といっても、役柄での年令じゃないですよ、
撮影中のオードリーの年令のことです。

初めて「いつも2人で」を見た時、
小学5年生だったんですけど、
その当時は映画ってどうやって撮影されてるのかなんてちっとも知らなくて、
この映画は特に12年の夫婦の軌跡を辿る映画じゃないですか。
だから、本当に12年かけて映画を撮ったんだ!なんて思ってましたね。
11才の少年からしたら、役の上での18才も30才もみんな大人ですから、
なんかちっともオードリーの本当の年令がわかんなかったですね(笑)。
とにかく、後でこの「いつも2人で」のオードリーは
わずか数カ月で撮影されていて、
しかも36〜37才だって知ってびっくりしましたね。
“若い〜〜!!”って。
11才からしたら37才なんてすっごい大人ですもんね。
しかもどっちかっていうとイメージは“おねえさん”じゃなくって、
“おばちゃん”。
まさかそんな“おばちゃん”があんな若く見えるだなんて、
思いもよらなかったですよね。
オードリーの若さに驚嘆しました!

さて、この「いつも2人で」、
オードリーに関する本では“38才で女子大生を演じた”、
「ローマの休日」の場合は“24才で初主演”
などと書かれてたりするんですけど、
そういうのをを読む度、“違うよ〜”って
細かいことなんだけど、ひっかかってしまうんですよねー。
だって本当に違うんです!

オードリーの映画って、端役の時代はともかく、
主演するようになってからはとても丁寧に作られているんです。
さっき撮って、明日映画館で上映されるような
穴埋めの為の粗製濫造映画ではないんです!
撮影後も編集・音楽・宣伝・試写・プレミア、
そして一般映画館での公開時期。
すべてが綿密に練られたプランに従って進み、
やっと完成品が出来た段階で
僕らが映画館で見れるようになるというわけです。
だから、オードリー映画は、制作年度とされている年の
だいたい1年前に撮影されているんですよね。

だから「ローマの休日」は1953年度作品になってるけど、
撮影は1952年の夏。ということは1929年生まれのオードリーは23才。
「いつも2人で」も1967年度の作品だけれど、
撮影は1966年4〜9月。
撮影中に37才の誕生日を迎えたオードリーの為に、
スタッフが用意したバースデーケーキの前に立つオードリーの
画像なんかも残ってます。
ということは「いつも2人で」の場合、36〜37才のオードリー。

「パリで一緒に」は1964年度作品に最近はなってることが多いんですけど、
発売が遅れただけで、実際は1963年度制作作品。
だから撮影は1962年だし、オードリーは33才。
ということで映画で演じているオードリーの年令を出すには、

制作年度の下2桁−30=オードリーの年令

これでいいんです。ほら、簡単な公式でしょ?
これでもう誤った記述に惑わされることはないです!

じゃあ、もうわかりますよね!
1957年の「昼下りの情事」は何才?
1961年の「ティファニーで朝食を」は?
1976年の「ロビンとマリアン」は?

はい!よくできました〜。(^-^

2004年7月30日 改訂:2014年7月29日
最近のオードリーって、50年代の画像中心で、しかも元々はカラー画像の物までモノクロ化されて世に出回っています。
そしてレトロやノスタルジアを目指した売り方がなされているんですよね。写真集でも広告でもそう。

でも僕はそういうのはあまり好きじゃないんですよね。
オードリーを過度に過去の人扱いするのは、新しい若いファンを作るためには、むしろ逆に大きな妨げになってきていると僕は思ってます。

その扱いって、“オードリーいいね、懐かしいね…”って観点でばかり見て使用しているような気がするんですよね。これって僕ら以上の古い世代がそれ以上に古い世代に向けて発信しているだけなんですよね。
極端でヒドい言い方をすると、いわば老いた世代の独りよがり、単なる自己満足での完結、ってとこでしょうか。

