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Author:みつお
オードリー・ヘプバーンのファンです。最近は色々とオードリーに関して調べています。
一番好きな映画は「いつも2人で」。
どうぞよろしく!
別のブログでオードリーグッズの紹介もしています。
リンクで行ってみてください。
なお、画像や文章の無断転載はお断りします。

©おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!


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 最近映画館ではMX4Dや4DXというものが出てきました。
 今までの3Dに加えて、以下のことが体感出来るという物。

 MX4D
 ・前後左右上下のシートの可動
 ・噴射
 ・風
 ・水しぶき
 ・香り
 ・霧
 ・ストロボ
 ・首元への感触
 ・背中への感触
 ・足元への感触
 ・シートの突き上げ
 ・地響き 

 4DX
 ・前後左右上下のシートの可動
 ・エアー
 ・風
 ・ミスト
 ・香り
 ・
 ・フラッシュ
 ・
 ・


 オードリーの時代にはもちろんそんな物は無かったのですが、もしオードリー作品で4DXやMX4Dが出来るなら…というのを書いてみたいと思います。

 オードリーの作品って基本はロマンティック・コメディが多いので、4DXやMX4Dは不向きかとは思うのですが、その中でも一番4DXやMX4Dに向いているかな?と思うのが「パリの恋人」。
 なので第1回目は「パリの恋人」から取り上げることにしましょう。



 まずは編集長マギーが歌う “Think Pink ! ” の部分が最初になるかと。
 “なんでもピンクにチャレンジしよう!”と歌うシーンで、実際に映像に流れる所がありますが、そこでの最初の雨の中を車から御婦人が出てくるシーン。→もちろん雨。
 シャンプーのシーン→泡と水
 歯磨きのシーン→ミントの匂いと風
 ブランコのシーン→風

 場面は移ります。
 古本屋を見つけて入るシーン→古本の匂い
 ジョーの上がっているハシゴを動かすシーン→椅子を揺らす。ハシゴが止まるタイミングで急に止める。
 撮影シーン→フラッシュ

 ジョーが出版社を追いかけられるシーン→椅子を揺らす
 飛行機でパリへ!→シートをちょっと上に傾ける、風

 “ボンジュール・パリ!” のシーン→軽い風
 噴水→ミスト

 ディックがジョーを探しにバーに入るシーン(後半部も)→煙と軽いタバコの匂い

 ジョーの撮影シーン→全てフラッシュ
 さらに
 凱旋門→雨
 汽車のシーン→霧
 花市場→花の香り
 噴水前で鳩と一緒に→羽ばたきの時のエアー
 ルーブル美術館→風
 教会→森の香り

 ミス・クオリティ発表会でジョーとディックが幕裏で言い争っているシーン
 言い争い→椅子が揺れる
 噴水を倒してしまうシーン→水しぶき&椅子が傾く
 扇風機での風→風と地響き
 扇風機でVIPに水がかかる→風と雨と地響き

 フロストル教授のサロン→霧と軽いタバコの匂い
 教授がジョーを口説く→首筋に触る感覚
 ジョーが教授を殴る→椅子を急に落とす

 ファッションショー→オードリーが通る度にジバンシィのランテルディのような匂い

 飛行機前でディックと教授が会う→風

 教会の裏のラストシーン→森の匂い

 上記だけだとちょっと寂しいので、他にも階段を上がるシーンやオードリーが踊るシーンに合わせて椅子をリズムをとる、などもいいかもしれません。
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 2015年の今年、「マイ・フェア・レディ」が4Kリマスターによるリバイバル上映&ブルーレイ発売となったので、過去の「マイ・フェア・レディ」との画質を比較してみることにしました。

 全て同じ55インチの液晶テレビに写っているものを撮影しました。ブルーレイ、DVD、LDは静止した状態で、ビデオは静止画にすると画質が著しく劣化するので、動いているまま撮影しました。

 変なモアレ状の筋が写っているのはカメラと液晶画面が干渉し合ったもので、実際の画面にはありません。


まずは今回2015年発売の4Kリマスター版。細かいディテールや壁紙、オードリーの表情もわかります。モアレの筋が写ってますが、実際にはありません。やはり大変綺麗!1080p
MyB15.jpg


2004年ワーナー発売、スペシャル・エディション版DVD。これも実際にはモアレは有りません。480p
MyD05.jpg


1995年レーザーディスク スペシャル・コレクション。400i ワイド版デジタル収録。かなり壁紙やオードリーの顔がわかりにくくなってきました。
MyLD95.jpg


1983年初期レーザーディスク版 400i 4:3アナログ収録 実際にはモアレはありません。もうオードリーの表情はほとんどわかりません。
MyLD83.jpg


1995年VTR コレクターズ・ボックス ワイド版240i。一瞬綺麗に見えますが、実際には95年LD版よりも画質は悪く、ビデオ特有の輪郭が曖昧でとろけそうな画質です。
MyV95.jpg


1983年TBS名作洋画ノーカット10週をビデオ録画したもの 4:3収録 240i。ビデオ録画特有の黄変が起こってます。輪郭はかなり酷く、色もにじんでいます。
MyV83.jpg


LDとビデオに関しては発売から20年〜30年も経っているので、既に劣化が起こっていると思われます。
DSC_3766.jpg
外から見たAUDREY HEPBURN CAFE

 さてめっちゃ重い写真集を持って、そのまま次は2駅先にあるという「AUDREY HEPBURN Cafe」へ行くことに。

 詳しい場所がわからなかったので、ネットに載っていた住所を元にネットで地図を検索して歩いていったのですが、途中のスーパーを越えてその場所にたどり着いても何にもない…。
 なんか草が生えていて、完全に空き地のような場所…。

 あれー、おっかしいなーと、もしかしたらスーパーの中に?とか再度スーパーを探索しましたが、そこにも無し。
 元々重い写真集がますます重く感じるという気分の中で、さらにその近辺を探しまわることに。

DSC_3780.jpg

 地図の検索で出てきたところの道の向かいに渡ってみて、そこにあった大きな大きなマンションの駐車場の入口にいた人に友人が英語で尋ねても知らないとのこと。

 その友人が尋ねてくれてる時に、マンションの入口に書いている看板?らしき物を見ると『ZENIS TOWER 101』って書いてあったのをチラっと確認。

 もしかしてもう閉店したのかな〜なんて思いながら、もう一度ネットでカフェの公式サイトの住所を確認すると、“ZENIS TOWER 104”って書いてある!
 おおっ、ここやん!って感じで、その大きなマンション群の中へ。

