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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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81.オードリー・ヘップバーン映画にはオードリー・ヘップバーンはいない!?

みなさん、気づいてました?
実はオードリー・ヘップバーンの映画にはオードリー・ヘップバーンがいないんです!

これって何のこと?って思いますか?
オードリー・ヘップバーンの映画なんだから、オードリーがいるのは当たり前やんか!みたいな…。

実はこの“オードリー映画にはオードリーがいない”というのは、
“もしオードリーの出演作が全て現実のことだったら…。”というお話です。
ちょっとおバカでSFちっくな考え方なので、“ふ〜ん”って軽く読んでいただけるといいかと思います。

映画を観る時って、みなさんそれぞれいろんな登場人物に感情移入、あるいは僕のように守護霊になった気分で見てらっしゃるかと思うんですが、そうすると自分がまるでその世界に生きているような気になったりしませんか?
映画が終わる時、その世界から現実に戻されるので、ちょっと寂しいな…と感じたり。

なので、“もしその映画が本当のことだったら…”ってもしもの世界を想像する事が有るんですが、みなさんはそういうことってないですか?
一緒にニコルやジョアンナやサブリナたちが生きていたらいいな〜って。

さてそこで、もしオードリー映画が本当の現実世界の事だと仮定すると、どういう事が起こるんでしょうか?

実はその途端にその世界からオードリー・ヘップバーンはいなくなってしまうんです!

もし撮影した年にその登場人物が本当に生きていたとすると、彼女たちはものすごい “オードリー・ヘップバーン” という女優に似てると思いませんか??
ところが劇中で彼女たちは一度も“オードリー・ヘップバーンにそっくりだね!”って言われないんです!

「ローマの休日」の時(1952年夏撮影)はまだオードリー・ヘップバーンは銀幕のスターではありませんでしたから、誰も気付かなくてもおかしくないんですが、「麗しのサブリナ」以降は映画界の注目の的で、めちゃくちゃ有名になった女優 “オードリー・ヘップバーン” との激似を誰も指摘しないなんておかしいですよね?
だってアリアーヌもスージーもビックリするくらいオードリー・ヘップバーンに似てるじゃないですか!まさに瓜二つですよね!

100歩譲って、「噂の二人」のカレンが住んでいたところは田舎町なので、“オードリー・ヘップバーン” を誰も知らなかったかもしれませんが、「パリの恋人」のジョーはファッション界、「パリで一緒に」のガブリエルや「ティファニーで朝食を」のホリーは映画界そのものとも関係しているので、超有名なオードリー・ヘップバーンを知らない、ということはあり得ないことです。

「パリで一緒に」なんかはまさに映画界のことだし、当時大スターだった “トニー・カーティスに似てるの。” なんて会話が出るのに、タイピストのガブリエルがオードリーにめちゃくちゃ似てるってことを指摘されないのはおかしくないですか?
「マイ・フェア・レディ」のことも会話に出てくるのに、当時既に配役は決まっていたであろうオードリー・ヘップバーンが出てこない、というのはこの世界にはオードリー・ヘップバーンがいないから…という事だからですよね。

なので、きっと彼らの生きている世界は、現実にあったとしても僕らの住んでいるこの世界ではない、似て非なる《平行宇宙(パラレルワールド)》での出来事ということになりますよね。

時代劇である「戦争と平和」「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」「マイ・フェア・レディ」「ロビンとマリアン」の世界は、もしかしたらオードリー・ヘップバーンが存在する、僕らと同じ世界に繋がっているかもしれませんが、現代劇は全部《平行宇宙》のお話ですよね。

その世界では「ティファニーで朝食を」のホリーはマリリン・モンローだったかもしれませんし、「マイ・フェア・レディ」のイライザは、オードリーの次に候補だったというエリザベス・テイラーが貫禄たっぷりに演じていたかもしれません。
それともや舞台と同じくジュリー・アンドリュースが演じて、逆に「メリー・ポピンズ」がジュリーじゃない人が主演だったかも…。
とにかく映画の歴史は大きく変わっていた事でしょうね。

「パリで一緒に」なんかは映画界の話で徹底的に遊んでいるので、
“君はオードリー・ヘップバーンに似てるね。”
“あら、そうかしら?たまに言われるわ。”
なんて会話があっても良かったのにな〜と思うんですけどね。
そうすれば、劇場の観客は沸いたでしょうし、僕も“この世界にはオードリーがいるんだなー。”って考えられたのになーって。

まあこれはどの俳優さんでも言える事であって、マリリン・モンローの映画世界にはマリリン・モンローは生きていないし、グレース・ケリーの映画にはグレース・ケリーがいないのでしょうね。
アラン・ドロンでもクリント・イーストウッドでもスティーブ・マックイーンでも、最近のジョニー・デップでもアンジェリーナ・ジョリーでも、現代劇ではみんなそういうことになりますよね。

今までわりとそう思ってきて、でもこんなパラレルワールドの疑問は誰もネットでも書いてないので、みんなはどう思ってるのかなー?ということで今回アップしてみました。
今回は、オードリー・ヘップバーン映画の題名の誤表記に関して。
どうでもいいと思う人にとっては本当にどうでもいいことなんで、まあ読まずに素通りしてください。

今はネット社会なので、ネットを検索してるとわかるんですが、オードリー・ヘップバーンの映画の題名に関しても、いろんな間違いがありますねー。

一番多いのは “昼下がりの情事” って書いてあるもの。
これは「昼下りの情事」と、“が”の送り仮名が無い方が正解ですね。

昔は文章を書く時は全部手書きで書いてたでしょうしね。それに印刷の場合も昔は文字の活字を組版していましたから、間違いは少なく、「昼下りの情事」となってました。
その後時代は進んで、写植というものになりましたが、ここでも「昼下りの情事」ときちんと表記されることがほとんど。

ところが、パソコンが普及して来た1990年代後半頃から、間違いの「昼下がりの情事」がやたら多くなってくるんですよね。
これは“ひるさがり”と打つと“昼下がり”と変換されるから。
確かに日本語的には送り仮名は“昼下がり”が正しいんでしょうが、映画という物は表記を含めて、その作品として成り立っていますから、やっぱりオードリー映画の“昼下がり”は間違い。