あまりにも昔の人扱いにすると、僕らの世代がサイレント映画のスターを見るような遠い目で、今の若い人がオードリーを見るんじゃないのかなー。

最近リバイバルされた“スクリーン・ビューティーズ”(「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「麗しのサブリナ」)や初公開の「マイヤーリング」での劇場での高年齢な客層を見て、ますますその思いを強くしました。

実際オードリーが活躍してた頃から50年経った訳ですし、僕がオードリーを好きになった時代から50年くらい遡ると完全にサイレントスターですから、オードリーを過去に追いやれば追いやるほど、若い人には縁遠くなってもしかたないですよね。

しかもこの50年代の画像中心の何でもかんでもモノクロームでの売り方…日本が最初に80年代後半からスタートさせて、オードリーの死後、ネットの普及と共に爆発的に世界中に広がっていったものなんですけど、そこからぜんっぜん進歩してない。日本ではもう30年もこのやり方。僕は正直飽きました。
(海外でオードリーが亡くなった前後はというと、カラー中心で「シャレード」あたりがメインでした。)

広告や宣伝でも“このやり方が鉄板!”といわんばかりの50年代のオードリーのモノクロ(あるいはモノクローム加工された画像)ばかり。
デザイン的にはめっちゃ安易で無難な方法。

アゴを引いて口を閉じたオードリーがこちらをキリッと見つめるものばかりですよね~。
作品は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」そして「パリの恋人」。
たまに「ティファニーで朝食を」。

若いデザイナーやコーディネーターとか、しかも全く違う人がいろんなオードリーの広告を手がけてるんでしょうが、結果は判で押したように同じ画像を使用した、同じものが次々と出来上がっています。
誰がデザインしても無個性なものばかり。

きっと上司の人やクライアントもそれでOKを出すんでしょうし(というか、そういうのにしかOKを出さないのかもしれません)、若いデザイナーでも過去に倣って無難な(そしてありきたりな)広告を量産してるんでしょうね。

80年代後半にはその売り方は新しい試みで、実際オードリーを特集すればバカ売れする!ほどの一大ブームが巻き起こったほどだったですし、オードリーが生ける伝説となるきっかけになったことは間違いないです。

でも、そんなワンレン・ボディコンだった時代から30年も全く同じやり方…ってどうなんでしょうね?
80年代後半〜90年代前半の再ブーム時にオードリーのファンになった方でも、今や30代半ば以上。劇場での高年齢層ばかりのお客さんを見ると、“新しいファンは作れていない!”と思っちゃいますよね。
これでは将来的にはジリ貧になっていくのは目に見えています。

2008頃にあった60年代ファッション再来の時(安室奈美恵とかのMVでも「おしゃれ泥棒」ちっくだった)や、昨年(2013年)の春夏のモスキーノでのそのものズバリのオードリーの「いつも2人で」にインスパイアされたファッションとかが出てきた時って、60年代の新鮮なオードリーをもっとアピールして新しい道が踏み出せたはずなのに、どこもそれをしなかった。

いろんな会社で使い古された画像じゃなくて、どこも使ってない見たことも無いような画像で、しかも時代の流行にも乗って、新しいオードリーをアピールするにも、他社との差別化を図る上でも願ってもないチャンスだったはずなんですけどね。

60年代後半になって、「おしゃれ泥棒」での鉄兜型帽子のオードリーや、「いつも2人で」の映画で見せるビニール素材やアルミ素材の衣装、派手な柄のミニの衣装などは、実は若い女性からもカワイイ!と言われている物なんですけどね~。

そういう衣装で、動きがあるポーズをしているオードリーが口を開けて大笑いしている…なんて、めっちゃいいじゃないですかー!
オードリーがちょっと年がいってて(36〜37才)、シワがあるのは今の技術では簡単に画像の修正が出来るはずですしね(実際最近の写真集では修正されている)。

今年(2014年)製作50周年の「マイ・フェア・レディ」での写真も、衣装は優雅だし、オードリーは修正をかけなくてもいいほどに若くて綺麗だし、それもいいですよね。個人的にはオードリーがベストに美しい「パリで一緒に」のライト・グリーンの衣装やピンクの衣装もいいですね〜。