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 なんとそのマンション群、釜山でも、というか世界でも有数の超高層マンションで、wikiでみると世界で11番目に高いマンションだそうです。80階建て。

 というか、全体に釜山は日本よりも圧倒的に高い建物が多くてビックリしてました。
 日本だと地震があるので、ここまで高いマンションは作れないだろうなーみたいな。建物に被害は無くても、ライフラインが切れた時に50階に住んでます…とかだと、水とか配給されても持って上がれないですもんね(←阪神大震災経験者)。

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 途中に案内盤があって、101、102、103は載ってたけど、104があるだろう場所には特に何も書いてなかったのですが、そこだろうと見当をつけて行ってみると、友人が “あ、あった!” と見つけてくれました。
 カフェだから、僕はずっと1Fだろうと思っていたのですが、友人が見つけた “オードリー・ヘップバーン・カフェ” は2Fにありました。

 外は暑かったですし、歩き回ってクタクタ。やっと重い写真集を置ける!と思って入口から2Fへ。
 元々コーヒーは匂いは好きだけど、味が好きじゃないので、店頭に置いてあったポスターでススメてた涼しげなティファニーブルーのフローズンを頼むことに。

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 出来上がると呼んでくれるベルにもオードリーが。
 友人が持ってきてくれると、トレイに敷いてある紙にもオードリーがいました。ので、濡れないうちにさっさとその紙ははずして大事に持って帰ることに。

 ネットを検索するとコーヒーの味はそうでもないみたいなんですが、ここのそのジュースはめっちゃ美味しかったですよ!あっという間に飲んでしまって、追加で別の種類も飲んでみましたが、そちらはまあ普通でした。

DSC_3784.jpg
なぜか店の隅でアン王女がジェラートをなめていました(笑)


 店員さんに訊いて、店内を撮らせていただきましたが、こんな感じです。
 店内は本を読んでいる人が多かったですね。店に備え付けの本の中にはオードリーの写真集もありました。

 その後は晩ご飯を食べる為に海雲台や金連山の方に行きましたが、途中ずっと写真集を持ち歩かないといけないので、重くて指が痛くて(ビニール袋が伸びるので)大変でしたが、なんとか歩き通し、ホテルに帰り着いた時にはグッタリでした。

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 でもホテルは日本語の出来るスタッフも居たし、まだ新しいホテルだったのでエレベーターは新品の匂いがしたし、部屋も清潔感溢れるところでした。
 おまけに心配していた日本型のコンセントもあるし、ホテルは予約の際からウォシュレット付きだったし、とても良かったですよ。

 翌日は少し釜山の街中を観光して、日本に帰りました。オードリー展に関してはちょっとガッカリでしたが、友人と一緒だったので全体では楽しい旅行でした。

DSC_3768.jpg

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「BEAUTY beyond BEAUTY」展入場口前の大看板

 夏の盆休みを利用して、友人と共に韓国釜山での「BEAUTY beyond BEAUTY」展に行ってきました。
 今回はそのレポートを。

 まず関空から飛行機で釜山へ。
 釜山はボーディング・ブリッジではなく、タラップで外に降りてからバスに乗ってターミナルへ行くパターン。

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映画の殿堂前ののぼり

 で、韓国に降り立って最初に気づいたこと。うっ、空気がなんかにおう…。
 友人に“なんかにおわへん?”って言ったら、“キムチのにおいやと思うよ。”とのこと。
 うん、確かに!キムチのにおいや!

 僕はめっちゃ鼻がきくことで親戚や友人との間では知られてるんですよね。
 で、屋外だというのにキムチのにおいがするってことは、やっぱりこういう国ごとのにおいってあるんかなーって考えちゃいました。

 “じゃあ日本は昆布だし、鰹だしみたいなにおいがするのかなー。”とか友人と話ながら歩いてました。
 この日はホテル内以外、道のどこででもこのキムチのにおいというのを感じてたんですが、その日の晩ご飯に自分たちが韓国料理を食べたこともあり、翌日帰る頃にはにおわなくなってました。人間の鼻の慣れって早いなーなんて思ってました。

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映画の殿堂入口

 それと、空港の男性トイレで韓国の人が忘れたパスポートが置いてありました。
 これは忘れた人めっちゃ困ってるんじゃないか??と思ってインフォメーションに届けようとしたら、途中で2人連れのポリスマンが。
 そこで僕は日本語しか話せないので、英語の出来る友人が忘れ物です、って話してくれて無事渡すことが出来ました。

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入口にあったオードリーの看板

 ホテルでキャリーバッグを預かってもらって、早速センタムシティにある “映画の殿堂” へ。
 道中、日本と同じでめっちゃ暑かったです。湿気も高くて、ハンカチなしではいられません。
 でも一歩室内に入るとめっちゃ冷房が効いてるんですよね。節電節電って言われる前の日本みたいでした。
 あ、でも駅は空調のみで冷房が無くて暑かったです。

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入口を入ってすぐに貼ってあった展示会のポスター

 で、映画の殿堂の「BEAUTY beyond BEAUTY」展に着きました。韓国だけのオリジナルのオードリー展。
 釜山では2015.05.09〜9.06までですが、その前にソウルで2014.11.29〜2015.03.08までやっていたんですよね。

 お隣とはいえ海外旅行だし、今の日本と韓国の関係を考えたらまぁ行けないかなーと思っていましたが、同じオードリーファンのmengさんにソウルでの写真を見せてもらったら、かなり大掛かりな展示会だったので、“めっちゃ行きたい!”って思ってたんですが、今回一緒に行った友人のおかげで急遽行けることになったんですよねー。

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衣装の垂れ幕。これは絵です

 入場口前にはオードリーの衣装の大きな垂れ幕が!
 その向かいにはオードリーの大きな画像もありました。
 入る前からめっちゃ期待!