ちなみに70年代の日活ロマンポルノで「団地妻 昼下りの情事」という作品もありますが、これも昔のは“昼下り”と“が”無しが正しいようです。
2010年にリメイクした物は「団地妻 昼下がりの情事」と“が”入りになってました。
なので、「昼下がりの情事」って“が”入りで書くと、それはエッチなほうの映画、ということですよ。

個人のブログなんかで“昼下がりの情事”って間違って書かれてるのはまだしも、映画専門のHPや映画館のサイトとかでそう書いてあるのは、映画に携わっている者としてはちょっと恥ずかしいな〜と僕は思ってます。

続いて多いのは“いつも二人で”と書いてある「いつも2人で」。
“二人”と“2人”の違いくらいどうでもいいやん〜。って感じですかね?
でも僕にとってはそうではないんです。

2003年頃に“みつおの映画とオードリーのお話”で書いていた《22.オードリー映画の邦題について》でも書いてたんですが、「いつも2人で」の邦題はめちゃめちゃ日本の20世紀フォックスさんが苦しんでいたのが当時の雑誌とかを見るとわかるんです。

前作「おしゃれ泥棒」みたいにピタッと決まる題名が浮かばなくて、撮影中から公開寸前まで何度か仮題が変わってるんです。
映画はファッションも構成も、「おしゃれ泥棒」よりももっと当時の“現代的”な感じに仕上がってるので、「さすらいの二人」なんていう1つ前の仮題では全然しっくりこない。
なので、公開前の宣伝を始めるギリギリになって「いつも2人で」になったみたいなんですよね。

「噂の二人」みたいに“二人”という漢字表記にしないで、“2人”というローマ数字表記にした所に、当時の20世紀フォックスさんの題名を考えた担当者の、“なんとか少しでも新しい感じを出そう!”っていう産みの苦しみを見て取れるんですよね。

60年代前半の内容の暗くて重い「噂の二人」と60年代後半のサイケデリックな衣装と斬新な構成で魅せる「いつも2人で」を考えた時、この“ふたり”の表記の違いの意味は大きいと思うんですよね。

結果を言えば、残念ながら「いつも2人で」という邦題は「おしゃれ泥棒」ほどにピタッと決まってないし、インパクトも弱い。
でも担当者が苦しんで苦しんで、のたうち回ってやっと決めた題名だから、安易に“「いつも二人で」でええやん”って言って欲しくないし、僕はそう書きたくない。

日本語題名は宣伝をする際、その映画の《顔》になりますから、各社とも考えて考えて題名を決めてるんですよね。

まあ、80年代〜90年代にはヒット作にあやかって安易に“愛と○○の○○”みたいな原題に全く関係のない題名や、英語の読みそのままをカタカナ表記にしただけという、内容がさっぱりわからない!などの、映画に関わる者として全く気概を感じない題名が続々と出て映画ファンに酷評されてましたけどね。

でもまあ昔からこういう題名の付け方というのは存在してて、ひとつ大当たりの映画が出ると、便乗した題名がワサワサ出てきてましたね。「太陽がいっぱい」がヒットするとそれこそ“太陽”のつく題名がいっぱい出てきたり、マカロニ・ウエスタンの流行った時には“荒野”と“用心棒”だらけだったり、ブルース・リーの映画がヒットすると“ドラゴン”のつく映画が続々湧いてきたり。

便乗題名の定番としては、全然内容が違うのに“○○2”だとか“新・○○”とかっていうのもありますよね。オードリー映画では「おしゃれ泥棒2」がそれにあたります。
また、オードリー映画にあやかって「新・おしゃれ泥棒」とか「シャレード'79」とかっていう本当はオードリー映画と何の関係もない作品もありました。

でもそういういい加減な題名のつけられた映画は、流行りや過去のヒット作の題名に頼らないといけないほど出来が悪いからなんでしょうけど、ごくごくわずかな出来も良かった例外の作品を除いて、結局たいしてヒットしませんよね。

正直、“新”とか“2”とか付けられた、元の作品とは無関係な映画って、余計に安っぽくて侘しい感じがするんですけどねー。“絶対に元より質が悪いぞ…”って見る前から一般人にはわかってるのに、肝心の映画会社の人がそういうことに気づかないのかな?

でもさすがにマネーメイキングスタートップだったオードリーの全盛期の作品はどれも考えに考えられて題名が付けられています。

他に間違いは「麗しのサブリナ」が「麗わしのサブリナ」というのも昔はありましたが、これは逆にPCやスマホの時代になって無くなりました。“うるわしの”がきちんと“麗しの”で変換されるからなんでしょうね。

あとはごくごくまれに「おしゃれ泥棒」が「お洒落泥棒」や「オシャレ泥棒」になってたり、「パリで一緒に」が「パリで一諸に」なってたりとかもありますね。
一緒の “緒” は糸偏が正しいんですけど、昔の手書きや印刷の時は “諸” って間違って書かれることも多かったんですよね。
今回は映画の中でのオードリーの年令について。

といっても、役柄での年令じゃないですよ、
撮影中のオードリーの年令のことです。

初めて「いつも2人で」を見た時、
小学5年生だったんですけど、
その当時は映画ってどうやって撮影されてるのかなんてちっとも知らなくて、
この映画は特に12年の夫婦の軌跡を辿る映画じゃないですか。
だから、本当に12年かけて映画を撮ったんだ!なんて思ってましたね。
11才の少年からしたら、役の上での18才も30才もみんな大人ですから、
なんかちっともオードリーの本当の年令がわかんなかったですね(笑)。
とにかく、後でこの「いつも2人で」のオードリーは
わずか数カ月で撮影されていて、
しかも36〜37才だって知ってびっくりしましたね。
“若い〜〜!!”って。
11才からしたら37才なんてすっごい大人ですもんね。
しかもどっちかっていうとイメージは“おねえさん”じゃなくって、
“おばちゃん”。
まさかそんな“おばちゃん”があんな若く見えるだなんて、
思いもよらなかったですよね。
オードリーの若さに驚嘆しました!

さて、この「いつも2人で」、
オードリーに関する本では“38才で女子大生を演じた”、
「ローマの休日」の場合は“24才で初主演”
などと書かれてたりするんですけど、
そういうのをを読む度、“違うよ〜”って
細かいことなんだけど、ひっかかってしまうんですよねー。
だって本当に違うんです!