本家のオードリー・ヘプバーン財団も含め、広告代理店やデザイン事務所やクライアントも、もっと新しいイメージで、若い世代を巻き込んで取り込んで行く方向に早く舵を切らないと、気がついたらオードリーは商業価値のない、ただの伝説の名前になっているような気がするんですよね。

…とまあ、今回は勝手な自己満足の妄言を書かせていただきました。(^^;A
オードリー映画の邦題について

今回はオードリー映画の日本題名に関してなんですけど、
「ローマの休日」「麗しのサブリナ」はまあ原題と同じとして、
「戦争と平和」は変えようがないですよね(笑)。
同じく原作物として「緑の館」も戦前から原作がありましたんで、
もうどうしようもないですね。
さて、それ以外の作品、
「尼僧物語」「許されざる者」「ティファニーで朝食を」
も原作がありますけど、これらは映画の公開に合わせて
原作が発売されたので、まあこれらは日本題名を
宣伝部の人達が考えたんでしょうねー。

で、オードリーの映画の邦題で一番素晴らしい!って思うのは
なんと言っても「おしゃれ泥棒」!!
これ原題が“HOW TO STEAL A MILLION”ですから、
直訳すると“100万ドルを盗む方法”ですよね。
それが「おしゃれ泥棒」!
なんて凄い発想でしょうか!
「100万ドルを盗む方法」だとマリリン・モンローの
「百万長者と結婚する方法」みたいでパクリっぽいですよね。
で、たぶん宣伝部の人が考え付いたのが「おしゃれ泥棒」。
これ、よく考えると凄いですよ!
この題名だけでオードリー映画らしさが全面に押し出されてますし、
映画の内容も伝えてる!
もうこの邦題を決めた方にお礼を言いたいくらい!
この映画のメインになった鉄兜型帽子をかぶるオードリー写真と共に、
強烈なインパクトを与えています。
しかもしかもこの邦題、なんと映画の撮影中から決定していたんですよね。
映画の撮影中の原題は当時の雑誌でわかるんですけども、
もっと長かったんですよね。
“HOW TO STEAL A MILLION DOLLARS AND LIVE HAPPILY EVER AFTER ”
直訳すると“100万ドルを盗んでその後幸福に暮らす方法”。
もしこのままアメリカで公開されてたらオードリー映画中異様に長い原題
だったんですけどね(笑)。
でもその最初期から邦題は「おしゃれ泥棒」に決定してる。
素晴らしい!

あとは「暗くなるまで待って」もオードリーだから
原題の“暗くなるまで待て”よりも柔らかい“待って”に
したんですね。これも良い判断です。

逆に最悪な邦題は「パリの恋人」!
これ、原題そのままの「ファニー・フェイス」でいいやん!って感じですよね。
実際その“ファニー・フェイス”がその年の流行語になってますしね。
わざわざ邦題考えて、インパクトなしの「パリの恋人」じゃあねえ…。

あとこれは邦題を考えた人が苦労しただろうな〜と思われるのが
「いつも2人で」と「パリで一緒に」。
原題がそれぞれ“TWO FOR THE ROAD”“PARIS WHEN IT SIZZLES”
ですからねー。僕も中学の時代からいろいろ最適な題名を考えましたけど、
結局浮かびませんでしたよね。それくらい難しい(笑)。

「いつも2人で」は「おしゃれ泥棒」と同じ20世紀FOXさんですけど、
これは苦労したみたいです。
撮影中の題名も「道行く二人」だの「さすらいの二人」だのって
どんどん変わってる。どっちももうひとつな題名ですよね?
インパクトもないし、内容も表してないし、演歌の題名みたい。
原題の素晴らしい響きのかけらも残っていません。
かといって原題そのままの「トゥ・フォア・ザ・ロード」って
カタカナ表記してもなんじゃこれ?って感じ。
「パリの恋人」みたいな解決方法は不可、というわけですね。
結局悩みに悩んだ末、“二人”を“2人”にして
「噂の二人」よりはちょっとPOPな感じを出しつつ「いつも2人で」。
でもこれもインパクトよわ〜い。