 で、入口にオードリーグッズの売り場があったのですが、友人が “入る前に買ったら重いよ。” と言うので、そりゃそうやと思ってチケット売り場へ。

 そこでは音声解説の貸し出しもあったんですが、当然韓国語なので、それは借りずに、その解説の日本語翻訳版の冊子が売ってたので、それを買いました。1冊1000ウォン(約110円)。他にも英語版と中国語版が売ってたようです。

 そこの受付には日本語の出来る女の子もいて、とても親切でしたよ!なので、その方からチケットを買い、説明を受けて中へ。内部の写真撮影はダメとのことでした。

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画像の大パネル。グッズ売り場と入口はこの左

 写真が撮れないのでどんな感じかというと、壁にパネルでずらっと画像が展示してあって、そこに韓国語で説明文も載っていて、ずっと歩いていくというもの。
 オードリーの先祖の写真から始まって、オードリーが赤ちゃん〜子供の時、イギリス時代、そしてハリウッド時代、晩年というふうにずっと展示してありました。

 オードリーには特に興味が無い友人に説明していたんですが、普通の声だったんですけど、僕の声は昔からよく通ると言われている上に(小学校時代にも、隣の席の女の子と授業中にヒソヒソ話してたんですが、先生に“あんたの声はよく通るから丸聞こえよ!”って注意された…)日本語なのでちょっとうるさかったらしく、受付の日本語の出来る女の子がやってきて、“どうかお静かに” って注意受けちゃいました。
 なので、その後はずっとヒソヒソ声で説明していました。

 途中にはちょっと暗いゾーンや部屋があって、そこではオードリーのプライベートな映像(アンドレア・ドッティとの結婚式、ルカを抱くオードリー)やオードリーのハリウッド時代の映画をずらっとちょっとずつ繋いだ物、ユニセフでの活動とインタビューがずっと上映されていました。

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映画の講演会もあったみたい。そのポスター

 …とかって歩いていくと、晩年の(裏焼き)オードリーの大きなパネルが出てきて終わり。
 そこにある幕を上げて外へ出ると、えっ、元のグッズ売り場???

 えーーーーーーーーーっっっっっっっっっ!!!!!!

 まじでコレで終わり????

 いや、mengさんに見せてもらったソウルのとは全然違うやん!
 確かオードリーの衣装やグッズやアカデミー賞のオスカーが展示してあって…って全然無いやん!!

 以下3点の画像はソウルでの「BEAUTY beyond BEAUTY」展の画像をmengさんに送っていただいた物です。
 (mengさんから画像の掲載の許可ももらっていますが、著作権はmengさんにありますので、無断転載はやめてください。)

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ソウルでの展示会。豪華!©mengさん


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ソウルでの展示会。羨ましい!©mengさん


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ソウルでの展示会。いいな〜!©mengさん


 2004年〜2005年の日本での “timeless audrey” の時もそうだったんですが、東京や熊本は11のブースで展示してありましたけど、大阪などは会場の大きさの都合で10個のブース、札幌では8つ、最低の京都では7つしかブースがなかったりしましたが、やっぱり首都じゃないと完璧じゃないのかなーってちょっと地方都市の悲哀を感じました。

 さて、落ち込んでてもオードリーの衣装など無い物は無いので、グッズの売り場へ。
 絶対買う!と決めていたのは、この展示会の図録というか写真集、「AUDREY HEPBURN:BEAUTY beyond BEAUTY」。
 これは店で売る本の扱いではないので、アマゾンなどでは売りに出ないんですよね。行った人だけが買える超貴重な1冊。

 これを買って他にもグッズを見てみました。
 タンブラーやノートみたいなのは興味ないのですが、気になったのはCD。箱には“ORIGINAL SOUND TRACK”って書いてる。
 でも裏を見ると映画の音楽じゃない。これはこの展示会用の音楽なんだね、みたいな。
 うーん、いらないかな、と思いましたが、友人が記念やから、と言うので、まあそっか、と思ってコレも購入。

 で、写真集を渡されましたが、おっ重い!!!
 サイズもやたらデカいし、これはちょっと…みたいな重量とサイズ。
 入れてくれたのは紙袋ではなく普通の本屋でもらうようなビニール袋だし、重さでビニールの持ち手用の穴が伸びて痛い!

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映画の殿堂の別の場所にあった看板

 この後、2駅先のオードリーカフェに行く予定だったんですが、あまりに重いので、友人が“先にホテルに戻って置いてから行く?”と訊いてきたほどの邪魔さ加減。
 しかも友人はこの写真集のせいで、帰りの飛行機への預け荷物が重量オーバーするんちゃうかと心配し始める始末。

 これ、本の装丁した人アカンでー。
 韓国発で初の本格的なオードリーの写真集やから張り切ったんかもしれんけど、やり過ぎ。
 B4くらいの大きさでハードカバーって、これ何kgあんねん!みたいな。
 こんな重くてかさばるもの、女性は持って歩かれへんで。
 買う人少ないやろなーって思う重さでした。

 その時僕らが2冊買いましたが、どうやらそれが最後の2冊だったらしく、それで完売になりました。危ない危ない!
 値段も本来は70000ウォン(その時のレートで約8200円)が最後の叩き売りで20%OFFの56000ウォン(約6500円)でした。ラッキー!(重いけど…)
 タッチの差で買えて良かったー!(めちゃくちゃ重いけど…)

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映画の殿堂の一部。大きな建物で映画館も併設

 で、ちょっと映画の殿堂の他の部分を回ってから駅へ。
 外がめっちゃ暑いので、途中にある新世界百貨店に入って地下でフレッシュジュースコーナーを見つけて飲んだんですが、その時のドラゴンフルーツ&パインのジュースが美味しかった〜〜〜!今まで飲んだジュースでもトップの美味しさでした!

(つづく)
84.オードリー・ヘップバーンに関するデマ その8:ダイアナ・メイチックの伝記

オードリーは自伝を書きませんでした。決して書こうともしませんでした。
というのも、人間は1人で生きているのではない、どうしても他の人の事まで書かないといけないから、ということで、他の人の暴露的なことまで書いてしまう自伝を良い物とは思ってなかったようです。

自伝は文字通り“自分で書く伝記”なのですが、それが無いオードリーには、他の人が書いた伝記がたくさん存在します。(なぜかネットで自伝と伝記を一緒だと思っている人がいる…。全くの別物ですよー。)
そしてそのうちいくつかは日本語にも翻訳されています。

内容は本当に色々で、オードリーの本当に近しい友人などにインタビューしたもの、当時の映画会社の資料を調べたもの、オードリーの家系を調べたもの、単に既存の伝記を寄せ集めたようなもの、オードリーへの愛情が感じられるもの、感じられないもの、など、さまざまです。

これだけたくさん、いまだに出ているという事は、オードリーは今でも “お金になる” んでしょう。
そこに目をつけた、金儲けだけのために書かれた伝記というものも残念ながら存在します。

その中で、決定的に世の中に害悪を垂れ流しているオードリーの伝記があります。それが
ダイアナ・メイチックの伝記!