オードリーの映画って、端役の時代はともかく、
主演するようになってからはとても丁寧に作られているんです。
さっき撮って、明日映画館で上映されるような
穴埋めの為の粗製濫造映画ではないんです!
撮影後も編集・音楽・宣伝・試写・プレミア、
そして一般映画館での公開時期。
すべてが綿密に練られたプランに従って進み、
やっと完成品が出来た段階で
僕らが映画館で見れるようになるというわけです。
だから、オードリー映画は、制作年度とされている年の
だいたい1年前に撮影されているんですよね。

だから「ローマの休日」は1953年度作品になってるけど、
撮影は1952年の夏。ということは1929年生まれのオードリーは23才。
「いつも2人で」も1967年度の作品だけれど、
撮影は1966年4〜9月。
撮影中に37才の誕生日を迎えたオードリーの為に、
スタッフが用意したバースデーケーキの前に立つオードリーの
画像なんかも残ってます。
ということは「いつも2人で」の場合、36〜37才のオードリー。

「パリで一緒に」は1964年度作品に最近はなってることが多いんですけど、
発売が遅れただけで、実際は1963年度制作作品。
だから撮影は1962年だし、オードリーは33才。
ということで映画で演じているオードリーの年令を出すには、

制作年度の下2桁−30=オードリーの年令

これでいいんです。ほら、簡単な公式でしょ?
これでもう誤った記述に惑わされることはないです!

じゃあ、もうわかりますよね!
1957年の「昼下りの情事」は何才?
1961年の「ティファニーで朝食を」は?
1976年の「ロビンとマリアン」は?

はい!よくできました〜。(^-^

2004年7月30日 改訂:2014年7月29日
最近のオードリーって、50年代の画像中心で、しかも元々はカラー画像の物までモノクロ化されて世に出回っています。
そしてレトロやノスタルジアを目指した売り方がなされているんですよね。写真集でも広告でもそう。

でも僕はそういうのはあまり好きじゃないんですよね。
オードリーを過度に過去の人扱いするのは、新しい若いファンを作るためには、むしろ逆に大きな妨げになってきていると僕は思ってます。

その扱いって、“オードリーいいね、懐かしいね…”って観点でばかり見て使用しているような気がするんですよね。これって僕ら以上の古い世代がそれ以上に古い世代に向けて発信しているだけなんですよね。
極端でヒドい言い方をすると、いわば老いた世代の独りよがり、単なる自己満足での完結、ってとこでしょうか。

あまりにも昔の人扱いにすると、僕らの世代がサイレント映画のスターを見るような遠い目で、今の若い人がオードリーを見るんじゃないのかなー。

最近リバイバルされた“スクリーン・ビューティーズ”(「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「麗しのサブリナ」)や初公開の「マイヤーリング」での劇場での高年齢な客層を見て、ますますその思いを強くしました。

実際オードリーが活躍してた頃から50年経った訳ですし、僕がオードリーを好きになった時代から50年くらい遡ると完全にサイレントスターですから、オードリーを過去に追いやれば追いやるほど、若い人には縁遠くなってもしかたないですよね。

しかもこの50年代の画像中心の何でもかんでもモノクロームでの売り方…日本が最初に80年代後半からスタートさせて、オードリーの死後、ネットの普及と共に爆発的に世界中に広がっていったものなんですけど、そこからぜんっぜん進歩してない。日本ではもう30年もこのやり方。僕は正直飽きました。
(海外でオードリーが亡くなった前後はというと、カラー中心で「シャレード」あたりがメインでした。)

広告や宣伝でも“このやり方が鉄板!”といわんばかりの50年代のオードリーのモノクロ(あるいはモノクローム加工された画像)ばかり。
デザイン的にはめっちゃ安易で無難な方法。

アゴを引いて口を閉じたオードリーがこちらをキリッと見つめるものばかりですよね~。
作品は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」そして「パリの恋人」。
たまに「ティファニーで朝食を」。

若いデザイナーやコーディネーターとか、しかも全く違う人がいろんなオードリーの広告を手がけてるんでしょうが、結果は判で押したように同じ画像を使用した、同じものが次々と出来上がっています。
誰がデザインしても無個性なものばかり。

きっと上司の人やクライアントもそれでOKを出すんでしょうし(というか、そういうのにしかOKを出さないのかもしれません)、若いデザイナーでも過去に倣って無難な(そしてありきたりな)広告を量産してるんでしょうね。

80年代後半にはその売り方は新しい試みで、実際オードリーを特集すればバカ売れする!ほどの一大ブームが巻き起こったほどだったですし、オードリーが生ける伝説となるきっかけになったことは間違いないです。

でも、そんなワンレン・ボディコンだった時代から30年も全く同じやり方…ってどうなんでしょうね?
80年代後半〜90年代前半の再ブーム時にオードリーのファンになった方でも、今や30代半ば以上。劇場での高年齢層ばかりのお客さんを見ると、“新しいファンは作れていない!”と思っちゃいますよね。
これでは将来的にはジリ貧になっていくのは目に見えています。

2008頃にあった60年代ファッション再来の時(安室奈美恵とかのMVでも「おしゃれ泥棒」ちっくだった)や、昨年(2013年)の春夏のモスキーノでのそのものズバリのオードリーの「いつも2人で」にインスパイアされたファッションとかが出てきた時って、60年代の新鮮なオードリーをもっとアピールして新しい道が踏み出せたはずなのに、どこもそれをしなかった。

いろんな会社で使い古された画像じゃなくて、どこも使ってない見たことも無いような画像で、しかも時代の流行にも乗って、新しいオードリーをアピールするにも、他社との差別化を図る上でも願ってもないチャンスだったはずなんですけどね。

60年代後半になって、「おしゃれ泥棒」での鉄兜型帽子のオードリーや、「いつも2人で」の映画で見せるビニール素材やアルミ素材の衣装、派手な柄のミニの衣装などは、実は若い女性からもカワイイ!と言われている物なんですけどね~。

そういう衣装で、動きがあるポーズをしているオードリーが口を開けて大笑いしている…なんて、めっちゃいいじゃないですかー!
オードリーがちょっと年がいってて(36〜37才)、シワがあるのは今の技術では簡単に画像の修正が出来るはずですしね(実際最近の写真集では修正されている)。