「パリで一緒に」もこれまたいまだに「パリの恋人」と混同する人が
後を絶たないインパクト弱い題名です。
原題は“パリがジュージューいう暑さの時”。
こんなの邦題にできませんよね?
他にもこの映画の紹介の時に原題:「灼熱のパリ」とか「暑熱のパリ」
なんて書いてあります。
この映画の劇中劇で「エッフェル塔を盗んだ娘」という
映画が出て来ますけど、こちらが原題だったら
当時の題名をきめる人はどんなに楽だったでしょうか!
これならそのままで行けますもんね。
でも残念ながら“PARIS WHEN IT SIZZLES”ですから、
なんとかしなきゃいけない。
で、この原題の一部、“シズル”が曲者ですよね。
中学の僕は辞書をひいたら
“しゅーしゅーいう音、ジュージューいう音”なんて書いてある。
難しい…。
シズルってデザインの仕事なんかでよく使われるんですけど、
たとえばビールの宣伝でビールの入ったジョッキの写真に
“ここはもっとシズル感を出して!”なんてクライアントが書いて来る。
すごい曖昧な指示なんですけど、
結局ジョッキについた水滴とか、ビールの泡を際立たせるんです。
この場合、“暑くて汗をかいているビール”みたいな捉え方ですよね。
あるいは“もっとシュワシュワ感を!”みたいな。
結局クリアで冷たい感じを出すってことなんですけど。
感覚で捉えるしかないような指示。
これがデザインの世界では通用するからコワい。

「シャレード」は素晴らしい題名でしたね。原題そのままなんですけど、
後にダイハツの車の名前になったり、喫茶店の名前にも使用されてる。

「華麗なる相続人」も原題そのままの「ブラッドライン」で
よかったのではないかと。
シドニー・シェルダン原作の邦訳は「華麗なる相続人」公開当時は「華麗なる血統」、
今発売されているものは「血族」ですね。

最後に公開当時“おおっ!”と思われたらしいのが「昼下りの情事」。
“LOVE IN THE AFTERNOON”というロマンティックな原題が
「昼下りの情事」。
僕なんかはオードリーファンになった時から
すでにフリーセックスの時代の70年代を越えていましたから、
「昼下りの情事」くらいじゃ嫌らしいなんて全然思わないし、
「昼下りの情事」は「昼下りの情事」としてガンとして存在してましたけど、
こりゃまだまだ戦後間もないお堅い当時の人は
なかなか口にしにくかったんじゃないかなあ(笑)。
女の子同士で“「昼下りの情事」見に行きましょうよ!”なーんてね。
昔の日活ロマンポルノで「昼下がりの情事」なんてのもありましたしね。
だから間違えて「昼下がりの情事」って書かないでくださいね。
オードリーのは“が”が入ってませんからね(笑)。

2002年12月17日 改訂2003年1月9日
オードリーのパンフを集めていて思うこと…

オードリーグッズはですね、むか〜し中学と高校の頃に
一所懸命集めていました。
いろんな通販で買ったり、古本屋を巡って昔の雑誌を買い集めたり…。
でも一度一斉に手放してしまいました。
他にも趣味が出来て、そっちにお金を回さないといけなくて、つい…。
今から考えると、すっごいもったいないものがありました。
2度と手に入らないだろうな〜って。

その後もどーしても欲しい物はちょこちょこ買っていたんですが、
まあ、普通の生活でした。ところが!
再び主にパンフレットを集めるようになってしまったんです!

