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オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
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なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!by みつお


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それとですね、この映画を見ていて思うのは、
ガブリエルの志願動機がどうも尼僧では無かったような気がして
しかたないんですよね。
ガブリエルの求めていたのは、尼僧そのものではなく、
尼僧になることによってコンゴに行くことのできる看護婦、
だったように思えるんです。

だからフォチュナティ医師に“君は他の尼僧と全然違う!”
なんて言われているんじゃないかなーって。
もちろん本人にはそんな自覚はなくって、
ひたすら“良い尼僧でありたい!”と思い続けてたでしょうが、
どうも根本が違うように僕には思えます。

最後の方で、地下組織を世話した見習い尼僧のリザに
“あなたは良い尼僧になれるわ。”とシスター・ルークが言いますけど
(どうみても僕はそうは思えなかったんですが)、
おそらくリザは「尼僧でもある看護婦」ではなく、
「看護婦でもある尼僧」になりたがっていると
シスター・ルークは見抜いているんだろうなーって思います。

とにかく、シスター・ルークが「尼僧」というものから
どんどん乖離していく自分(ガブリエル)が抑え切れなくて、
修道院を出ていくんだろうなー、
だって自分が求めているものと違うから、みたいな。
下世話な言い方ですけど、
あらまー、転職する一般人そのものでないの、って感じ。

ちなみに、この作品について書かれてある、
ジンネマン監督の自伝には興味深い裏話がたくさん載っています。
その中で一番驚いたのが、これは17年にわたるお話であること。
監督自身が“私のつまずいたところ”というように、
僕もせいぜい5~8年くらいの話かと思ってしまいました。
“ハリケーンが来ようが、吹雪が来ようが、
主演女優を美しく見えるようにする”というのが
メイキャップ係やヘアデザイナーの“自動的反射行動”だそうです。

他にも、ジンネマン監督はヨーロッパの部分はモノクロで、
アフリカの部分をカラーで撮りたかったとか。
もともとお堅い話なので、このうえモノクロだったら…と思うと、
反対してオールカラーにしてくれたジャック・ワーナーに感謝!です。

おもしろいのは、撮影合間に尼僧達がタバコを
スパスパ喫っているのを見て、
撮影を見に来ていた黒人たちは「自分の目が信じられなかった」。
ところが誰かが“彼女達はアメリカの尼僧だから”と言うと、
“ああ、そうか。”と納得したこと(笑)。

それと、この作品の画像で、土砂降りの雨の中、
神父の隣でシスター・ルークが嘆いており、
周りには正面を見つめる黒人達、
というものをたまに見るのですが、そんなシーンは映画には無く、
なんだろう?と思っていました。

これも自伝でわかりましたが、どうやら、3人の男が土砂降りの雨の中、川にはまり込み助けを求めているが、雨で急速に水かさを増す川。
岸辺からはどうしようもできず男達はみるみる川に飲み込まれていく、
というシーンがリハーサルまで完璧に
行われていたことがわかりました。

実際には翌日川の水位が急激に下がっており、
仕込んでおいたリフト・セメント・金網などが丸見えになって、
そのシーンは結局撮影出来ずじまいだったことが書かれていました。
おそらくその時の岸辺の写真なんでしょうね。
はっきりしてよかったよかった!

さてその後、シスター・ルークがもう一度行きたい!と切望した
ベルギー領コンゴ(現在のコンゴ民主共和国)がどうなったか、
御存じですか?

フレッド・ジンネマン監督の自伝で述べられていたのですが、
映画の撮影に協力してくれた白人の宣教師達。
自伝の最後にカメラの方に向かってお別れの手を振る
たくさんの人が写っているのですが、映画の撮影が1958年。
その1年後にベルギー領コンゴは独立戦争が起こり(1960年独立)、
その写真に写っている人のほとんどが命を落としたそうです。

そして現在。金・ダイヤモンド・コバルトと
資源の豊富なコンゴ共和国は
周りを囲む9つの国の思惑が複雑に絡み合って、
今でも一般市民・国連関係者までをも巻き込む
虐殺・誘拐・内戦・クーデター・国境の紛争が絶えないそうです。

コンゴでは少年でも兵士として戦争に参加し、
少女は暴行をはたらかれたりしているそうです。
それに治安の悪さと共に、
度重なる戦闘による生活環境の悪化も大きな問題で、
今はペスト・髄膜炎・E型肝炎も流行っており、
貧しい国民は心も体も疲弊しています。

コンゴの大統領が言っていたそうです。
“もし平和が訪れるなら、
コンゴの全ての資源と引き換えにしてもいい!”