今年(2014年)製作50周年の「マイ・フェア・レディ」での写真も、衣装は優雅だし、オードリーは修正をかけなくてもいいほどに若くて綺麗だし、それもいいですよね。個人的にはオードリーがベストに美しい「パリで一緒に」のライト・グリーンの衣装やピンクの衣装もいいですね〜。

本家のオードリー・ヘプバーン財団も含め、広告代理店やデザイン事務所やクライアントも、もっと新しいイメージで、若い世代を巻き込んで取り込んで行く方向に早く舵を切らないと、気がついたらオードリーは商業価値のない、ただの伝説の名前になっているような気がするんですよね。

…とまあ、今回は勝手な自己満足の妄言を書かせていただきました。(^^;A
今日はオードリーの85回目の誕生日です。
そこで以前から気になっていたことを書きます。

オードリーって実生活では母性の強かった人でファンには知られていますよね。
「暗くなるまで待って」の後で、オードリーは子育てに専念する為にしばらく映画界を退いていますし。

でも映画では、オードリーはなんと3回しか母親の役を演じていません。
「モンテカルロへ行こう(モンテカルロ・ベイビー)」「いつも2人で」そして「ニューヨークの恋人たち」。

でも初期の「モンテカルロへ行こう」は赤ちゃんがいなくなるというドタバタ喜劇で、オードリーは母親でありながら、母性はあまり必要とされていない。そのうえまだオードリーも若いし、実際には母親になってないので、母親らしさは皆無。

「いつも2人で」はさすがに実際の母親になってからなので、せっかく作った砂のお城を壊された娘を思い遣るシーンは巧いのですが、子役があんまり気にしてなさそうなのがネック。(^^;
それにあくまでもこれは夫婦の話なので、あまり子供に重心は置かれていない。

「ニューヨークの恋人たち」は子供と歩くシーンがありますが、まあこれも子供がいるんです、っていう設定を見せてるだけで、話の筋では飾りみたいなもの。

なので、あんまり子供との関わりってのがないんです。映画では。
「噂の二人」が学校を経営している教師の役なので、子供は出てきますけど、これも母性が見れる作品では無いですしねー。

過去にオードリーがオファーを受けながら断ったらしい作品を調べると、子供との関わりの大きいものも無かった訳ではなさそうなんですよね。
たとえば「サウンド・オブ・ミュージック」。他に子供と大きく関わる作品が無いので、オードリーが演じたらどうだったんだろう…っていうのがあんまり想像できません。

他にも、1959年の「月夜の出来事」というケーリー・グラントのロマンティック・コメディ映画で、映画評論家の大御所だった双葉十三郎氏が “これはオードリー・ヘプバーンの為に用意されたのではないか?” と書いておられます。
妻が死んで3人の子供を持て余しているところにソフィア・ローレンが現れて子供たちと仲良くなり、グラントと結ばれる…という役らしいんです。が、ソフィア・ローレンだとアクが強く、微笑ましさがない。オードリーだったらもっとキュートになったろう…と述べてらっしゃるんですよね。
もっともその時期のオードリーは「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」と、演技も出来る事を見せようと、真面目な映画にチャレンジしていた時期だったので、オファーがあってもコメディには興味なかったのかもしれません。

逆にオードリーにお母さんのいた役ってのもほとんどありません。実の母は「戦争と平和」1本だけ。あと「許されざる者」では育ての母がいますが…。
父子家庭なら「麗しのサブリナ」「昼下りの情事」「尼僧物語」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」と5本もあります。「華麗なる相続人」でも冒頭で父が亡くなりますが、母は既にいない設定なので、計6本になりますよね。

実際には父と離れて母子家庭だったオードリーですけど、このお母さんがかなり厳格にオードリーを育てたそうで、一般に想像するような優しい母のイメージでなかったことはファンの間では有名。
オードリーの伝記でも、母エッラは他の人といる時はとても気さくで明るい人柄なのに、オードリーに対しては別人のようで、とても厳しかったそう。オードリーもそれを苦痛に思ってたフシがあるんですよね。でもエッラは本当はオードリーを物凄い大事に思ってたんだろうなー、大好きだったんだろうなーって思います。エッラとオードリーにとって残念なことに、エッラは愛情の表現の下手な人だったんでしょうね。

ま、そのおかげで友人たちが知る自分を律するオードリーが形成されたんでしょうが、このオードリーの持つキリッとした感じが、演じるにあたっても母子家庭の子というよりも、父子家庭でお母さん亡き後、家の事一切をこなしてきた健気にお父さんを支える娘、という方がピッタリだったんでしょうね。

現実では母の(目に見える)愛情を受けなかったので、自分の子供には思いっきり母の愛情を注ぎたい!というのがオードリーの願いだったようです。
やがてそれが “映画に出ていると子供との時間が減ってしまう…” という思いに変わっていったようで、「いつも2人で」や「暗くなるまで待って」の頃のインタビューでは既に映画よりも子供といる時間を大事にしたいという発言をおこなっています。

後年ヴィスコンティが「家族の肖像」で、ピーター・ボグダノヴィッチが「カーテンコール/ただいま舞台は戦闘状態」でオードリーに依頼したような、年下の男と関係を持つ、などというオードリーのそれまでとあまりにかけ離れた、かつオードリーが演じたがらない役柄ではなく、オードリー自身に有り余っているような母性を演じるような、楽しいor真面目な役のオファーがあったら、もしかしたらオードリーも出演に快くOKを出したかもと思うんですよね。

でもなんで、そういうオードリーに不向きな役を監督たちもオファーするんでしょうねー。オードリーの性格からして、そういうのはもう依頼する前から受けないとわかりそうなもんですけどねー。まあ70年代という時代の映画が、オードリーらしさなど求めていなかったのかもしれないな〜とは思うのですけれども。

結局そういうオードリーの溢れる母性は、晩年のユニセフの行動に繋がっていって、“世界中の子供たちを救いたい!”と訴えるようになっていくんですよね。
その思いは今でも“オードリー・ヘプバーン子供財団”が引き継いでいるわけですけれども。

もし後期にそういう母の役があれば、ファンには実生活でのオードリーが息子たちにどんな風に接していたのかが垣間見えたかもしれませんし、「ロビンとマリアン」に続いての後期の代表作が出ていたのかも…なんて思って、ホントにもったいないな~と思うのです。
 今日はオードリーの21回目の命日です。ある意味、忘れられずにこうして21年も経ったってすごいこと。
 オードリーは63才で亡くなりましたけど、84才の今でも生きてるんだね〜!みたいな。