これが日本で発売された1994年当時の本の帯のキャッチコピーを見てみましょうか。

《死を予感したオードリーが全人生を語り尽くした!! 最初で最後のヘプバーン公認の評伝》

この本のウリは、オードリーが実際に会ったり電話したりで、この著者のインタビューに答えて語った、ということでした。

もちろんそしたらどの伝記よりも信頼度が増しますよね。
この本だけで語られている事もたくさんありました。

それまではチャールズ・ハイアムの伝記に基づいて書かれていたオードリーのことは、この本の出版と共に、一気にこの本を参考として書かれる事になりました。

でも、内容はオードリーらしからぬ発言が多々出てくるんで、最初に読んだ当時から“おかしいなぁ…。”という感じはしたんですよね。

オードリーって、一緒に仕事をしたスタッフたちの苦労を思って、決してどの作品も悪く言わない人だと言われてたんですよね。
でもそんなオードリーが“あの作品は最低だった。”とかって発言をしてる。
今までのオードリーの言動からはかけ離れてたんですよね。

それまでのオードリーファンなら、なんか根底に流れてるオードリーの性格が違う、というのを感じるんですよね。ここで描かれるオードリーは、オードリーの顔をした別人。

すると!1998年に出たバリー・パリスの伝記の最後の方に、このメイチックの本を読んだ息子ショーンや最後の恋人ロバート・ウォルダーズが激怒し、メイチックを訴えた事が書かれていました。

なんと、ダイアナ・メイチックがオードリーと会ってました、とか、電話でインタビューしました、という日にちと時間は、その時の電話の記録、オードリーが実際に何をしていたかというウォルダーズがメモしていた記録を調べると、オードリーはユニセフの活動で家にいなかったとか、病気で臥せっていて、電話出来る状態ではなかった、また実際に電話していた記録も無いというのが次々に暴かれてしまいました。

ということで、この本は嘘にまみれた、金儲けを企んだ作者の、いい加減な最低最悪な本ということが世間にバレてしまったんですよね。

実際、この本が嘘っぱちだということがバレると、本の内容がおかしな件がいっぱい出てきました。

オードリーが自分の本名を“エッダ”だといっていたかのような発言、ショーンの誕生日は7月なのに1月になっている。オードリーは拒食症、などなど…。

「ティファニーで朝食を」を久々に見たオードリー自身の反応も(オードリーはプレミア以降、自分の映画はほとんど見ない)、ロバート・ウォルダーズに言った言葉は、笑いながら“なかなかいいじゃない?”だったのに、このメイチックのデタラメ本では“これで良かったのか自信が無い。”と言った事になっている。

初公開時くらいにオードリーが自信がない的な発言をしたという話もありますが、このダメ本でメイチックがオードリーにインタビューした(←嘘)という晩年ではあり得ない!
ということは、メイチックは昔の雑誌とかに書いてあったことを持ってきて、さも最近インタビューしたように書いたという事が完全に露呈してますね!

というわけで、この本だけに載っていることは、ほぼ全てメイチックの妄想。
あとは他の伝記から寄せ集めただけという、トンデモ本!!!

アメリカのアマゾンでもこの本は当然のごとく叩かれまくっています。
たま~に事情を知らない勘違いな人がお勧めしてたりするんですが、そういうのは参考にしちゃダメですよね。

一度でもこの本を読んでしまった人は、オードリーの事を書く際に “この話は本当なのかな?”と思って、メイチックの本を確認する、他の伝記も確認するという二度手間以上の労力を割かれてしまう事になりました。

僕も、オードリーのことを書く時には、メイチックのに載ってなければOK、載ってれば他の全ての伝記を調べて、他のに載ってなければメイチックのデマとして扱う、ってことになって、本当にメイチックの呪縛から逃れられません。

今からオードリーの事を調べる人は、ダイアナ・メイチックの本は決して決して読んではいけませんよ!
あ~、読んでない人が羨ましい!!!

それに、あなたがメイチック以外のオードリーの伝記を読んでいて、それらに載ってない事がオードリーのこととして書かれている場合、メイチックの嘘を基にしたことが紛れ込んでいる可能性がありますので、要注意です。

ところが、この本の発売時のキャッチコピーのせいで、未だにこの本を参考にオードリーのことを書く記事や本が後を絶たず…。

バリー・パリスの伝記が発行された1998年以降に書かれた文章では、メイチックの本を参考資料に決して使ってはいけないことは当たり前なんですが、映画関係の仕事に就いている人が、それ以降もメイチック本を参考に書いていたりして、本当にビックリします。

中には、斜め読みで済ませてしまったのか、バリー・パリスの本を読んでいながらまだメイチックを使う人も…。

ネットでも事情を知らない人が未だにこのダイアナ・メイチックの本を薦めたりしてますが、決して決して買って読んではなりませんよ!!

ちなみにバリー・パリスが出るまでの97年までにメイチックを信用して書いた文章は、当時は世間的にオードリーが言ったという事になってしまったのでまあ仕方ないです。
でも98年以降にこのメイチック本を参考資料にして書いた本は、完全にアウト!です。
それらの執筆者はプロとして原稿料と印税をもらってオードリーのことを書いているのに、きちんと調べていない!ということになりますもんね。

以下に98年以降の発表でメイチックを基に書いてしまっているダメダメ本を列挙しておきます。
これらは“嘘が混じっている”ということで、オードリーに関して調べる際に、注意するか避ける事をお勧めします。

●吉村英夫氏「誰も書かなかったオードリー」(2001)
●清藤秀人氏「オードリー・ヘプバーン98の真実」(2007)
●伊上 冽氏「オードリーを愛した名監督たち」(2007)
●山下典子氏「スクリーン+プラス vol.18」(2009)

[追記]
●福田和也氏「世界大富豪列伝『蕩尽の快楽』第125回 オードリー・ヘプバーン」(『週刊現代』2015年5月30日号:しかもこれはメイチックに次いでヒドいメイエ=スタブレの伝記も参考にしています。)
[追記ここまで]

“スクリーン”の近代映画社の本が多いですね。
メイチックがデタラメと息子たちに訴えられた件は、清藤さんの本が出た際にスクリーン編集部に電話したのですが、その後の出版物でも続いていますね。
せっかくオードリーに優しい“スクリーン”なのに、中身が嘘なんて本当に残念です…。

なお、オードリーに関しての第一人者の清藤秀人さんにはきちんと伝わったのか、その後は決してメイチックの本は参考資料でお使いになっておられません。
でもきっと清藤さんもメイチックの伝記にはその後も苦しめられていると思いますよ。これって本当の事だったっけ?それともメイチックのデマだったっけ?みたいに。