もともと60冊くらいは持っていたんですが、
今では200冊を越えています。
すごいですねー。
去年の夏頃にはパンフに1冊5000円がせいぜい、
10000円とかだったらヒエ〜!物だったのに、
今では10000円だったらOK!みたいな。
完全に感覚がコレクターさんのそれになってしまいましたよね(笑)。
その後普通の生活が送れません…。
洋服も買いたい、飲みにも行きたい!でも、でも…。(T T
いったんコレクターになった人って
その後普通の生活に戻れない気がするんですよね。
僕なんてオードリーだけでもこの有り様ですから、
なんでもかんでもの人って永遠に終わらないのじゃないかと…。

さて、パンフって、まず中身ですよね!
読んでて面白いものと、そうでない明らかな手抜きの物とあります。
小森のオバチャマの解説を読んでいて、
途中で終わっているからページをめくったら、
全然違うこと書いてるんです!オードリーの略歴、みたいな。
“えっ!”って思って次々めくれどもめくれども
解説が復活しないんです!
なんと見事に途中でとんずらしている小森のオバチャマでした。
あと、「戦争と平和」の初版パンフレットって、
半分もオードリーが1909年生まれになってる!
そしたら1955年撮影のこの作品、
オードリー46才ということになるんですよね。
そしたら1952年撮影の「ローマの休日」なんて43才じゃん!
みたいな。実際は1929年生まれなんですけど。
当時の純朴な人達、信じた人もいるんじゃないかな〜。
“オードリーって若く見えるけど本当はオバサンなのね!”って。
あとねー、雑誌“スクリーン”だか“映画の友”だかの
ページそのまんまパンフで使っている物とか。
公開の時に原題が変更されたんですけど、
撮影中の題名そのまま使ってるし。
著作権、という考えがないみたいです(笑)。
あと、今なら、その映画の悪いトコなんてパンフに載せないじゃないですか。
美辞麗句できれーに飾った解説だけで。
ところが、昔の人って辛辣ですよね。
その作品の悪い所をバンバン書いてる。
ひえ〜!って思います。“こんなこと書いても大丈夫?”
ってこっちが心配になるくらい。

集めていて、発見だとか、不思議に思うこともありました。
中身一緒なら、裏表紙とか映画館の館名があるなしは
昔はちっとも気にしていなかったのに、
裏が違うのをちょっと買ってみたんです。
そしたら!中身も違う物でした!!
わわわ〜っ!!!って思いましたね。
表紙一緒だからって、買わないでいたらわかんなかった!って。
あと、「ローマの休日」の一般には63年リバイバルのだと
思われていた物を手に入れてみたら、
67年作品の「いつも2人で」が載っていたり…。
これって63年だったら有り得ないですよね?
だって本当に63年だったらまだ企画されてもいないんですから!
館名のあるなしも重要だったりします。
館名なしのものって、たまに館名のある物より
ページ数が少なかったりもするんです!

あとねー、「ティファニーで朝食を」には
面白いものもあります。
大阪のパンフなんですけど、表紙に
「テファニィーで朝食を」なんて印刷されてる物があるんです!
わかりません?“ティファニー”ではなく“テファニィー”なんですよお!
ちゃんと「ティファニーで朝食を」になってるものもあり、
「テファニィーで朝食を」の物もあり(笑)。
表紙が「ティファニーで朝食を」で、ページをめくったら
まだ「テファニィーで朝食を」のものもあるんです。
面白いですよねー。

それと、集めるって、1人じゃ絶対に無理です!
いろんな人の協力があって、初めて手に入れられる
物があるんだなーって実感しました。
集めていて知り合った、優しい人達に支えられて
ここまでやってこれたんだなーって。
これをご覧のみなさん、家の押し入れに
お母さんやお祖母さんのオードリーパンフ、
眠ったままになっていませんか〜?

でもなんだか、集めても集めても異版が出てきて、
いつまでたっても残りが50冊くらいから
減らないんですよねー。
しかも残っているパンフはレアになる一方。
道のりはとっても長いのでした。はあ〜…。

2002年11月26日
16.昔の雑誌を見て思ったこと

最近、昔の映画雑誌を知り合いの方からいただきました。
54年〜72年にかけての物ですが、それを見て思ったことを…

現在の日本ではオードリーは永遠の人気を
保ち続けているかのようなイメージしかないのですが、
実はその時代時代で微妙に扱いが違うんだな、
ってわかったんです。
それがまるでタイムスリップしたかのような、
オードリーとリアルタイムで時を歩んだような
不思議な錯覚に陥りましたねー。
“オードリー頑張れ頑張れ!”って応援したくなるような…。