 オードリーに、“今、日本で「マイヤーリング」上映してるんですよっ!今でもこんなにファンがいるんですよっ!”って教えてあげたいです。あ、もう知ってるかも。(^^;

 で、今日はオードリーがパリでの常宿にしていたホテル・ラファエルについて。

 ホテル・ラファエルはもちろん五つ星(★★★★★)のホテルなんですけど、リッツ・ホテルのようには目立たなくて、いかにもオードリーらしい選択かなーと思ってます。

 さて、このホテル・ラファエルですけど、ある映画の宣伝写真でのロケに使われているそうです。それは「パリで一緒に」!
 オードリーとホールデンがベランダみたいな所に出て、ホールデンが後ろからオードリーの肩に手を乗せて、オードリーはそのホールデンの手に自分の手を重ねている、という画像です。あと、それらの一連の画像。遠景でエッフェル塔が見えますよね。

DSC_2765.jpg

 これ、旅工房さんに教えていただきました。そうだったのかー!ホテル・ラファエルって、オードリーが泊まったホテル、ってだけじゃなく、オードリーの映画のロケ地でもあったんですね!

 映画の中では、ホールデンが1人で出てくる最初のところを除いて、もちろんセットになってました。

 さて、オードリーは映画の撮影などでパリ住まいをしなければいけない時、自分の家具一式を持ち込んでいた、と書いてある伝記がいくつかあるんですよね。
 こないだの「松下奈緒 永遠のオードリー」という番組では家財道具一式、と言ってました。

 で、これを読んだ吉村英夫氏の著作なんかでは “他人の手が触れたものは我慢出来ない、大スターのわがまま、贅沢し放題、矛盾だらけの経済観念!”と決めつけられてました。

 オードリーは家庭を大事にする人だから、メル・ファーラーも一緒となると、少しでも家に近づくように&くつろげるように、ということでやっているんだとろうなーと僕なんかは思ってましたし、今までの記事でもそう書いてました。

 で、こないだの旅工房さんの“オードリーのクリスマス”でのホテル・ラファエルを解説してくださってたんですが、そこでわかったことがいくつかありました。

 まず、オードリーは「この部屋!」っていうのを決めていなかったらしいこと。
 ホテル・ラファエルの部屋のランクには、下からクラシック・ルーム、デラックス・ルーム、ジュニア・スイート、デラックス・スイートとあるようなんです。
 で、オードリークラスの部屋となると、誰でもきっとめちゃくちゃ豪華なスイートルームに泊まっただろうと想像するんですよね。きっと何部屋もあるような、みたいな。

 でもオードリーは基本ジュニア・スイートで泊まっていたらしい事。となると、リビングとベッドルームしかない部屋だそうです。
 何度も来てるうちには、ホテル側が気を利かせて1ランク上のデラックス・スイートに部屋を変えたりすることもあったんじゃないか、とホテルの事情をよく知っている旅工房さんのお話でした。

 確かにそう考えると、オードリーの泊まってた部屋が3階だとか、前述の「永遠のオードリー」では7階だとかっていうのも説明がつきますよね。オードリーは常に同じ部屋に泊まっていたわけではない、と。

 ホテルはいつも同じだけど、部屋は別にこだわっていない。私の都合ではなくて、あなた方の都合でいいのよ。ってのがいかにもオードリーらしい。
 オードリーって、撮影監督はなるべく気心の知れた人を指名してたようですけど、でも出来上がった作品はプレミア以降はもう見ない、こだわらない。ってのと、この同じホテルだけど決まってない部屋とが妙に納得しちゃうんですよね。

 もちろん改装はこまめにされているでしょうが、もしホテル・ラファエルのジュニア・スイート以上に泊まる事があれば、それはオードリーの泊まった部屋かもしれない!ということはあるかもしれないですよね。 

 さてそのジュニア・スイートでも、「永遠のオードリー」で紹介されていた7階の部屋でも、部屋の大きさは違えど、リビング+ベッドルームというのは同じ。正直そんなに広くはないです。

 というわけで、これでわかるのは、始めの方に述べた “家具(あるいは家財道具)一式を持ち運んでいた” という部分の本当のこと。

 もしオードリーが家具を持って行ったとしても、2部屋しかないスイートでは、運び込める量もたかが知れている、ということ。

 旅工房さんのお話では、“そんな!家具を持ち運んだとか、それは無いんじゃない?”とのこと。
 家具を持ち込んだか、家財道具だけだったのか、それともそんなことは全くしていないのか…。
 どっちにしても、そんな家中お引っ越し!みたいな状況では全然ない事だけははっきりしています。

 これってホテル・ラファエルをきちんと調べればわかることですよね。今までも何度もホテル・ラファエルも使った事のある旅工房さんだから部屋の様子もわかるので、それを聞いた僕も全てがクリアになりました。

 なので、某氏の著作など、ホテルを調べもせずに書いた“単なる妄想”ってのが丸わかり。ま、その人のオードリー本は全部そんな感じなんですけどね。┐( ̄ー ̄;)┌

 とにかく、オードリーはやっぱりオードリーらしくって、思った通り大スターにしちゃ意外と質素だってことです。
オードリー映画の邦題について

今回はオードリー映画の日本題名に関してなんですけど、
「ローマの休日」「麗しのサブリナ」はまあ原題と同じとして、
「戦争と平和」は変えようがないですよね(笑)。
同じく原作物として「緑の館」も戦前から原作がありましたんで、
もうどうしようもないですね。
さて、それ以外の作品、
「尼僧物語」「許されざる者」「ティファニーで朝食を」
も原作がありますけど、これらは映画の公開に合わせて
原作が発売されたので、まあこれらは日本題名を
宣伝部の人達が考えたんでしょうねー。