ウィキペディアでも参考文献にメイチックが未だに載ってたりしますが、本当にやめて欲しいです。
ここを読んでいただいた方は、絶対に絶対に参考になんかしないでください!
 今回もオードリーに関するデマを書きます。今度は「マイ・フェア・レディ」にまつわる悲しいデマについて。

 「マイ・フェア・レディ」は途中の休憩の音楽を含めて、元々172分の映画です。
 1994年にリマスター版が作られた際に、リマスター版のスタッフロールがエンディングに1分ちょっと付け加えられて今では173分になっています。

 もちろんこれまで販売されているDVDやブルーレイもすべてそうなっています。リマスター前のLDもそうです。カットなど一切ありません。
 何度も何度も僕が劇場やテレビで見てきたものと全く同じ物が発売されています。
 次のシーンがどういう物であるか全部わかるほど見倒しています。

 ところが!某有名ネット販売のサイトではこの作品に“カットがある!”と書き込んでいる人がいるのです!
 カットされたというシーンは

 1.お風呂に入っている&出てきた後のうっとりしているイライザのシーン
 2.イライザがヒギンズ夫人(教授の母)の元を訪れて話すシーン

 だそうです。

 まず1の方は、イライザは入れられる時に暴れているシーンで終わりです。この後イライザは声だけになり、メイドたちがイライザの古い服を持って出てきて、ヒギンズ教授のシーン&歌に切り替わります。

 お風呂に入っているイライザのシーンが有ったと、なぜ誤解しているのでしょう?
 よくわかりませんが、これは大昔の江利チエミさんや最近の大地真央さんなどの舞台版でそういうシーンがあって、それとごっちゃになっているのでしょうか?

 うっとりしているというのは、「スペインの雨」を歌い終わった後にイライザがぽーっとなっているシーンがありますがそれと混同されているのでしょうか?

 2の方は、もともと教授が来る前にちょっとだけありますが、それ以外にあるというのでしょうか?
 こちらももしかしたら舞台版であったのかもしれません。

 どちらのシーンも、ノーカットだったテレビ放映を録画してビデオで持っているもの、レーザディスク、ビデオ、DVD、最近のテレビ放映の録画、それらのどれにもありません。
 また何度かの劇場公開でも見ておりますが、そのようなシーンはありませんでした。

 また常識的に考えて、このような有名な作品を販売元が “勝手に改変” などするわけがありません。
 制作時に揉めて、監督が思い通りに編集出来なかった作品などならともかく、このような有名作を発売時に何の断り書きもなく監督以外がカットするなど有り得ないと、考えればわかります。

 心にしまっておいた記憶という物は時として思い込みで改変されてしまうものですが、それらのシーンがあったというなら、きちんと具体的に画像などの証拠を出して証明していただきたいと思います。

 さらに他の方からそんなシーンはなかったと指摘を受けると、深夜のノーカット放送で見ました!とさらに思い込みが…。
 83年深夜のノーカット放送を録画して今も持ってますけど、そんなシーンは見事に存在してないです。

 さらに、95年発売のビデオ、96年発売のLD、そして2枚組DVDに収録のメイキングで、94年リマスター時にはオリジナルネガから修復されていることが述べられていました。
 ということは、そのようなシーンが本当に初公開時にあった場合には復元されているはずですが、実際にはその後のリマスター版でもやっぱりそんなシーンはありません。

 もしカットされたシーンが存在したら、リマスターで大きな話題として述べられていたでしょう。
 リマスター前のビデオやLDにもリマスター後のDVDやブルーレイにも無いということは、結局そのようなシーンは元から存在しなかったことの完璧な証明です。

 これらのレビュアーさんも悪気は全く無く、むしろ「マイ・フェア・レディ」をお好きなご様子です。
 ですが個人の思い込みのために、それらを信じる人がこのようにたくさんいて「マイ・フェア・レディ」の売り上げが落ちているとするならば、これは由々しき大問題です。

 そのうえ大好きであったはずの「マイ・フェア・レディ」を、カットされているシーンがある!などと頭から決めつけて映画を完全否定するのは、家族と一緒に観たという懐かしい思い出ごと否定しているようなもので、その人のためにも心が痛みます。
 今見ているDVDの「マイ・フェア・レディ」こそがあなたが大事な家族と見た思い出の映画そのものなんですよ!とわかって欲しいです。

 ちなみに現在「マイ・フェア・レディ」の権利を持っているパラマウントさんにも、念のため問い合わせましたが、カットは無いと返事をいただいています。

 これらの本当に胸が痛くなる残念な書き込みを、レビュアーさん自身で気づいて消していただける事を願っています
82.オードリー・ヘップバーンに関するデマ その6:「ローマの休日」日本初公開日

オードリー・ヘップバーンの映画が日本で初めて紹介されたのは、「ローマの休日」が日本で初公開された日になります。
なので、それがオードリーの日本での初お目見えとなるわけで、当然その日付に興味を持つ人がいるかと思うのですが、とりあえずネットで出回っている情報が間違っています。

1954年4月19日←これがデマ

これ、Wikipedia(ウィキペディア)及びIMDbという、一般の人が普通に情報源として使うであろう所に堂々と掲載されています。
え〜〜〜!いったい誰や?こんないい加減な情報流したのはっ!!

しかもそれらのところには、どの都市で何という映画館で公開されたかも書いていませんし、出典も無し。
もちろんそうですよね。だってそんな日にはどこでも公開されてないんですから!

こういうのを信頼して、ネットで「ローマの休日」の封切日だと書いてる方もいらっしゃるので、本当にwikiでの誤った情報は残念です。

ウィキでのオードリー関連の情報って、以前から本当に間違いが多いと思いますし、情報の重要度の選択もかなりいい加減。正直僕は全然信頼していません。ほんの参考程度。

さて、それでは「ローマの休日」日本初公開の正確な日はと言うと…

1954年4月21日です!

この「ローマの休日」は東京ではなく、地方が先に封切ったということでも有名。
なので、「ローマの休日」の日本で最初に公開したのは長崎県佐世保市の、“佐世保富士映画劇場”というところになります。
“えーーっ、なんで佐世保市??”と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当時の佐世保市は、全国でも23番目に人口の多い市だったので、実はそんなに驚く事でも無いようです。

特にこの佐世保富士劇場は、1952年には大作「風と共に去りぬ」を佐世保で独占上映しており、その当時は劇場独自のパンフレットも作るという、大きく、パワーのある劇場だったようです。

さて、劇場初公開日というのには試写会というものは含めないのは当然ですよね。
そんなものまで含めると、当然映画評論家などが最初に見たのは4月どころではなくなってきますし、一般人は見れません。

では、最近では話題作でよくやる、“先行上映”という形態はどうでしょう?これなら一般人も見れますよね?
これは実は当時から“有料試写会”という名目でやっていました。

それも含めると、確かに甲府の電気館という劇場で4月19日に上映しています(正式な公開は4月27日という、東京と全く同じ日に公開しています)。

えっ、じゃあWikiの情報はそれじゃないの?
でも、それもブッブー!!!