54年には期待の新人第1位で、まだ「ローマの休日」公開前のため、
海の物とも山の物ともつかない扱いがとっても微笑ましいです。

ところが55年後半、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の公開が
済んだ後でのオードリーの評価は一変。
異常なまでのオードリーブームは過去の物になり、
「ローマの休日」では妖精と騒がれたのに、
「麗しのサブリナ」では妖精のかけらもない、
などと書いてあって、現在オードリーが“妖精”といわれている
代名詞のような「麗しのサブリナ」がこの当時は
そうだったのか!とびっくり。
そして撮影中の「戦争と平和」のことも書いてあり、
ここが正念場、みたいな扱い。
ここは完全にオードリー人気は冷え込んでいるようでした。
実際人気投票でも「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の公開後の
55年初頭の人気投票では“映画の友”では3位、“スクリーン”では第1位だったのに、
56年の人気投票ではベストテンにすら入っていないという凋落ぶり。
「ローマの休日」は単なるブームであり、
決してオードリーは「ローマの休日」1本だけで今の人気を
維持出来たわけではない、というのがはっきりします。
むしろその後の作品群が永遠のオードリーを支えてきた、と。

57年になると「戦争と平和」の公開も終わっており、
「パリの恋人」と「昼下りの情事」が待機中。
ここでのオードリーに関しての文章で
“オードリーを見て早晩人気は没落するだろう、と
予測していた人がいる。私はそれに反対して賭けは今の所私の勝ちだが…
(中略)オードリーが衣装や髪型で騒がれている間は
彼女の永続性は保証されないだろう。”
というのがあって、
誰よりも誰よりも人気が続くオードリーに対して、
こういう見方が当時はあったのか!という驚愕!そして苦笑。
衣装も髪型も不変性の魅力の1つであるオードリーに!
このあと「パリの恋人」と「昼下りの情事」でもう一度
オードリー人気は爆発するのに、
まだまだオードリーの人気と演技って安定した地位を築けていないんだな、
ってとっても不思議ワールドでした。
現在でも続くオードリー人気を教えてあげたいくらい!

さて59年、“チャレンジオードリー”の「緑の館」と「尼僧物語」が
撮影を終わっており、公開間近の段階では当代随一(この言い方も大時代がかってるな〜(笑))の
人気スターとしての地位はすでに揺るぎないものになっていました。
このあたりってオードリーが“スクリーン”や“映画の友”で
何年連続人気投票第1位!というのを爆走していた時期ですよね。
ここは安心して雑誌を読めました。

飛んで65年前半、オードリー「マイ・フェア・レディ」の公開も終わり、
不動の位置をキープしてきたにもかかわらず、
「サウンド・オブ・ミュージック」で出てきた
ジュリー・アンドリュースにな〜んか押され気味。
翌年の人気投票で“スクリーン”“映画の友”どちらもで
オードリーはジュリー・アンドリュースに1位の座を奪われるんですよね。
少し落日のオードリー、という感が漂っていました。

そして66年と67年、オードリーは見事「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」
で復活!!“やっぱりオードリーでなきゃ!”という
すっかり安定した人気を保っているようで一安心。
が、このころは新鮮味という点でアン・マーグレットが
1歩リードしているようで、誌面もずっとアン・マーグレットに
ページが割かれているようでした。

72年になると、すでにオードリーは引退状態。
にもかかわらず前年「エクスラン・ヴァリーエ」のCMがあったためか
人気は衰えることもなく、表紙もオードリー。
雑誌編集者もやはり人気が凄すぎてオードリーははずせないのか、
昔の映画のオードリーをなんとかグラビアに入れなきゃ売れない!
って思っているみたいで微笑ましいです。