シスター・ルークが愛した、オードリーが愛したコンゴは今現在、
このような状態なのです。
黒柳徹子さんがコンゴにユニセフ親善大使として訪れたようですが、
もしオードリーが今も生きていたら、
それこそきっともう一度コンゴの地を訪れていたことでしょう。

“今こそ私の出番だわ!”って。

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今回はなんとびっくり!
いや、びっくりすることでもないかもしれませんが、
いつかは書くつもりでしたけど、このお堅い作品が書けるとは、
正直僕自身が思ってなかった「尼僧物語」について!
(一番びっくりしてるのは自分だったりする)

「尼僧物語」って、最近では
“後年のユニセフで活動するオードリーのよう”だとか、
“オードリー作品で一番志が高い”なんて書かれ方する上に、
本当にお堅い作品じゃないですかー。
第2期オードリーの最高傑作ですし、
アカデミー賞にノミネートもされてるし、
正直「文章力のない」&「高尚には程遠い」僕には
手に負えない!って感じで、
エッセーを敬遠してたのは事実です。

ところがこないだ見直して気付いたのは、
ありがたくて後光が射していて、
まるで巨人のようにそびえ立っている!ムリ!絶対ムリ!!!
と思っていた「尼僧物語」が、等身大で現れた!ってことなんです。
「尼僧」降臨!みたいな。
あ、これなら凡人の僕でも書けるかな、という(笑)。

さて、「尼僧物語」を最初に見た時に僕が思った事、
“なんて修道院ってがんじがらめで閉塞的なんだろう!
こんなトコちょっとだけでも居るのイヤやし!
よー志願するな~!”って、あなたも考えませんでしたか?

確かに、朝は早いし私語も基本的には禁止、
鐘の音ですべての事は中断、
家族にも会えないし、事情がないと外にも出れない、
“慈悲の心で”人を告発しないといけないし…
などと、数え上げればキリがないくらい
多くの規則に縛られてますよね。

最初に見ると、ここが息が詰まる程苦しく感じるんですよね。
でも、実際には僕らもなんだかんだで縛られてること、多いでしょ?

イヤでも朝起きて会社や学校に行かないといけないし、
一人暮らしや親とは別居だったりすると、親に会うのなんて
盆と正月、それとゴールデンウイークくらい?
「人を告発」の件でも、シャバの生活で
人に注意するか告発するかなんてこと、
自己責任ですから、言うかどうしようか悩むでしょうけど、
修道院は“告発しなければならない”という決まりがあるので
ある意味楽かもしんない。

だからよく考えると何も特別なことは全く無い、
大なり小なり、みんなこういう生活なんですよね~。
まあ、私語がダメとか苦しいは苦しいでしょうけど…。

で、ガブリエルは自ら志願してますから、
正直、そんなところに迷いや抵抗はないんですよね。
ガブリエル=シスター・ルークがどうしても乗り越えられなかったのは
“無条件の服従”!これですよね。
どうしてもシスター・ルークは自分の感情を抑えることができなかった。
特にお父さんの件ではもう自分を偽ることができなくなってしまった!

最初に修道院長が言いますよね、
「私達は騙せても、自分と神は騙せません。」
これ、ものすごい真実の言葉ですよね。
僕もこの言葉、よく自分に言い聞かせてます。
そんでもって、これが結局シスター・ルークが還俗することに
なってしまう引き金にもなってますよね。

他にも、いろんな一般人に近い尼僧の事が出てきます。
たとえば、シスター・ルークに「テストで落ちなさい」
と指示するシスター、見ていると確かに非常にムカつきますけど、
これ、このシスターは全然悪気があるわけじゃあないんですよね。
むしろシスター・ルークの為を思って言ってる。

ほら、悪気はないけど、間違ったアドバイス、
あるいは行動する人って、
結構そこら中にいるじゃないですか。僕ももちろんその1人ですし。
実際シスター・ルークも精神病院で似たようなことやらかしてますよ。
よかれと思って、決まった手順を踏まずに
“大天使”に水をあげようとして襲われています。

シスター・ルークは“謙譲の心が学べない!”って苦しみますし、
一般社会とは関係ないような事件にみえるんですけど、
これってかなり僕らに近いんじゃあないかなーって。

結局、尼僧になったからといってすぐに変わるわけでもなく、
やっぱ人間のまんまで、
むしろ尼僧になってからの修練が大変なんだろうなーって思います。
そこがその後のシスター・ルークの苦悩なわけで…。

ありゃ?これってなんか「いつも2人で」と一緒じゃない?
一般人と結婚したその後が「いつも2人で」で、
神様と結婚した尼僧のその後が「尼僧物語」、みたいな。
チャレンジ・オードリーの第2期だからそのへんにいる一般人ではなく
尼僧、という「特殊形態」をとってるけれど、
本質は世間でも一緒ちゃうか?みたいな。(つづく) 

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