実はそういう有料試写会まで含めると、わかっているだけでも函館のニュー東宝にて4月16日(本公開は5/1)、小樽の映劇というところで4月15日(本公開は5/15)に上映されていることまでわかっています。
4月19日よりもさらに前ですよね。

全国の有料試写会がどういう状況だったかまではわかりませんが、少なくとも最初が4月19日ではない、ということははっきりしています。

ということで、4月19日には何の根拠も裏付けも無い訳ですね。ただのいい加減なデマ。

日本の主な都市での「ローマの休日」の日本初公開日、及びその劇場名を調べてありますので、興味のある方は僕の「オードリー・ヘプバーンといつも2人で」の別館1である「オードリー・ヘプバーン資料室」の方で確認してください。

また、「キネマ旬報」1954年6月下旬号、及びそれの再録である「ベスト・オブ・キネマ旬報」の上巻で、1954年当時のパラマウント社の営業部長 波多野三郎氏の文章が載っているのですが、そこでもはっきりと、日本での先行公開は佐世保富士映画劇場で4月21日と書いてあります。
当時のパラマウント日本支社で「ローマの休日」公開に関わった人の、しかも公開してすぐの時期に言う事に間違いは無いでしょう!

さらに、佐世保の図書館でも、公開日は4月21日で間違いないことを当時の新聞で確認しています。
どなたか「ローマの休日」のウィキペディアでの間違いの垂れ流しをさっさと修正してくれるといいのですが…。


追記:この記事アップ後、takeさんによって早速ウィキペディアを修正していただきました。今ではウィキでは4月21日になっております。
残るはIMDbですが…。日本公開は4月19日だと思われてしまっている、ということですね。間違った情報で全世界の人に伝わる…とても残念です。
81.オードリー・ヘップバーン映画にはオードリー・ヘップバーンはいない!?

みなさん、気づいてました?
実はオードリー・ヘップバーンの映画にはオードリー・ヘップバーンがいないんです!

これって何のこと?って思いますか?
オードリー・ヘップバーンの映画なんだから、オードリーがいるのは当たり前やんか!みたいな…。

実はこの“オードリー映画にはオードリーがいない”というのは、
“もしオードリーの出演作が全て現実のことだったら…。”というお話です。
ちょっとおバカでSFちっくな考え方なので、“ふ〜ん”って軽く読んでいただけるといいかと思います。

映画を観る時って、みなさんそれぞれいろんな登場人物に感情移入、あるいは僕のように守護霊になった気分で見てらっしゃるかと思うんですが、そうすると自分がまるでその世界に生きているような気になったりしませんか?
映画が終わる時、その世界から現実に戻されるので、ちょっと寂しいな…と感じたり。

なので、“もしその映画が本当のことだったら…”ってもしもの世界を想像する事が有るんですが、みなさんはそういうことってないですか?
一緒にニコルやジョアンナやサブリナたちが生きていたらいいな〜って。

さてそこで、もしオードリー映画が本当の現実世界の事だと仮定すると、どういう事が起こるんでしょうか?

実はその途端にその世界からオードリー・ヘップバーンはいなくなってしまうんです!

もし撮影した年にその登場人物が本当に生きていたとすると、彼女たちはものすごい “オードリー・ヘップバーン” という女優に似てると思いませんか??
ところが劇中で彼女たちは一度も“オードリー・ヘップバーンにそっくりだね!”って言われないんです!

「ローマの休日」の時(1952年夏撮影)はまだオードリー・ヘップバーンは銀幕のスターではありませんでしたから、誰も気付かなくてもおかしくないんですが、「麗しのサブリナ」以降は映画界の注目の的で、めちゃくちゃ有名になった女優 “オードリー・ヘップバーン” との激似を誰も指摘しないなんておかしいですよね?
だってアリアーヌもスージーもビックリするくらいオードリー・ヘップバーンに似てるじゃないですか!まさに瓜二つですよね!

100歩譲って、「噂の二人」のカレンが住んでいたところは田舎町なので、“オードリー・ヘップバーン” を誰も知らなかったかもしれませんが、「パリの恋人」のジョーはファッション界、「パリで一緒に」のガブリエルや「ティファニーで朝食を」のホリーは映画界そのものとも関係しているので、超有名なオードリー・ヘップバーンを知らない、ということはあり得ないことです。

「パリで一緒に」なんかはまさに映画界のことだし、当時大スターだった “トニー・カーティスに似てるの。” なんて会話が出るのに、タイピストのガブリエルがオードリーにめちゃくちゃ似てるってことを指摘されないのはおかしくないですか?
「マイ・フェア・レディ」のことも会話に出てくるのに、当時既に配役は決まっていたであろうオードリー・ヘップバーンが出てこない、というのはこの世界にはオードリー・ヘップバーンがいないから…という事だからですよね。

なので、きっと彼らの生きている世界は、現実にあったとしても僕らの住んでいるこの世界ではない、似て非なる《平行宇宙(パラレルワールド)》での出来事ということになりますよね。

時代劇である「戦争と平和」「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」「マイ・フェア・レディ」「ロビンとマリアン」の世界は、もしかしたらオードリー・ヘップバーンが存在する、僕らと同じ世界に繋がっているかもしれませんが、現代劇は全部《平行宇宙》のお話ですよね。

その世界では「ティファニーで朝食を」のホリーはマリリン・モンローだったかもしれませんし、「マイ・フェア・レディ」のイライザは、オードリーの次に候補だったというエリザベス・テイラーが貫禄たっぷりに演じていたかもしれません。
それともや舞台と同じくジュリー・アンドリュースが演じて、逆に「メリー・ポピンズ」がジュリーじゃない人が主演だったかも…。
とにかく映画の歴史は大きく変わっていた事でしょうね。

「パリで一緒に」なんかは映画界の話で徹底的に遊んでいるので、
“君はオードリー・ヘップバーンに似てるね。”
“あら、そうかしら?たまに言われるわ。”
なんて会話があっても良かったのにな〜と思うんですけどね。
そうすれば、劇場の観客は沸いたでしょうし、僕も“この世界にはオードリーがいるんだなー。”って考えられたのになーって。