で、オードリーの映画の邦題で一番素晴らしい!って思うのは
なんと言っても「おしゃれ泥棒」!!
これ原題が“HOW TO STEAL A MILLION”ですから、
直訳すると“100万ドルを盗む方法”ですよね。
それが「おしゃれ泥棒」!
なんて凄い発想でしょうか!
「100万ドルを盗む方法」だとマリリン・モンローの
「百万長者と結婚する方法」みたいでパクリっぽいですよね。
で、たぶん宣伝部の人が考え付いたのが「おしゃれ泥棒」。
これ、よく考えると凄いですよ!
この題名だけでオードリー映画らしさが全面に押し出されてますし、
映画の内容も伝えてる!
もうこの邦題を決めた方にお礼を言いたいくらい!
この映画のメインになった鉄兜型帽子をかぶるオードリー写真と共に、
強烈なインパクトを与えています。
しかもしかもこの邦題、なんと映画の撮影中から決定していたんですよね。
映画の撮影中の原題は当時の雑誌でわかるんですけども、
もっと長かったんですよね。
“HOW TO STEAL A MILLION DOLLARS AND LIVE HAPPILY EVER AFTER ”
直訳すると“100万ドルを盗んでその後幸福に暮らす方法”。
もしこのままアメリカで公開されてたらオードリー映画中異様に長い原題
だったんですけどね(笑)。
でもその最初期から邦題は「おしゃれ泥棒」に決定してる。
素晴らしい!

あとは「暗くなるまで待って」もオードリーだから
原題の“暗くなるまで待て”よりも柔らかい“待って”に
したんですね。これも良い判断です。

逆に最悪な邦題は「パリの恋人」!
これ、原題そのままの「ファニー・フェイス」でいいやん!って感じですよね。
実際その“ファニー・フェイス”がその年の流行語になってますしね。
わざわざ邦題考えて、インパクトなしの「パリの恋人」じゃあねえ…。

あとこれは邦題を考えた人が苦労しただろうな〜と思われるのが
「いつも2人で」と「パリで一緒に」。
原題がそれぞれ“TWO FOR THE ROAD”“PARIS WHEN IT SIZZLES”
ですからねー。僕も中学の時代からいろいろ最適な題名を考えましたけど、
結局浮かびませんでしたよね。それくらい難しい(笑)。

「いつも2人で」は「おしゃれ泥棒」と同じ20世紀FOXさんですけど、
これは苦労したみたいです。
撮影中の題名も「道行く二人」だの「さすらいの二人」だのって
どんどん変わってる。どっちももうひとつな題名ですよね?
インパクトもないし、内容も表してないし、演歌の題名みたい。
原題の素晴らしい響きのかけらも残っていません。
かといって原題そのままの「トゥ・フォア・ザ・ロード」って
カタカナ表記してもなんじゃこれ?って感じ。
「パリの恋人」みたいな解決方法は不可、というわけですね。
結局悩みに悩んだ末、“二人”を“2人”にして
「噂の二人」よりはちょっとPOPな感じを出しつつ「いつも2人で」。
でもこれもインパクトよわ〜い。

「パリで一緒に」もこれまたいまだに「パリの恋人」と混同する人が
後を絶たないインパクト弱い題名です。
原題は“パリがジュージューいう暑さの時”。
こんなの邦題にできませんよね?
他にもこの映画の紹介の時に原題:「灼熱のパリ」とか「暑熱のパリ」
なんて書いてあります。
この映画の劇中劇で「エッフェル塔を盗んだ娘」という
映画が出て来ますけど、こちらが原題だったら
当時の題名をきめる人はどんなに楽だったでしょうか!
これならそのままで行けますもんね。
でも残念ながら“PARIS WHEN IT SIZZLES”ですから、
なんとかしなきゃいけない。
で、この原題の一部、“シズル”が曲者ですよね。
中学の僕は辞書をひいたら
“しゅーしゅーいう音、ジュージューいう音”なんて書いてある。
難しい…。
シズルってデザインの仕事なんかでよく使われるんですけど、
たとえばビールの宣伝でビールの入ったジョッキの写真に
“ここはもっとシズル感を出して!”なんてクライアントが書いて来る。
すごい曖昧な指示なんですけど、
結局ジョッキについた水滴とか、ビールの泡を際立たせるんです。
この場合、“暑くて汗をかいているビール”みたいな捉え方ですよね。
あるいは“もっとシュワシュワ感を!”みたいな。
結局クリアで冷たい感じを出すってことなんですけど。
感覚で捉えるしかないような指示。
これがデザインの世界では通用するからコワい。

「シャレード」は素晴らしい題名でしたね。原題そのままなんですけど、
後にダイハツの車の名前になったり、喫茶店の名前にも使用されてる。

「華麗なる相続人」も原題そのままの「ブラッドライン」で
よかったのではないかと。
シドニー・シェルダン原作の邦訳は「華麗なる相続人」公開当時は「華麗なる血統」、
今発売されているものは「血族」ですね。

最後に公開当時“おおっ!”と思われたらしいのが「昼下りの情事」。
“LOVE IN THE AFTERNOON”というロマンティックな原題が
「昼下りの情事」。
僕なんかはオードリーファンになった時から
すでにフリーセックスの時代の70年代を越えていましたから、
「昼下りの情事」くらいじゃ嫌らしいなんて全然思わないし、
「昼下りの情事」は「昼下りの情事」としてガンとして存在してましたけど、
こりゃまだまだ戦後間もないお堅い当時の人は
なかなか口にしにくかったんじゃないかなあ(笑)。
女の子同士で“「昼下りの情事」見に行きましょうよ!”なーんてね。
昔の日活ロマンポルノで「昼下がりの情事」なんてのもありましたしね。
だから間違えて「昼下がりの情事」って書かないでくださいね。
オードリーのは“が”が入ってませんからね(笑)。

2002年12月17日 改訂2003年1月9日
オードリーのパンフを集めていて思うこと…

オードリーグッズはですね、むか〜し中学と高校の頃に
一所懸命集めていました。
いろんな通販で買ったり、古本屋を巡って昔の雑誌を買い集めたり…。
でも一度一斉に手放してしまいました。
他にも趣味が出来て、そっちにお金を回さないといけなくて、つい…。
今から考えると、すっごいもったいないものがありました。
2度と手に入らないだろうな〜って。

その後もどーしても欲しい物はちょこちょこ買っていたんですが、
まあ、普通の生活でした。ところが!
再び主にパンフレットを集めるようになってしまったんです!