全部を通して感じたのはオードリーはやっぱり凄い!ってこと。
それぞれの年度でいろんな当時の人気スターが載っています。
でもね、そのすべてにいるのはオードリーただ1人!
最後の72年の雑誌にいる人でもいまはもう雑誌にいない。
70年代後半から80年代前半にかけて
雑誌から一時消えたオードリーでしたが、
80年代後半から90年代前半にかけて
再び雑誌に登場し、付録もオードリーポスターだとか
ハンドブックだとかが付くようになりました。
今はまた人気も落ち着いていますが、
今でもオードリーのDVDなんかが発売される際は鳴り物入りの宣伝。
改めてオードリーの偉大さを見せつけられた
古雑誌探訪だったのでした。

★2002年10月2日を文字の言い回しを少しだけ改訂しました。

上記の文章から、既に10年以上経っているのですが、
今でもオードリーは“スクリーン”誌のベストテンの常連です。
今年の2013年5月号でも第4位です。
2007年には第1位になっていましたね。
1980年代後半〜90年代前半のようなブームではありませんが、
未だにたまに女性雑誌で特集が組まれています。
昨年は「VOGUE JAPAN」と「婦人画報」での特集がありました。

海外でも雑誌の表紙を飾っており、
今年の「VANITY FAIR」でカラーライゼーションされた画像が
表紙&誌面を彩っていました。

写真集や伝記・評論も世界的に出版され続けており、
いまやオードリーは日本よりも世界で人気のある女優さんだと言えるでしょう。
 3. ユベール・ド・ジヴァンシーについて

 今回はオードリーとは切っても切れないジヴァンシーについて…。

 ジヴァンシーってオードリーを語る時、絶対に出て来ますけども、
 64年頃の雑誌とか見ていると“オードリー離婚?”とかいう記事があるんですね。
 実際に離婚するのはもうちょっと先なんですけども、その時の次のダンナさん候補にジヴァンシーがまっ先に挙ってるんですね。

 いまではジヴァンシーはゲイじゃないかって、女性にはあんまり興味がないことは知られてますけども、当時はまだ知られてないですね。
 でもきっとオードリーは知っていたと思いますよ~。あれだけ仲がいいから。

 そしたらオードリーからしたら結婚なんて有り得ないですよね。
 もしジヴァンシーと結婚したら“仲の良い夫婦”ではなく“仲の良い兄妹”みたいになりますよね。
 これって完璧な夫婦を目指していたオードリーにとってはちょっと違いますよね。

 だから当時こんな記事が出るたびにオードリーとジヴァンシーってきっと苦笑していたことでしょうね。
 “またおバカなこと書いて!”とかって。

 ジヴァンシーとオードリーの付き合いって「麗しのサブリナ」から始まりますけど、
 昔はイブニングドレス1点だけ、って書いてあったのに、最近ではパリ帰りのスーツもそうだとか、
 いやいや肩をリボンで結ぶ衣装がジヴァンシーだ!とか、
 すごいのになるとパリから帰って来たオードリーの衣装は全部ジヴァンシー!とかって色々諸説がありますね。

 肩をリボンで結ぶ衣装はもう1人のオードリーの衣装では有名なイディス・ヘッド女史が自分が衣装デザイン賞をもらった作品のデザイン画を並べてある写真に載ってましたから、ジヴァンシーではない気もするんですけど、イディス・ヘッド女史の弟子が“彼女は弟子のデザインを製作しただけで自分ではデザインしていない!”とかって暴露されてましたから、本当に女史のデザインなのかどうなのかわからないところもあるんですけども。

 で、「麗しのサブリナ」に出てくる有名なイブニングドレスなんですけども、これを書くと某HPの管理人さんのようにその後そういう風に見えてしまってイメージをぶっこわすかもしれないんですけども、僕にはあの衣装は何回見ても正面から見ると蛾にしか見えないんですよね~。
 それまで横向きのオードリーとかしか写真で見たことなかったので、初めて映画を見た時はオードリーがあの衣装で登場した瞬間、“蛾が出たッ!!”って思いましたね。
 どうみても周りのスカートが形も模様も蛾の羽に見える!そんでもってオードリーの足が蛾の体の部分。
 それからその衣装の間中、“蛾、蛾、蛾!”って思ってました。
 もしかして「麗しのサブリナ」に対して僕がいまひとつ乗れないのは、この蛾のドレスのせいかも…(笑)。
 きゃー!りんぷん飛ばさんといてー!みたいな。