まあこれはどの俳優さんでも言える事であって、マリリン・モンローの映画世界にはマリリン・モンローは生きていないし、グレース・ケリーの映画にはグレース・ケリーがいないのでしょうね。
アラン・ドロンでもクリント・イーストウッドでもスティーブ・マックイーンでも、最近のジョニー・デップでもアンジェリーナ・ジョリーでも、現代劇ではみんなそういうことになりますよね。

今までわりとそう思ってきて、でもこんなパラレルワールドの疑問は誰もネットでも書いてないので、みんなはどう思ってるのかなー?ということで今回アップしてみました。
今回は、オードリー・ヘップバーン映画の題名の誤表記に関して。
どうでもいいと思う人にとっては本当にどうでもいいことなんで、まあ読まずに素通りしてください。

今はネット社会なので、ネットを検索してるとわかるんですが、オードリー・ヘップバーンの映画の題名に関しても、いろんな間違いがありますねー。

一番多いのは “昼下がりの情事” って書いてあるもの。
これは「昼下りの情事」と、“が”の送り仮名が無い方が正解ですね。

昔は文章を書く時は全部手書きで書いてたでしょうしね。それに印刷の場合も昔は文字の活字を組版していましたから、間違いは少なく、「昼下りの情事」となってました。
その後時代は進んで、写植というものになりましたが、ここでも「昼下りの情事」ときちんと表記されることがほとんど。

ところが、パソコンが普及して来た1990年代後半頃から、間違いの「昼下がりの情事」がやたら多くなってくるんですよね。
これは“ひるさがり”と打つと“昼下がり”と変換されるから。
確かに日本語的には送り仮名は“昼下がり”が正しいんでしょうが、映画という物は表記を含めて、その作品として成り立っていますから、やっぱりオードリー映画の“昼下がり”は間違い。

ちなみに70年代の日活ロマンポルノで「団地妻 昼下りの情事」という作品もありますが、これも昔のは“昼下り”と“が”無しが正しいようです。
2010年にリメイクした物は「団地妻 昼下がりの情事」と“が”入りになってました。
なので、「昼下がりの情事」って“が”入りで書くと、それはエッチなほうの映画、ということですよ。

個人のブログなんかで“昼下がりの情事”って間違って書かれてるのはまだしも、映画専門のHPや映画館のサイトとかでそう書いてあるのは、映画に携わっている者としてはちょっと恥ずかしいな〜と僕は思ってます。

続いて多いのは“いつも二人で”と書いてある「いつも2人で」。
“二人”と“2人”の違いくらいどうでもいいやん〜。って感じですかね?
でも僕にとってはそうではないんです。

2003年頃に“みつおの映画とオードリーのお話”で書いていた《22.オードリー映画の邦題について》でも書いてたんですが、「いつも2人で」の邦題はめちゃめちゃ日本の20世紀フォックスさんが苦しんでいたのが当時の雑誌とかを見るとわかるんです。

前作「おしゃれ泥棒」みたいにピタッと決まる題名が浮かばなくて、撮影中から公開寸前まで何度か仮題が変わってるんです。
映画はファッションも構成も、「おしゃれ泥棒」よりももっと当時の“現代的”な感じに仕上がってるので、「さすらいの二人」なんていう1つ前の仮題では全然しっくりこない。
なので、公開前の宣伝を始めるギリギリになって「いつも2人で」になったみたいなんですよね。

「噂の二人」みたいに“二人”という漢字表記にしないで、“2人”というローマ数字表記にした所に、当時の20世紀フォックスさんの題名を考えた担当者の、“なんとか少しでも新しい感じを出そう!”っていう産みの苦しみを見て取れるんですよね。

60年代前半の内容の暗くて重い「噂の二人」と60年代後半のサイケデリックな衣装と斬新な構成で魅せる「いつも2人で」を考えた時、この“ふたり”の表記の違いの意味は大きいと思うんですよね。

結果を言えば、残念ながら「いつも2人で」という邦題は「おしゃれ泥棒」ほどにピタッと決まってないし、インパクトも弱い。
でも担当者が苦しんで苦しんで、のたうち回ってやっと決めた題名だから、安易に“「いつも二人で」でええやん”って言って欲しくないし、僕はそう書きたくない。

日本語題名は宣伝をする際、その映画の《顔》になりますから、各社とも考えて考えて題名を決めてるんですよね。

まあ、80年代〜90年代にはヒット作にあやかって安易に“愛と○○の○○”みたいな原題に全く関係のない題名や、英語の読みそのままをカタカナ表記にしただけという、内容がさっぱりわからない!などの、映画に関わる者として全く気概を感じない題名が続々と出て映画ファンに酷評されてましたけどね。

でもまあ昔からこういう題名の付け方というのは存在してて、ひとつ大当たりの映画が出ると、便乗した題名がワサワサ出てきてましたね。「太陽がいっぱい」がヒットするとそれこそ“太陽”のつく題名がいっぱい出てきたり、マカロニ・ウエスタンの流行った時には“荒野”と“用心棒”だらけだったり、ブルース・リーの映画がヒットすると“ドラゴン”のつく映画が続々湧いてきたり。

便乗題名の定番としては、全然内容が違うのに“○○2”だとか“新・○○”とかっていうのもありますよね。オードリー映画では「おしゃれ泥棒2」がそれにあたります。
また、オードリー映画にあやかって「新・おしゃれ泥棒」とか「シャレード'79」とかっていう本当はオードリー映画と何の関係もない作品もありました。

でもそういういい加減な題名のつけられた映画は、流行りや過去のヒット作の題名に頼らないといけないほど出来が悪いからなんでしょうけど、ごくごくわずかな出来も良かった例外の作品を除いて、結局たいしてヒットしませんよね。

正直、“新”とか“2”とか付けられた、元の作品とは無関係な映画って、余計に安っぽくて侘しい感じがするんですけどねー。“絶対に元より質が悪いぞ…”って見る前から一般人にはわかってるのに、肝心の映画会社の人がそういうことに気づかないのかな?