もともと60冊くらいは持っていたんですが、
今では200冊を越えています。
すごいですねー。
去年の夏頃にはパンフに1冊5000円がせいぜい、
10000円とかだったらヒエ〜!物だったのに、
今では10000円だったらOK!みたいな。
完全に感覚がコレクターさんのそれになってしまいましたよね(笑)。
その後普通の生活が送れません…。
洋服も買いたい、飲みにも行きたい!でも、でも…。(T T
いったんコレクターになった人って
その後普通の生活に戻れない気がするんですよね。
僕なんてオードリーだけでもこの有り様ですから、
なんでもかんでもの人って永遠に終わらないのじゃないかと…。

さて、パンフって、まず中身ですよね!
読んでて面白いものと、そうでない明らかな手抜きの物とあります。
小森のオバチャマの解説を読んでいて、
途中で終わっているからページをめくったら、
全然違うこと書いてるんです!オードリーの略歴、みたいな。
“えっ!”って思って次々めくれどもめくれども
解説が復活しないんです!
なんと見事に途中でとんずらしている小森のオバチャマでした。
あと、「戦争と平和」の初版パンフレットって、
半分もオードリーが1909年生まれになってる!
そしたら1955年撮影のこの作品、
オードリー46才ということになるんですよね。
そしたら1952年撮影の「ローマの休日」なんて43才じゃん!
みたいな。実際は1929年生まれなんですけど。
当時の純朴な人達、信じた人もいるんじゃないかな〜。
“オードリーって若く見えるけど本当はオバサンなのね!”って。
あとねー、雑誌“スクリーン”だか“映画の友”だかの
ページそのまんまパンフで使っている物とか。
公開の時に原題が変更されたんですけど、
撮影中の題名そのまま使ってるし。
著作権、という考えがないみたいです(笑)。
あと、今なら、その映画の悪いトコなんてパンフに載せないじゃないですか。
美辞麗句できれーに飾った解説だけで。
ところが、昔の人って辛辣ですよね。
その作品の悪い所をバンバン書いてる。
ひえ〜!って思います。“こんなこと書いても大丈夫?”
ってこっちが心配になるくらい。

集めていて、発見だとか、不思議に思うこともありました。
中身一緒なら、裏表紙とか映画館の館名があるなしは
昔はちっとも気にしていなかったのに、
裏が違うのをちょっと買ってみたんです。
そしたら!中身も違う物でした!!
わわわ〜っ!!!って思いましたね。
表紙一緒だからって、買わないでいたらわかんなかった!って。
あと、「ローマの休日」の一般には63年リバイバルのだと
思われていた物を手に入れてみたら、
67年作品の「いつも2人で」が載っていたり…。
これって63年だったら有り得ないですよね?
だって本当に63年だったらまだ企画されてもいないんですから!
館名のあるなしも重要だったりします。
館名なしのものって、たまに館名のある物より
ページ数が少なかったりもするんです!

あとねー、「ティファニーで朝食を」には
面白いものもあります。
大阪のパンフなんですけど、表紙に
「テファニィーで朝食を」なんて印刷されてる物があるんです!
わかりません?“ティファニー”ではなく“テファニィー”なんですよお!
ちゃんと「ティファニーで朝食を」になってるものもあり、
「テファニィーで朝食を」の物もあり(笑)。
表紙が「ティファニーで朝食を」で、ページをめくったら
まだ「テファニィーで朝食を」のものもあるんです。
面白いですよねー。

それと、集めるって、1人じゃ絶対に無理です!
いろんな人の協力があって、初めて手に入れられる
物があるんだなーって実感しました。
集めていて知り合った、優しい人達に支えられて
ここまでやってこれたんだなーって。
これをご覧のみなさん、家の押し入れに
お母さんやお祖母さんのオードリーパンフ、
眠ったままになっていませんか〜?

でもなんだか、集めても集めても異版が出てきて、
いつまでたっても残りが50冊くらいから
減らないんですよねー。
しかも残っているパンフはレアになる一方。
道のりはとっても長いのでした。はあ〜…。

2002年11月26日
16.昔の雑誌を見て思ったこと

最近、昔の映画雑誌を知り合いの方からいただきました。
54年〜72年にかけての物ですが、それを見て思ったことを…

現在の日本ではオードリーは永遠の人気を
保ち続けているかのようなイメージしかないのですが、
実はその時代時代で微妙に扱いが違うんだな、
ってわかったんです。
それがまるでタイムスリップしたかのような、
オードリーとリアルタイムで時を歩んだような
不思議な錯覚に陥りましたねー。
“オードリー頑張れ頑張れ!”って応援したくなるような…。

54年には期待の新人第1位で、まだ「ローマの休日」公開前のため、
海の物とも山の物ともつかない扱いがとっても微笑ましいです。

ところが55年後半、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の公開が
済んだ後でのオードリーの評価は一変。
異常なまでのオードリーブームは過去の物になり、
「ローマの休日」では妖精と騒がれたのに、
「麗しのサブリナ」では妖精のかけらもない、
などと書いてあって、現在オードリーが“妖精”といわれている
代名詞のような「麗しのサブリナ」がこの当時は
そうだったのか!とびっくり。
そして撮影中の「戦争と平和」のことも書いてあり、
ここが正念場、みたいな扱い。
ここは完全にオードリー人気は冷え込んでいるようでした。
実際人気投票でも「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の公開後の
55年初頭の人気投票では“映画の友”では3位、“スクリーン”では第1位だったのに、
56年の人気投票ではベストテンにすら入っていないという凋落ぶり。
「ローマの休日」は単なるブームであり、
決してオードリーは「ローマの休日」1本だけで今の人気を
維持出来たわけではない、というのがはっきりします。
むしろその後の作品群が永遠のオードリーを支えてきた、と。

57年になると「戦争と平和」の公開も終わっており、
「パリの恋人」と「昼下りの情事」が待機中。
ここでのオードリーに関しての文章で
“オードリーを見て早晩人気は没落するだろう、と
予測していた人がいる。私はそれに反対して賭けは今の所私の勝ちだが…
(中略)オードリーが衣装や髪型で騒がれている間は
彼女の永続性は保証されないだろう。”
というのがあって、
誰よりも誰よりも人気が続くオードリーに対して、
こういう見方が当時はあったのか!という驚愕!そして苦笑。
衣装も髪型も不変性の魅力の1つであるオードリーに!
このあと「パリの恋人」と「昼下りの情事」でもう一度
オードリー人気は爆発するのに、
まだまだオードリーの人気と演技って安定した地位を築けていないんだな、
ってとっても不思議ワールドでした。
現在でも続くオードリー人気を教えてあげたいくらい!