 ★2002.5.18(おバカな内容ですけど、10年前のそのまま載せました。恥っ!)
 以前、オードリーのHPで知り合った(というか、大事な方なんですが、まだ一度も実際にお会いしたことが無いんです)TYさんに頼まれて、2002年から“みつおのオードリーと映画のお話”という名前のコーナーで僕の文章を公開していただいてました。

 その後、ご事情でそのサイトは閉鎖されたので、過去の僕のオードリーに関する文章がなくなってたんです。
 いつかこっちに移植しなくちゃね~と思ってたので、やっと重い腰を上げて、少しずつこっちに掲載していくことにします。

1.オードリーと僕の初めての出会い

 はじめまして!この度TYさんからページの一部をいただきまして、畏れ多くもオードリーに関してのエッセーを書くことになりました。
 
 で、第1回目に何を書こう…と考えてましてですね、TYさんからも指針をいただいていたんですけど、逆にどう書けばいいかわからなくなってしまいまして…(笑)。
 で、今回は全く好き勝手に書くことにしました。
 次回からはもっと突っ込んで書くことにして、
 今回のテーマは
「オードリーと僕の初めての出会い」
 これで行きます!(←勝手なヤツ)


 僕とオードリーの元の元の出会いは小学4年生の時にテレビで「ローマの休日」をやっていたんですよ。
 それでボーッと見ていたのが本当の出会いです。でも途中から見てました。

 しかもその時は誰とかわからなくて、後にリバイバルで「ローマの休日」を劇場で見た時に、初めてその時見た物がなんだったかわかったという。

 その次は小学5年の時にバス停で待っているとオードリーの「マイフェアレディ」のポスターが貼ってあったんですね。
 で、出演者を見ると“オードリー・ヘプバーン”って書いてある。
 “誰これ?”って感じでした。結構大々的に宣伝しているのに知らん!みたいな。
 当時知っていたのはエリザベス・テーラー、マリリン・モンロー、カトリーヌ・ドヌーブ、ソフィア・ローレンくらいだから知らなくて当然なんですが…。


 で、そんなのを除いた本当の出会いは小学5年・6年と一緒のクラスに好きな女の子が2人いまして、その子達と話をしていると1人は“オードリー・ヘプバーンが好き!”もう1人は“ヴィヴィアン・リーが好き!”と言っておりまして、今から考えるとなんておませな女の子達だろう!とか思うんですけどもね。
 そんで“僕も見なくちゃ!”と思いましてですね、それでたまたまテレビでやっていて見たのが「いつも2人で」。
 もーうめちゃくちゃよくてですね、一発で大ファンになっちゃいました!それが意識して見た初めてのオードリー。


 映画館での最初の出会いはですね、その女の子と一緒に見に行った「ロビンとマリアン」でした。
 「ロビンとマリアン」の魅力に関してはのちのち述べさせてもらうことにして、とってもおもしろくて、とっても悲しい映画でした。
 後から思うとこれがオードリーにとっての最後の代表作だったんですね。
 最後泣けてしまいまして、でも横に女の子がいるじゃないですか~、ワンワン泣く訳にはいきませんよね。
 でもつい涙が流れてしまいまして、手で涙を拭うのもカッコ悪いので、まったくそのままで、見終わった後“頼むから明かりすぐにつけんといて!”(←ここ早口で)って思いましたよね。
 涙を見られるのがイヤで、先に立ってどんどん映画館を出ましたね(笑)。


 その後その女の子達とは疎遠になったんですが(今、どうしてるんだろ…)、
 オードリーとヴィヴィアンは今でも僕のだだ大好きな2大スターです!!
 (TYさん、こんなになってしまってごめんなさい)


 ★2002.5.16の文章にほんの少し手を入れました。

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