でもさすがにマネーメイキングスタートップだったオードリーの全盛期の作品はどれも考えに考えられて題名が付けられています。

他に間違いは「麗しのサブリナ」が「麗わしのサブリナ」というのも昔はありましたが、これは逆にPCやスマホの時代になって無くなりました。“うるわしの”がきちんと“麗しの”で変換されるからなんでしょうね。

あとはごくごくまれに「おしゃれ泥棒」が「お洒落泥棒」や「オシャレ泥棒」になってたり、「パリで一緒に」が「パリで一諸に」なってたりとかもありますね。
一緒の “緒” は糸偏が正しいんですけど、昔の手書きや印刷の時は “諸” って間違って書かれることも多かったんですよね。
さて、前回の続きです

オードリーはなぜ「いつも2人で」でこんなに痩せているのでしょう?
僕の考えでは、実はこの時期にオードリーはメルとの離婚を
決意してたのではないかと思うのです!!
(さあ、ここらへんからゴシップ欄になってきましたよ)

え?でもオードリーがメルと離婚したのは1968年、
別居は「暗くなるまで待って」撮影後でしょ?
って思う方もいらっしゃるでしょうね。
オードリーって、実は体に、その時のオードリーの心が
顕われるのではないかなーと思ってるんですよね。
たとえば「パリで一緒に」なんて、他の人がどう言おうと
僕の持論は“オードリーは「パリで一緒に」を楽しんでいた!”
だったんですけど(Vol.21「パリで一緒に」参照)、
こないだショーンの本が発売されて、僕の考えが正しかったことが
証明されましたけれども、
作品と画像を見て、オードリーがどう見えるかでオードリーの
心理状態がわかるんじゃないかなーって思うんですよね。
じゃあ「いつも2人で」であんなに痩せているのは
オードリーの心労のせいだとしか考えられない!
そこまでオードリーに負担をかけることって、
当時ではメルとのことしかないんですよね。
たしかに「いつも2人で」撮影前に
オードリーはまた子供を流産してますけど、
「戦争と平和」の時も、「許されざる者」の時も流産したあと、
オードリーはそこまで痩せてないんですよね。
おそらく、子供が生まれることによって
メルとの絆も取り戻そうと思ってたオードリーは
この流産後に離婚を具体的に考え始めたのではないかなー
なんて思ってるんですけどね。

オードリーって、「いつも2人で」の音楽をヘンリー・マンシーニに頼む時に
“今までで一番いい脚本です。”って手紙を出してるんですよね。
結婚12年目の夫婦の危機…。
「いつも2人で」の撮影は1966年4〜9月ですから、
1954年に結婚したオードリーはまさに結婚12年目!
おそらく僕らが考える以上にオードリーはこの作品に自分を
見い出してたに違いないと思うのです。
映画の夫婦は絆を取り戻すけれども、
私達はもう取り戻せない…。
そう思ってたんだろうなーって。

当時、「いつも2人で」撮影中の現場に行った批評家の話では、
“オフスクリーンのオードリーはシワだらけだった”って書いてるんですよね。
“ところがカメラの前に立つと別人のようにきれいになる!”って。
「暗くなるまで待って」の時はどうでしょう。
小森のオバチャマがやっぱりオードリーを訪ねてるんですけれども、
その時は“清冽な美しさを増して”っていう印象。
小森のオバチャマはオードリーファンですけど、
こんなに印象って違うもんでしょうか?
しかも小森のオバチャマのインタビューでオードリーが重要なことを述べてます。
“私も睡眠薬やお酒に逃避したことがあったけど、
それでは何も変わらないし、肌が荒れて美容にも最悪。”
これが「いつも2人で」の頃のお話?みたいな。
この発言の前後にはこんなことも言ってます。
“周りが何と言おうと、断固として雑音ははねつけること。
でも努力しても無駄だと見極めたら諦めるという決意をすること。”
だからおそらく「暗くなるまで待って」撮影中には
もうオードリーの中ではメルとの関係を“諦める決意”は既に
終わっていたんじゃないのかなって。
吹っ切れたオードリーはまた本来の美しさを
取り戻していたんだろうな〜って。

「いつも2人で」でのびっくりするくらい美しい写真。
これ、メルと並んで笑っている画像なんです。
以前はメルがいるから美しくなれてるの?
なんて思ってたんですけど、
ショーンの本とこないだのオードリー展の図録でさらに秘密が判明!
ショーンが撮影現場に行ったのは(ショーンの記憶では)
「いつも2人で」が最初だそうなんです。
確かに水着のオードリーの前にいるショーンの画像。
それと、びっくりな美しさの画像とおそらく同じ時に写したと思われる
別の写真がショーンの伝記と図録で各1枚ずつ、計2枚掲載されてるんです!
オードリーのTシャツも、メルの黒いポロシャツも一緒。
(ショーンの本と図録では本来1966年であるはずの所を、
1965年と間違って表記してますけど)
1つはショーンの伝記にあるメルと並んで桟橋を歩くオードリー、
これはどうってことないんですが、
もうひとつは図録に載っている堤防らしきところで
ショーンを抱きしめるオードリー!
この画像、オードリーの顔はまったく見えないのに、
なぜだか圧倒的な力で僕に迫ってくるのです!!!
だから、あの美しさはメルのせいではなく、
ショーンがいるせいじゃないかと思うんですよね。

でも、それまでの作品ではショーンがいなくても撮影していたオードリー
(「噂の二人」の時には連れて来てますけど、
あれはまだ赤ちゃんだったからですよね)、
なぜ「いつも2人で」だけショーンを連れてきてるんでしょう?
もちろん撮影が夏で、ショーンが夏休みだった、ということもあるでしょうが、
同じ夏に撮影のあった「パリで一緒に」はそうではないですからね。
それにだいたい、まだ1966年撮影当時はショーンは4〜5才だから、
夏休みは関係ないような気もしますしね。
だから、ショーンがいないとダメなほど
実はオードリーが悩んでいたのではないかと…。
あのショーンを抱きしめるオードリーが
ものすごいインパクトを僕に与える理由は、
オードリーはメルと別れてショーンの為に生きる決意をした!
のではないかと、そう思うんですよね。
その時に決意したのではないにしても、
その写真でのオードリーにはそういう思いを見て取れるんです。

「いつも2人で」の時に悩んで悩んで、
そのことにうちひしがれたオードリーが、
「暗くなるまで待って」の時には既に離婚することを自分に納得させて、
もうどうにもならないメルとの関係を、“諦める決意”をして、
そこからまた立ち上がっていったんじゃないか、
「いつも2人で」の画像を見るとそう思うんですよね。
「いつも2人で」の宣伝写真の数々は当時のオードリーの
心の痛みを映しているのではないか、
そんな気がして仕方がないんです…。

2004年7月13日 改訂2004年8月24日

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