さて59年、“チャレンジオードリー”の「緑の館」と「尼僧物語」が
撮影を終わっており、公開間近の段階では当代随一(この言い方も大時代がかってるな〜(笑))の
人気スターとしての地位はすでに揺るぎないものになっていました。
このあたりってオードリーが“スクリーン”や“映画の友”で
何年連続人気投票第1位!というのを爆走していた時期ですよね。
ここは安心して雑誌を読めました。

飛んで65年前半、オードリー「マイ・フェア・レディ」の公開も終わり、
不動の位置をキープしてきたにもかかわらず、
「サウンド・オブ・ミュージック」で出てきた
ジュリー・アンドリュースにな〜んか押され気味。
翌年の人気投票で“スクリーン”“映画の友”どちらもで
オードリーはジュリー・アンドリュースに1位の座を奪われるんですよね。
少し落日のオードリー、という感が漂っていました。

そして66年と67年、オードリーは見事「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」
で復活!!“やっぱりオードリーでなきゃ!”という
すっかり安定した人気を保っているようで一安心。
が、このころは新鮮味という点でアン・マーグレットが
1歩リードしているようで、誌面もずっとアン・マーグレットに
ページが割かれているようでした。

72年になると、すでにオードリーは引退状態。
にもかかわらず前年「エクスラン・ヴァリーエ」のCMがあったためか
人気は衰えることもなく、表紙もオードリー。
雑誌編集者もやはり人気が凄すぎてオードリーははずせないのか、
昔の映画のオードリーをなんとかグラビアに入れなきゃ売れない!
って思っているみたいで微笑ましいです。

全部を通して感じたのはオードリーはやっぱり凄い!ってこと。
それぞれの年度でいろんな当時の人気スターが載っています。
でもね、そのすべてにいるのはオードリーただ1人!
最後の72年の雑誌にいる人でもいまはもう雑誌にいない。
70年代後半から80年代前半にかけて
雑誌から一時消えたオードリーでしたが、
80年代後半から90年代前半にかけて
再び雑誌に登場し、付録もオードリーポスターだとか
ハンドブックだとかが付くようになりました。
今はまた人気も落ち着いていますが、
今でもオードリーのDVDなんかが発売される際は鳴り物入りの宣伝。
改めてオードリーの偉大さを見せつけられた
古雑誌探訪だったのでした。

★2002年10月2日を文字の言い回しを少しだけ改訂しました。

上記の文章から、既に10年以上経っているのですが、
今でもオードリーは“スクリーン”誌のベストテンの常連です。
今年の2013年5月号でも第4位です。
2007年には第1位になっていましたね。
1980年代後半〜90年代前半のようなブームではありませんが、
未だにたまに女性雑誌で特集が組まれています。
昨年は「VOGUE JAPAN」と「婦人画報」での特集がありました。

海外でも雑誌の表紙を飾っており、
今年の「VANITY FAIR」でカラーライゼーションされた画像が
表紙&誌面を彩っていました。

写真集や伝記・評論も世界的に出版され続けており、
いまやオードリーは日本よりも世界で人気のある女優さんだと言えるでしょう。
 3. ユベール・ド・ジヴァンシーについて

 今回はオードリーとは切っても切れないジヴァンシーについて…。

 ジヴァンシーってオードリーを語る時、絶対に出て来ますけども、
 64年頃の雑誌とか見ていると“オードリー離婚?”とかいう記事があるんですね。
 実際に離婚するのはもうちょっと先なんですけども、その時の次のダンナさん候補にジヴァンシーがまっ先に挙ってるんですね。

 いまではジヴァンシーはゲイじゃないかって、女性にはあんまり興味がないことは知られてますけども、当時はまだ知られてないですね。
 でもきっとオードリーは知っていたと思いますよ~。あれだけ仲がいいから。

 そしたらオードリーからしたら結婚なんて有り得ないですよね。
 もしジヴァンシーと結婚したら“仲の良い夫婦”ではなく“仲の良い兄妹”みたいになりますよね。
 これって完璧な夫婦を目指していたオードリーにとってはちょっと違いますよね。

 だから当時こんな記事が出るたびにオードリーとジヴァンシーってきっと苦笑していたことでしょうね。
 “またおバカなこと書いて!”とかって。

 ジヴァンシーとオードリーの付き合いって「麗しのサブリナ」から始まりますけど、
 昔はイブニングドレス1点だけ、って書いてあったのに、最近ではパリ帰りのスーツもそうだとか、
 いやいや肩をリボンで結ぶ衣装がジヴァンシーだ!とか、
 すごいのになるとパリから帰って来たオードリーの衣装は全部ジヴァンシー!とかって色々諸説がありますね。

 肩をリボンで結ぶ衣装はもう1人のオードリーの衣装では有名なイディス・ヘッド女史が自分が衣装デザイン賞をもらった作品のデザイン画を並べてある写真に載ってましたから、ジヴァンシーではない気もするんですけど、イディス・ヘッド女史の弟子が“彼女は弟子のデザインを製作しただけで自分ではデザインしていない!”とかって暴露されてましたから、本当に女史のデザインなのかどうなのかわからないところもあるんですけども。

 で、「麗しのサブリナ」に出てくる有名なイブニングドレスなんですけども、これを書くと某HPの管理人さんのようにその後そういう風に見えてしまってイメージをぶっこわすかもしれないんですけども、僕にはあの衣装は何回見ても正面から見ると蛾にしか見えないんですよね~。
 それまで横向きのオードリーとかしか写真で見たことなかったので、初めて映画を見た時はオードリーがあの衣装で登場した瞬間、“蛾が出たッ!!”って思いましたね。
 どうみても周りのスカートが形も模様も蛾の羽に見える!そんでもってオードリーの足が蛾の体の部分。
 それからその衣装の間中、“蛾、蛾、蛾!”って思ってました。
 もしかして「麗しのサブリナ」に対して僕がいまひとつ乗れないのは、この蛾のドレスのせいかも…(笑)。
 きゃー!りんぷん飛ばさんといてー!みたいな。


 ★2002.5.18(おバカな内容ですけど、10年前のそのまま載せました。恥っ!)

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